モロルド諸島の中央に広がる、島の十分の一ほどの森。
吉祥果の森と言われているが――実際には吉祥果などなっていない。
なぜそんな名で呼ばれているのかというと、この地に古くから伝わる化け物が由来だ。
そう、吉祥果の森には古くより「人を食らう鬼」が棲むと言われていた。
「その鬼はとてつもない怪力と巨体でな、なのに森の中を素早く動き回るんだ。林の中から、土の中から、時に空から現れて、人間の頭に齧りつく……!」
「ぴ……ぴぇえぇ! 怖いよ、おね~ちゃん!」
「大丈夫ですよ、ステラさん。いざとなったら私が鬼を調伏しますから」
怖がるステラに、意気込むセリン。
嫁が微笑ましいやら逞しいやらで、ちょっとほっこりした。
さて、なぜ吉祥果の森と呼ばれるかだが――。
それは、森に棲む鬼の習性からだった。
まず、鬼は女を食らわない。
なぜか成人した男のみ食らう。
逆に森に迷い込んだ女性は、鬼に丁寧に追い返されるという。
次に、子供も食らわない。
性別に関係なく、鬼は子供たちには穏便に接する。
女性と同じく迷い込めば森の外まで送り届け、時に土産の宝物を持たせるらしい。実際、周囲の村落では、祖先が鬼から授かった宝物を魔除けに飾る者たちもいる。
なぜか男だけを食らう鬼。
この噂が、いつごろからか東国の伝説と符合して語られるようになった。
鬼子母神伝説。
東国で広く信仰される鬼女にして神。
自分の子を育てるため人間の子を捕らえ食らっていた神を、森に棲む鬼たちに感じた民は、鬼はきっと鬼子母神の縁者に違いない――と考えたのだ。
「そんな鬼子母神になぞらえ、彼女が持つ吉祥果の名であの森は呼ばれているんだよ」
「な~ほぉ~! きしぼ~じんさまぁ~! ステラ、おぼたよぉ~!」
「ふむ、伝説になぞらえ森に棲む怪異への畏怖を敬意に変えたわけですね。まぁ、恐怖と信仰は紙一重ですからね」
物わかりのいい俺の妻たちがこくこくと頷く。
というわけで吉祥果の森は――モロルド家はもちろん、島民のタブーとなっている。
いわゆる禁足地だ。
「そういうわけだからな、吉祥果の森を開拓するのは無理なんだ」
「けど、女の私なら、問題もないってことですよね? ちょっとその鬼女とお話して、森から出て行っていただけないか聞いてみますね」
「おぉ~っ! おね~ちゃん、かっこいいのぉ~! ステラもいくぅ~!」
いやいや?
話を聞いてましたか、お二人とも?
鬼が棲んでて危険だから近づかないでおきましょうね。
そういう話をしましたよね?
怖い物知らずの夫人たちに胃がキリキリ痛む。
イーヴァンに頼んで、胃薬を持ってきてもらおうか。
と、ここでマーキュリーが唐突に手を挙げた。
「けどさけどさ、ちょっと変な話だよね? そもそも、鬼子母神は子供をさらって食べるんだよね? なんで大人の男?」
「それは……なんでだろうな、気にしたことがなかった」
「そもそも、鬼子母神は改心して、子供を食べるのやめたんだよね?」
「それもそうだな?」
たしかに、ずっと鬼子母神と思いこんでいたが、微妙に伝承とこの地で起こっていることは違っている。
神の庇護を受けた鬼女が相手では敵わない。
精海竜王と同じく、長らく避けてきた相手だが。
「もしかして、森に棲んでいるのは鬼子母神ではない?」
だとしたら、交渉する余地があるかもしれない。
妻たちとの会話で、突如として浮上した、島中央への交易拠点の建造。
乗るべきか?
それとも避けるべきか?
最後の判断は任せると、セリンが俺の方を見つめてくる。
赤い瞳にじっと見つめられた俺は――。
「よし。精海竜王のこともある。ここは一度、吉祥果の森を探索してみよう。もしかすると、鬼女に森から出ていってもらえるかもしれない」
島のさらなる発展のため、森の探索を試みるのだった。
「旦那さま、交渉はぜひとも、私にお任せくださいませ。絶対に鬼女に、旦那さまの軍門に降るよう説得してみせます」
「いや、同盟でも結べれば御の字だからさ」
「またそうやって、同盟者から妻を娶るつもりなのですね……?」
「おぉ~! おに~ちゃん! そうなのぉ~!」
「やるな絶倫領主! 鬼女さえ娶るとは、とんでもないぜ!」
しないって。
流石に鬼の嫁は――勘弁していただきたい。
鬼より怖い、竜の嫁で手一杯だよ。