「理屈じゃないのね?」
「多分な」
「行っちゃヤダって泣きついたらどうする?」
「めちゃくちゃ困る。困りすぎて泣いちゃうかもな」
「嘘ばっかり」
どうせなら突き放すぐらいすればいいのに。
引っ叩いて、お前なんて嫌いだって言ってくれれば……。
「あーあー……せっかく身体を張って頑張ったのにな。グラッドには効かなかったのね」
「…………いや、そうでも」(ぼそっ)
「え?」
「……何も言ってないぞ」
「ふーん……?」
案外そうでもないのかな?
視線を合わせようとしないグラッドは、ちょっとおかしかった。
「グラッド大好き♪ 抱いて♪」
「お前またそんなことを……」
「グッときた?」
「きたきた。きたから勘弁してくれ」
「なんかおざなりぃ~。いいわよ、次こそグラッドがときめくような誘い文句を考えてみせるんだから」
「考えなくていいからな?」
「いやよ。まだまだ言い足りないぐらいなんだから」
「ほんとかよ……」
「そうよ、差し当たっては」
まだしていない話がある。
あなたのために言ってあげたい言葉が。
「旅の話を聞かせて」
「ん? それならお安い御用だ。どんな話が聴きたいんだ?」
グラッドはきっと楽しい話を想像している。
旅先で出会った良い人たち。
壮大な景色や美味しい食べ物。
いくつもの楽しくて愉快な旅物語を。
うん、それも聴いてみたいわ。
でも今は、違う話を聞いてあげたいの。
隙をついてグラッドの腕から抜け出す。
その代わりに、今度はワタシが彼の頭を抱きしめた。
「ワタシは、ココに来る前にあったあなたの辛かった旅の話が聴きたいわ」
「……なんで、わざわざそんなものが聴きたいんだよ。他にもあるだろ? 旅には楽しいことだってたくさんあるんだぞ」
「そういう話はたくさんしてきてるでしょ? ワタシだって聴いたのは一度や二度じゃないわ」
――だから、
「だからこそ、ワタシはあなたの辛かった話を聴きたい。聴いて、その重さを軽くしてあげたいの」
あなたがその重みで潰れてしまわないように。
別のあなたにならないように。
「知ってる? 辛かった気持ちはね、誰かに話すと半分になるのよ。本に書いてあったんだけど、そのとおりだと思ったわ」
「…………楽しい気持ちは誰かと共有すると二倍になる?」
「やだ、グラッドも読んだことがあるんじゃない」
「いや……オレは読んだんじゃない。訊いたんだ、昔の仲間から」
「意外と前からあるお話なのね、素敵だわ」
健やかなときも、
病めるときも、
嬉しいときも、悲しいときも、
もし貧しかったとしても、
共に助け合いましょう、その命ある限り。
確かこんな感じの、うろ覚えな誓いの言葉。
いつか言えたらいいなとは思うけれど……今はダメみたいだから。
だったらせめて、愛しいあなたを少しでも癒してあげたい。
それぐらいはさせて欲しいの。
想いを言葉に換えず、ギュッと彼の頭を抱きしめる。
きっと伝わったんだと思う。
グラッドは、観念したように長く長く息を吐いた。
「……ココに来る前、小さな村に立ち寄ったんだ。長い時を生きるその土地の神様がいるって噂を耳にしてさ。ほんとに神様がいるなら、何か話でも訊けたらと思った」
「……神様はいたの?」
「アレを神様だなんて思いたくないな。人間に化けちゃいたけど、頭が蛇だったし。本性に至っては人間を余裕で丸のみできるぐらいのでっかい大蛇だ」
「完全にモンスターじゃない」
「そうじゃなきゃ邪神だよ。定期的に生贄を求め、その代わり村の幸せは永遠に約束しようなんて言い出してたんだぞ?」
「嘘つきの定番じゃない」
「だから、あんまりにもムカついたんで成敗しにいった」
「騎士としては見過ごせなかったのね?」
「まあ、そうなるのかな。ちょうど生贄の子供が住処に運ばれるところに出くわしてさ。その子が、すごい泣きわめいてたんだ。当たり前だよな? 誰だって生贄になんてなりたくない。大人たちに『村のためだ』なんて言われたって嫌に決まってる」
「勝手な言い分ね。だったらあなたがなればいいじゃない」
「そうだよな」
「……でも、グラッドのことだからそのモンスターを倒しちゃったのよね? それで生贄の子供は救われて、村も騙されてたことに気がついて良かったんじゃないの?」
それなら村を救った英雄の物語だ。
讃えられるべきハッピーエンドに違いない。
けど、グラッドの話はそれで終わりじゃなかった。
「……『近寄るな化物』って言われたんだ」
「……え?」
「住処には何人もの子供がいてさ。なんとか救助はできたんだけど、ひどく怯えられてな。村まで連れて帰ってあげようとしたんだが……結局できなかった」
「なんで!? グラッドは助けてくれたのに!?」
カッと頭が熱くなった。
今のワタシの瞳は、さぞギラギラしているに違いない。
「蛇の化物が割と強くて、無傷で勝つのは難しかったんだ。少し手足がもげかけたり、身体ごと喰われもしたし……。まあ、それがあったから、脆い体の内側から突き破れたんだけど」
「……それで?」
「子供からしたら、オレも恐怖の対象だった訳だ。でっかい蛇の化物を倒した、人間のような化物に見えたんだろうな」
「それで近寄るな化物って言ったの? どれだけ恩知らずなのそいつら、許せないわ! ワタシがとっちめてやる!」
「それは無理だ」
「なんでよ!?」
「その子は、死んだよ」
「……え?」
「大蛇の悪あがきに巻き込まれたんだ。オレごと……目の前で、岩の壁に叩きつけられて」
「…………救えなかった」
グラッドが泣いていた。
ワタシは、泣いている彼を知らない。
こんなふうに涙を流すのだと、初めて知った。
「オレが、しっかり大蛇を仕留めていれば」
「もっと上手く避難させていたら」
「化物呼ばわりされた時、動きを止めなければ」
「あの子に
――死にたくない――
なんて言わせずに済んだ」
どれだけの後悔がソコにあるのだろう。
ひとつでも異なれば、そんな未来はなかったはずなのに。
なんでグラッドが、こんなに悲しくならないといけないの?
どんな話しをされてもワタシが慰めてあげよう。
あんなにそう考えていたのに。
かける言葉が見つけられず。ワタシはただ、ただ静かにグラッドを抱きしめてあげることしか出来なかった。
「…………すまん、抑えが効かなかった」
「……ううん、いいの」
「やっぱり聞かせない方が良かったな、こんな自分勝手な話。ルビィに聞かせるべきじゃなかった」
その物言いに。
なんでだろう、すごいイラッときた。
だからワタシは、
「グラッドが今のを自分勝手だって言うなら、ワタシも自分勝手な話をするわ」
「なに?」
つい、彼を抱きしめる腕に力がこもる。
「そもそも助けてくれた相手を化物扱いとか何様なの!? それがどれだけ最低な事か!!」
「…………」
「その子が死んだのも当然の報いね。グラッドに化物なんか言わなきゃ助かったのに……その子が死んだのは、その子のせいよ!」
「ルビィ、それはちが――」
「グラッドは人良すぎ! もっと怒っていいじゃない! 何にも報われなくてくやしくないの!? それが悲しいんじゃないの!?」
「……感謝されたかったわけじゃないんだ。オレが、そうしようって決めたから。生贄なんてふざけるな、絶対助けてやるって思ったから、そうしたんだ」
「…………でもっ」
「ああ。それでも化物呼ばわりは堪えた……。おまけに目の前で死なせるなんて最悪にも程がある」
「グラッド……」
「子供の方が素直だからな。取り繕わない分、真実をつくもんだ。どれだけ人間って言い張っていても、やっぱりオレは普通の人間からすれば化――」
「ダメ、それ以上はダメッ」
身体を押しつけてグラッドの口を塞ぐ。
むぐっ、と詰まった声が響いた。
「そんなの考えなくていいの。あなたは、そんなことで悩まなくていいの」
「…………」
「さっきはああ言ったけど、子供達は驚いただけなんでしょ? ビックリして、つい心にもないことを口にしちゃっただけなのよ。ええ、きっとそうだわ」
「……ッ……ッッ!」
ポンポンと背中を叩かれて「あっ」と気付いて、力を緩めた。
呼吸がうまくできず苦しげだったグラッドが「ふはっ!」と声をあげて解放される。
「……ごめんなさい」
「い、いや、けほっ。気にしないでくれ」
「えっと、なんだったかしら。そう! とにかくグラッドはそんなの気にしなくていいって言いたいの! もう苦しまなくていいの!!」
「………………ハハッ」
「そ、そんなにワタシが言ってること変かな? ……伝わってない?」
「大丈夫だぞ、十分以上に伝わってる」
「じゃあなんでもっと怒らないの!?」
「話が戻った!? ちょっ、待て、暴れるんじゃない」
怒りが収まらないワタシ、それを抑えるグラッド。
二人でわーわー騒いでもみくちゃしてる間に、ワタシはベッドとグラッドに挟まれるような形で取り押さえられていた。
「ん~~~~~~~ッ」
「はぁ、はぁ……よぅし、とにかく一旦落ち着け、落ち着くんだ。なっ?」
「むぅ~~……」
「中断したけど、まだ話は終わってない。ルビィは最後まで聴いてくれるんだろ?」
「……うん、聴く」
「――化物呼ばわりは堪えた。オレはそんなのじゃない、少なくとも生贄を求めるようなアイツとは違う。でも、自分がそういう存在に近いとも思ってはいたんだ」
「…………」
「その度に悩んでた。多分、これからも悩み続けるんだろう。ただ、そうだな……なんて言えばいいのか」
ワタシを見下ろすグラッドの表情が「むむむむ」と難しそうに変化して、かと思えば気恥ずかしそうに赤くなったりしている。
それらを経てようやく考えがまとまったのか。気持ちを吐露するために、時間をかけてゆっくりと唇が動く。
「心の重さは、軽くなったよ。ルビィに話を聴いてもらったから」
「あ……」
「少しだけあった怒りも無くなっちまった。あれだけ代わりに怒ってもらえればな……」
うれしい。
「ほんと?」
「ほんとだ」
とてもうれしい。
「ほんとにほんと?」
「ほんとにほんとだ」
ワタシ、グラッドの役に立てた。
あなたの辛さを分かち合えたんだ。
あなたの顔から、暗いものが消えて、晴れたように見えるのがすごく嬉しい。
ずっとそういう顔で居続けて欲しい。心からそう思う。
「……ありがとうな、ルビィ」
「はぅ」
そんな子供のように素直なお礼をされたら……胸がキュウウゥゥンッとしちゃうよぉ……
あ、いけない。こうなるとまた……
「グラッドぉ」
「ルビィ、おい? なんで離れようとしてるオレの首に両腕を回してくるんだ? 待て待て、これ以上はさすがに我慢がきかなくな――」
「血ィ、ちょうだい」
「…………ああ、血ね。わかったわかった、もう満足するまで好きなだけ吸ってくれ」
許可も得たので、ワタシは遠慮なくグラッドの血を貰う。
彼の身体を巡る濃密な赤い雫からは、心が冷えるような悲しい味はしない。代わりに強まった病みつきになりそうなぐらい素敵な味わいに、ワタシは身体を潤すのだった。
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数日後。
ダスカ達に伝えたとおり、オレは城を出る。
正門では、城に住む吸血鬼たちが見送りにきてくれていた。
「……それじゃ、オレは行くよ」
「また、いつでも訪れるがよい。我らはそなたをいつでも迎えよう」
「いつでも呼びつけてやる、の間違いじゃないのか?」
握った拳を突きあわせた友との別れ。
コイツとは、そう遠くない時期に再会しそうな予感がする。……できれば妹をなんとかしてくれ、などと言うまいに自分でどうにかして欲しいもんだ。
「これからどこを目指す?」
「いくつか候補があるけど、ひとまずは南に行ってみようかな。お前のくれた本を頼りにしながら海でも目指すさ」
「そうか。これから暑さも増していく時期ゆえ、せいぜい灰にならないよう気をつけるとよい」
「それ、吸血鬼流の冗談か? 洒落になってないぞ」
「そこは笑って流さぬか愚か者」
言われたとおりに笑ってやったら、「こいつめ」と言わんばかりの笑みを返された。
人間と吸血鬼。旅人と城主。
種族も立場も大きく違うが、友人との別れはコレぐらいがちょうどいい。
「ところで、ルビィの姿が見えんのだが……」
「いつものように寝坊してるんだろ。ココにいる間、ルビィが普通に起きてきたのを見たことないぞ」
「アレだけそなたを好いてる愚妹が、見送りに来ないなどあり得るものか。……そなた、心当たりがあるのではないか?」
「ぅ……。いや、何もないぞ。どうしたんだろうなルビィは、見送りに来てくれないなんて寂しいなー」
「…………そういえば、此度の再会でそなたらは随分仲を深めたようであるな。どんな手を使ってアレを抑えたのか……」
「ノーコメントだ」
「そういえば、あられもない姿の妹が目撃されていたな。よもやそなた……?」
「人聞きの悪い言い方をわざわざすんな! 大体誰から聞いたんだよその目撃情報は!」
想像はつくけどな!
ルビィの様子をいつも気にしてるヤツなんて、大体一人しかいない。
「まあよい。妹が欲しくなったらいつでも言え。精々派手に祝ってやろう」
「もう行く!!」
このまま話してたら埒があかない。
城に背を向けて、歩き出す。
「グラッド。我は再び問おう、そなたは何者か?」
背中にかかる問い。
いつでもオレを迷わせる言葉。
けれど、今はハッキリと答えられる。
「オレは、人間だよ。臆病でちっぽけだけど、それでも進み続けるただの人間さ」
「――ならば、その道突き進んでみせよ!」
開いた右手を高く上げて、応える。
その激励は、確かにオレの背中を押した。
霧のかかった道をまっすぐ歩き、茨の結界を越える。
ダスカ達の領域を完全に抜けたら、南への進路をとった。
「さあ、まずはどれから……ん?」
手土産の本を取り出そうとしたら、何かが挟まっていることに気がついた。
手紙である。
なんとも情熱的で無邪気な好意が綴られており、最後には約束について念が押されていた。
心配し過ぎなお姫様が頭に浮かんで、思わず笑みが零れる。
一度だけ城の方へ振りかえった。
「返事はどうするかな……」
悩みがひとつ増えたが、嫌な気はしなかった。
「お見送り……よろしかったのですか?」
「ロベリーは行ってきていいのよ。色々グラッドに伝えたかったんじゃないの?」
「ルビィ様がお部屋に残っているのに、どうして私が行けましょうか」
あの人の残り香がするベッドで横になりながら、大きなコウモリのヌイグルミを抱きしめる。
それだけでここのところ続いた素敵な夜を思い出し、足がパタパタと動いた。
グラッドが出発したのは残念だけれど、以前ほど寂しくはない。いっぱい甘えさせてもらった分、我慢できるはず――多分。
「……まだ追いかければ間に合いますよ?」
「くどいわよ。今日はお見送りしないって決めたの。だって顔を合わせたら、行かないでって絶対引きとめちゃうもの」
そんなことをすればお人好しの彼は、困ってしまう。
粘りに粘ればもう一日ぐらい留まるかもしれない。
けど、それはあの人の歩みを邪魔してしまう。
ワタシはそんなものを望まない。
「それに、また会いに来るって誓ってくれたもの。知ってる? グラッドは騎士だったからか誓いは必ず果たすのよ」
「素晴らしいことですね」
「うん。だからワタシも直接見送らないの」
その代わりに二つ程した事がある。
ひとつはこっそり手紙を忍ばせたこと。
もうひとつは、その手紙にちょっとだけ細工をしたこと。
ワタシの血を使って施したマーキング。これで彼のいる場所が、大まかにわかるようになった。
その気になればコッチから会いにも行ける。彼が大変な時に駆けつけられる。
「グラッドに限ってそんなことはないでしょうけど……」
「何かおっしゃいました?」
「ううん、別に。それよりロベリー、食事を用意してもらえる?
お腹がすいてきちゃった」
「かしこまりまし……た」
ロベリーの返事が少し変だった。
なんだろう、そんなにワタシが立ち上がったのがおかしいのかしら。
「え、えっと……食事の前にお着替えをした方が?」
「あ、そうね。お願いするわ」
「ではすぐにご用意しますね。……あのルビィ様」
「なによ、さっきからきょどきょどして」
「ワタシが戻るまでお部屋にいてくださいね。そのお姿では皆が目のやり場に困りますので」
「さすがにこの恰好で外に出るほど、ワタシも抜けてな――あっ」
ロベリーの視線につられるように自分の身体を確かめて、気付いた。
ワタシがグラッドの首筋に跡を残したように、この身体にも夜の思い出の跡がいくつも残っていた。首のあたりが一番くっきりはっきりしている。
ある一定の年齢以上の吸血鬼なら誰でも知っている。身体も心も繋がった証。
「ッッッッ!?」
ぐらっどぉ……今度会ったら覚えておきなさいよぉ……。
急いでお布団にくるまりながら、ワタシは拙い恨み言を思わずにはいられなかった。