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第20話 絶倫領主、絡新婦を口説く

「うちはルーシいいはります。以後、お見知りおきを。なんていうて、これからあんさんら食べてまうんやけどね」


「ぴっ! ぴぃいいいいっ! たべないでぇ~っ! ステラ、おいしくないよぉ~!」


「あれぇ、よく鳴く雀やなぁ? 羽根もいで、串さして、丸焼きにしたろかぁ?」


「ぴっ! ぴっ! ぴぃいいいいい~~~~っ!」


「やめろ! 食べるのは――俺なんだろ!」


 古代遺跡の鐘楼。

 そこを棲処にするアラクネは、ルーシーと名乗った。


 昨日、森で遭遇した絡新婦より上半身の容姿は幼い。

 しかし、下半身の蜘蛛の部分はもはや獅子もかくやという凶暴さだった。


 これが東洋のアラクネ。


「威勢のええ旦那はんやなぁ。えぇなぁ、実にうちの好みや……♥」


「ちょっと! それは私の旦那さまよ!」


「糸に絡まりついたんは、旦那はんのほうや。せやさけ、旦那はんはうちのもんどす」


「どういう理屈よ! 離れなさい、今すぐに!」


 俺に頬ずりをするルーシ。

 そんな彼女にいつになく感情的に迫るセリン。


 すぐさま彼女は、怒りにまかせてその指先から紫電を放った。

 しかし――。


「あら? 今、なんやしましたのん?」


「……嘘! 私の雷撃が、効いていない!」


 いや、効いていないんじゃない。

 セリンの放った雷撃が弱いのだ。


 大地を抉り鼓膜を焼くような威力が失われている。


 勘のいい精海竜王の娘は、すぐにその原因に気がついた。


「この糸! 私の精気を吸い取っている! 招雷の術が使えないっ!」


「便利やろぉ? うちの糸は特別製やさけ。触れたもんの精気を、吸い取るんよ」


「くっ、こ、こんなのって……! 旦那さま、どうか逃げて……ッ!」


 なんとか俺だけでも逃がそうとするセリン。

 しかし、彼女があがけばあがくほど、その身体はルーシーの糸に絡めとられていく。


 そんな彼女をあざ笑うように、ルーシーは俺の顎先をその白い指で撫でた。

 まるで高価な陶器でも愛でるように。


「ふふふ。せっかく捕まえた旦那はん、逃がすわけありまへんえ。さあ、そしたらさっそく、愛し合う男と女同士――子作りしまひょか?」


「なぁあああっ! やめなさいバカァッ!」


 セリンが顔を真っ赤にして慌てる。

 だが待って欲しい。


 どう考えても子作りする状況ではないのだが?


「あら、旦那はん? もしかして、ウチらの子作りを知りはらへんの?」


「は、恥ずかしながら……」


「あらあらぁ~♥ 男らしいのに初心なんえ~♥♥ ますますうちの好みやわ♥♥♥」


「男前ついでに、見逃していただけませんか?」


「あきまへんえ♥」


 べろりと赤い舌を伸ばし、ルーシーが俺の頬を舐め上げる。

 前戯というより――まるで肉の味をたしかめるような舌使いだ。


 頬をなめ回した彼女は、満足そうにそれをひっこめると、涎に濡れた赤い唇にそっと指先を添えて微笑んだ。


「うちらはな、番の雄を食べて身ごもりますのんや♥♥ 愛しに愛した男の血と肉と精で、子供が生まれてくるなんて……なんやロマンチックですやろ♥♥♥」


「なぁッ! 番を食べる……ッ!」


 そんな話、聞いたことがない。

 少なくとも西洋のアラクネは生殖のために番を食べたりしない。


 もしかして、目の前のルーシーはアラクネではない?

 だが、その姿はどう見ても俺の知るそれだ。

 ほんの少し東洋の顔立ちをしているが――。


「そうか! 旦那さま、そいつはアラクネではなく、絡新婦です!」


「じょうろうぐも?」


 身体に食い込む糸を引きちぎりながらセリンが叫んだ。

 どうやら、東洋育ちの彼女には心当たりがあるようだ。


「絡新婦は、長い時を生きた蜘蛛が人間に化けたモンスターです。古い家に棲みつき、男を家へと誘い込んで食らう性質があります」


「……なんだと!」


 よりにもよって、ここで最後の謎が解けた。

 なぜ森に潜むアラクネ――絡新婦が、男だけを食べていたのか!

 生殖活動のためにそれが必要だったんだ。


 今思えば、森で出会った絡新婦も子種がどうとか言っていた。

 まさか種族が違っていたとは――!


 うちひしがれる俺の前で、か細い稲妻が宙を走る。


「旦那さまを食べるだなんて……! そんなこと、絶対にさせません!」


「せ、セリン!」


 顔を上げれば、彼女は角に紫電をまとわりつかせていた。

 今やルーシの糸に雁字搦めにされた彼女は、かろうじて露出したそこに残る力を集め、目の前の絡新婦に向かって放とうとしているようだ。


 だが、どうも様子がおかしい。

 額から頬から脂汗が噴き出て、顔色は蒼白になっている。

 紫色をした唇など初めて見た。


 精海竜王の娘がこんな顔をするか?

 まるで一撃と共に絶命しそうだ……。


 いや、気のせいなんかじゃない。


「なるほどなぁ? 身体の精気を全部放ったら、うちもただじゃすまへんやろなぁ?」


「分かったなら! とっとと旦那さまを離せ!」


「いややわ、あんな束縛の強いお嫁はん。ちょっとどう思います、旦那はん。あんさんのためなら死ねるやなんて……女は、生きてなんぼやのになぁ?」


 端的に絡新婦の死生観がその言葉には現れていた。

 そして、男女の力関係も。


 しかし、今はそんな場合じゃない。

 セリンを止めなくては。


「やめろセリン! 俺なんかのために命を捨てるな!」


「けれど旦那さま!」


 今にも紫電を放とうとするセリン。


 おそらく、口で止めても彼女は雷を放つだろう。

 俺が死んでも、弔いに放ち死を選ぶだろう。


 どこまでもかいがいしい俺の正妻。

 しかし、道連れにはできない。


 どうするケビン。

 どうやってセリンを救う。

 今さらながら、この身が既に自分だけのものではないと痛感する。


 そんな中――俺は、あらためてこの場に居る理由を思い出す。

 俺はここに話し合うために来たのだ。


「聞け! ルーシー!」


「あらぁ♥ 死ぬ前に、うちの名前を呼んでくれはるのねぇ♥♥」


「俺はこの島の領主! ケビン・モロルド! 君たちアラクネに、力を貸して欲しくてここに来た! どうか人を襲うのをやめて、この島のために働いてくれ!」


 俺の勧誘にルーシーは目を見開き――そしてすぐに笑って首を振った。


「いけずやわ、旦那はん。そんなん無理なこと、分かってはりますやろ」


 なにかを悟り、なにかを諦めた表情だった。

 そんな寂しい表情に、命の危機にもかかわらず生来のおせっかいの気が疼く。


 無理ではない。

 俺たちは、きっとわかり合える。

 今こうして、話し合えているのがその証拠だ。


 だから――言葉を重ねる。

 お互いの距離を詰めるために。


「ルーシー! 美しく逞しい絡新婦の精よ! どうか、愚かな俺に力を貸してくれ! 君のように、繊細さと豪胆さを併せ持つ美女を、俺は見たことがない!」


「…………へ♥」


「この森に棲むアラクネを島の者は崇めているが……それに違わぬ美しさ! アラクネの乙女よ、まさしく君は神代に語られた女神そのものだ!」


「…………はっ♥ あっ、えぇっ♥♥」


「何度でも言うぞ! ルーシー! 美しい絡新婦の乙女よ! どうか――その力を、俺に貸してくれ! 君が、俺には必要なんだ!」


「……あ、あきまへん♥♥ あきまへんえ旦那はん♥♥♥ そんな情熱的な科白セリフ言うたら♥♥♥ 男は餌やて、ウチらが生きるための糧やて認識が揺らいでまう……ッ♥♥♥」


「揺らげばいいじゃないか! 君たちは、自由だ! 種族の血に従う必要なんてない!」


 もう一つ謎が残っていた。

 なぜ、男だけを喰らい、女・子供を逃がすのか。


 おそらく絡新婦はアラクネと違い、モンスターよりも人間に近いのだ。

 生殖として男を喰らう必要がある一方で、他者を思いやる心を持っている。

 だから彼女たちは必要のない殺戮を好まなかった。


 いや、むしろ男を喰らうことさえ忌避しているのかもしれない。

 森の奥にその身を隠し、男の方からやってくるまでけっして手を出さない。


 愛した者を殺さなくてはいけない。

 そんな血に刻まれた因果に――絡新婦たちは抵抗していたのかもしれない。


 だとしたら、俺はそんな島民を見捨てられない。


「大丈夫だルーシー! 俺を信じてくれ!」


「ほ、本気で言うてはりますのん? 旦那はん?」


「本気も本気だ! 俺は……ルーシーが欲しい!!!!」


「ほ、欲しい……♥♥♥」


 しゅるりと俺を縛めている蜘蛛の糸がほどける。

 それと同時に、今度は硬質な蜘蛛の脚と、少し冷たい乙女の手が俺を抱いた。


 俺の想いは通じた。

 ルーシーの身体と心を雁字搦めにしていた絡新婦の呪いは解けた。


「か、かないまへんわ……うち、こないに情熱的なこと、男の人から言われたんは、はじめてどす。あまりに熱うて、頭くらくらしてきてしもた」


「そ、そうか? 大丈夫か、ルーシー?」


「……はい♥♥ もう、大丈夫になりました♥♥ ふつつか者ですが、あんじょうよろしゅうたのみますえ、旦那はん♥♥♥」


「う、うん……?」


 ただなんだろう。

 ちょっと思ってたのと違う気がする。


 あと――。


「だ! ん! な! さ! まぁ!」


 なぜかセリンが角の矛先をルーシーから俺に変えていた。


 いやいや、どうしてそうなるんだ。

 せっかく命が助かったのにさ……!

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