「お日様があったかいわね。淀んでいた空が嘘のようだわ」
「ルーニャ姫や皆が勝ち取った、青空ですからね」
陽光が差し込む森の聖域。
その入口に建てられていた古ぼけた家で、あちこちを包帯グルグル巻きにした二人が療養していた。
一人は由緒正しいお姫様のルーニャ。
もう一人は命を賭して戦った騎士グラッド。
他の仲間達の姿は……無い。
騎士達を指揮した立派な隊長も、苦楽を共にした精悍な騎士も、二人にとって頼れる存在だった幼馴染も、立派に戦い抜いたためだ。
生き残ったグラッドとルーニャも決して無事ではない。
質素な服に身を包む二人の身体は瘴気に侵され、身体のあちこちが黒ずんでいる。放置すれば死に至る呪い。人々を守るために彼らが被った代償。
「ねえグラッド見て。あなたは大分良くなってるみたい……ほら、あんなに痛々しかった顔の黒い痣が薄くなってるわ」
「姫様もですよ。きっと魔を退けるという聖域の効果ですね」
グラッドは明るい口調で話しかけてはいたが、やせ我慢も良いところだった。
ルーニャ姫の身体は強い瘴気にあてられて、長くは持ちそうに無いのだから。
それでもグラッドは諦めずに献身的な介護を続けた。元々戦うことだけしか能のないような身ゆえに、姫を起き上がらせる手すらどこか覚束ない。先に逝った親友であればもっと上手く出来るはずなのに。そう痛感しながら、友が守ろうとした大事な人のために懸命に手を動かす。
そんな傍に居続けてくれる騎士の行動はルーニャにとっては何よりも嬉しい物であった。ここにはいないもう一人を加えた幼馴染の三人で過ごした時のように穏やかに微笑むことが出来ている。
そんな生活が数週間続いた。
グラッドの身体は激戦を生き延びたとは思えない程、すっかり良くなっている。
しかし、ルーニャ姫は…………。
「けほっけほっ」
「姫様!」
「大丈夫……ちょっと咳き込んだだけよ」
口元を抑えた手のひらにべっとり付着した血を隠す姫に対して、グラッドはそれ以上何も言えなかった。親友がこの場にいたらどうするだろうか。そう考えたが、自分には出来そうにもない答えになって結局大した事は出来ない。
さらに数カ月が過ぎた。
当初の考えでは、彼らは身体が回復次第この場から離れるつもりでいた。
愛した国。魔物の軍勢から守った故郷。
だが、もうそこには風光明美な景色は無い。
町も自然も、みんな瘴気によって失われてしまったから。
「グラッド。あなたはここに留まる必要はないのよ? 行きたいところに行って、暮らしたいところで暮らす。あなたにはそれが出来るわ」
「ならオレはここで暮らします。姫様を置いてはどこにも行きません」
「頑固ね」
「アイツだったらそうします。絶対に」
そう言い切ってから更に月日が過ぎた。
お姫様の容態が悪化してから、大分経っている。もう彼女は気軽に外を出歩くことすら困難になっていた。
「姫様」
「……ようやく旅立つのかしら?」
「いいえ、姫様を治せる者を探して参ります」
「ダメよ」
「何故!?」
「わかっているでしょうグラッド。……そんな人物の当てはありません。もう私は長くない」
「そんな…………お願いだ、生きてくれ」
下手な敬語も身分も忘れて、グラッドはただ幼馴染の少女のために願う。
「生きてるわ、グラッド。今の私は、毎日を精一杯生きてるのよ」
「………………何か、オレに出来ることはないのか」
「ここから――」
ここから離れなさい。自分を置いてどこかへ。
そう命じようとした姫の口元は、しかしそれだけはしないであろう騎士の怒ったような目によって呆れた形に変化した。
「……では騎士グラッドに命じます。――――最期まで私の傍にいてね?」
「わかりました」
◇◇◇
『ごめんなさいグラッド。あなたを一人にさせてしまうわね』
『どうか悲しまないで。私は先に逝くだけで、天国ではみんなが待ってるわ。あなたもいつかは来るべき場所で』
『負けないでね、私の騎士様。たとえこの先、どんなに辛いことがあったとしても――大丈夫。あなたは災厄を乗り越えた英雄なのだから』
聖域の森。その一角。
日当たりのいい広場だった場所に、墓が出来ていた。
お姫様の物だけではない。
グラッドが知りえる限りの知り合いや仲間達。簡単には数えきれない程の墓標がいくつも、いくつも立っている。
「…………みんな」
――オレ、行くよ。
「いつか…………また会おう」
別れを惜しみながら、騎士グラッドは故郷を後にする。
それから人の人生が何回も終わるような時間の中で、流れの吟遊詩人がこんな歌を口ずさむようになった。
歴史に残る災厄の生き残り。
その身に魔の呪いを宿す者。
決して朽ちぬ身体を手に入れた騎士。
――――彼の者の名は、グラッドレイ。
人間として生まれながら、正真正銘の不老不死の仲間入りをした男。
いまなお世界のどこかを彷徨う偉大な騎士。
彼の長い長い旅は、こうして始まった。