「ほう、人の子よ、我らが棲処である龍鳴海峡を通りたい……と?」
「はい! どうか我が願いを聞き届けください!」
「……ならぬ! 身の程をわきまえよ!」
大陸とモロルド領の諸島を分かつ海峡。
十隻も船が通れるかという内海。
さきほどま晴天だった空にたちまち暗雲がたちこめる。
黒い空より放たれた雷光が水面穿ち、飛沫と蒸気を立ち上らせる。
殴りつけるような暴風が吹いたかと思えば、海がのたうつように大きくうねった。
暗い海底で赤い何かが光る。
次の瞬間、それは水面の中から巨体を伴って飛び出すと、雷轟が響く曇天へと昇った。
青い鱗に覆われた細長い身体。
乳白の鋭き牙を持つ大きな口。
四つの脚には刃のように研がれた爪。
背びれの代わりに映える金毛が、紫電を帯びてチリチリと音を立てる。
頭から背に向かって伸びる金角はこの荒天でも爛々と輝いている。
宝玉のような紅色の瞳。
彼こそは龍鳴海峡の真なる王。
「人の子――いや、赤毛の小童よ! お主、目の前にいる我を誰と心得る! 千年の時を生き、この海に君臨するは精海竜王! その名を知らぬとはいわせぬぞ!」
「お怒りをお鎮めください! どうか! どうか、平に!」
嵐さえもかき消す、竜王の咆哮が木霊する。
一人乗りの手こぎ船が、海竜の起こした波濤に大きく揺れる。
それでも、転覆しないのは王に対話の意思があるからだ。
精海竜王は、礼儀をわきまえた者には寛大である。
地元民にまことしやか伝わる話だ。
その言い伝えを信じるなら、俺はまだ礼を失していないのだろう。
モロルド領を守るのだろう。
この地に残った者たちに生きる場所を与えるのだろう。
俺は船の縁に手をかけながら、胸からぶら下げた銀色のペンダントを握りしめた。
そして、荒天にそびえたたずむ異形の王に直談判する。
「精海竜王よ! 聞いてください! 此度、レンスター王国は、飛び地のモロルド領を国土より除外することを決定しました!」
「…………なに?」
「私は現モロルド領の領主ケビン・モロルド! この地に暮らす領民のため! なんとしてもこの地を守りたいのです! そのために、どうか精海竜王! 貴方の庇護と加護を、我らにお与えください!」
俺の訴えに、海竜たちの王が唸る。
曇天の中でくゆる稲光はますます激しくなる。
しかし、それは海面へと垂れてこない。
代わりに、俺に浴びせかけられたのは――。
「小童よ、どのようにしてこの地に暮らす者たちを守る?」
同じ王に対する問いかけだった。
やはり、精海竜王は話が通じる相手だ。
そしてだからこそ、俺は最初に彼に会いに来た。
船底を力強く踏みつけて俺は立ち上がる。
六尺越えの巨漢の起立に船は揺れたが、俺は精海竜王の加護を信じた。
「私は、この地に新たな国を作ろうと思います! モロルドの領民も、そうでない者も、等しく暮らすことができる、楽園を!」
「…………ふむ!」
「人も、亜人も、竜も、魔性も! ともに手を取り合い、暮らす国家をつくりたい! そのために――精海竜王! まずは貴方と同盟を結びに来たのです!」
「その見返りが、龍鳴海峡を通る許可というところか?」
「はい! 龍鳴海峡は、モロルド領の誕生に深く関わる場所! そして、この海峡さえ通ることができれば! モロルドは貿易港としてまた息を吹き返せる!」
ひとつ息を置いて、俺は天上の竜に告げた。
「私は――俺は、この地を海洋貿易の要衝地にする! 大海に轟く、海洋国家にしてみせる! だから、そのために力を貸せ、精海竜王!」
俺が王として立つなら、これからはあくまで対等な立場だ。
王と王とのこれは同盟であり誓約である。
故に、俺は対等な言葉で精海竜王に迫った。
ダメならばこのまま海に沈めるがいい。
雷を落としても構わない。
食らえるものなら食らってみろ。
けれども、俺は死なぬ。
絶対に生きてモロルドに帰る。
そして、モロルドの領民のためにできることを尽くす。
必要であれば、次の交渉の材料を用意して、精海竜王に挑んでみせる。
それくらいの気概がなければ、王になどなれないのだ。
レンスター王国から独立して、海洋貿易国家になることなどできないだろう。
そう、これは王と王との対話であると同時に、俺の王としての器を試し、示すための儀式でもあった。
はたして、千年の時を生きる竜の王は俺の覚悟を――。
「面白い!」
咆哮と共に認めてくれた。
「だが、それだけでは足りぬ!」
「なに!」
紫電が船の舳先へと落ちる。
俺の瞳を焼き、肌を焼く白光。
眩さに目を閉じた俺が、瞼を上げると――。
「……お、女?」
雷が落ちたその場所に、清廉な女性が立っていた。
身の丈は俺の肩くらい。
華奢な身体つきに白い肌、そして整った顔立ち。
黒い髪を腰まで伸ばし、華美な着物を身につけている。
しかし、そのたたずまいは清廉。
まるで盛夏の小川のような、活き活きとした美しさがあった。
そして、両側の側頭部から伸びる――竜の証の金角。
瞼を上げれば、精海竜王と同じ紅色の瞳が零れ出る。
うっすらと紅をさした唇をつり上げれば、その笑顔に俺の胸は高鳴った。
ついでに……とある悪名の元となった、身体の一部も。
「モロルドの若き王よ! お主の覚悟はしかと聞き届けた! しかし、我と対等な同盟を組むには、今のお主では格が足りぬというもの!」
「……そ、そこをなんとか!」
「ならぬ! 同盟とは、対等な立場だからこそ成立するのだ! だが、お前がどうしてもというのなら――我も竜を統べる王である! 一つ条件をつけて、その願いを叶えてやらんこともない!」
「……条件とは!」
正直、怖くはあった。
だが、条件を一つ飲むだけで、龍鳴海峡を開くことができるなら、安いもの。
領民のために、俺はすでにこの命を捧げた。
ならば、どんな条件でも臆すものか。
はたしてそんなことを意気込む俺に――。
「まぁ、そんなに緊張なさらないでください、旦那さま」
「…………はい?」
ひょいとその手を取ると、白光とともに現れた娘は微笑んだ。
そして、何かの誓いのように、俺の唇に自分を重ねるのだった。
潤んだ赤い瞳に頬。
口内に残る甘い匂いに言葉を失う。
そんな中、精海竜王は俺に、同盟の条件を告げた。
「年に一度! 龍鳴海峡に生け贄を捧げよ! 生まれたばかりの赤子だ!」
「な、なんたる非道! そんなこと、許されると思っておいでか! 精海竜王!」
「案ずるな! 子を成す相手は用意してやったわ! そこにいるは、我が娘――
「そんな! 貴方の娘ということは、生け贄に捧げられるのは貴方の孫ですよ!」
「そうだ! かわいい孫をいっぱい作るがいい!」
「この人でなし! 鬼! 悪魔! 竜王!」
「わっはっはっはっは! なんとでもいえ! 我は千年を生きた竜王ぞ! そろそろ、可愛い孫にいっぱい囲まれて、楽しい余生を過ごしたいんじゃ! せいぜい、我の娘とたくさん子作りするがよい! 安心しろ、孫たちは責任持って我が育てる!」
「くっそ~~~~~~~~! これが竜王のやり方かぁ~~~~~~~~!」
かくして、俺は精海竜王に生け贄を捧げることで、対等な同盟を結んだ。
後に「これってつまり、婿入りしていっぱい子供作れよってことなんじゃないか?」と気づくのには、随分と時間がかかってしまった。
だって。
「よろしくお願いしますね、旦那さま。いっぱい、赤ちゃん作りますので」
「あ、うん、よろしく……」
「……そ、そんな、熱っぽく見つめられては。困ってしまいます」
「すみません。セリンさんが、あんまりにも美しいから」
「……う、美しい? も、もうっ! 人間とは、こうも軽薄に女性を褒めるものなのですか! 私には、そういうの通じません! 私は誇り高き精海竜王の娘なのですよ!」
「いや、美しいものは美しいですから」
「…………はうぅうぅ♥♥♥」
精海竜王の娘――セリンの美しさに、すっかり心を奪われてしまっていたから。
この時より、俺のセリンとの子作りの日々がはじまった。
いや、セリンだけじゃない。
多くの亜人の姫たちと、同盟のために子作りをする。
ハーレム領地経営が。