そして、井戸端会議は、更に、豪勢なものになっていた。
わあ!と、三男、榦は、歓声を挙げている。
卓に並べられているのは、茶ではなく、食事だった。
主食のアワ餅、せりと肉の入った
「この騒ぎ、朝食もまともに取れなかったでしょうからね。これぐらいは、よろいしでしょう?たんと、お食べなさい」
日頃は、屋敷を取り仕切る、凛々しい春華も、息子達の前になると、母の顔つきになり、我が子の事を案じてしまう。
「わあ、母上様、サトウキビの汁ですね!」
ほんのりとした甘さの飲み物は、榦の好物だった。
先程から、はしゃいでいる、末っ子の姿に、春華の表情は、緩んでいる。
殺伐としたものから、すっかり、和やかな雰囲気に変わり、上兄二名は、内心ほっとするが、同時に、母の心遣いに感謝すると共に、これは、やはり、長い話になりそうだと、覚悟を決めつつ、勧められるまま箸を取る。
「それにしても、久しぶりですね、このように、兄弟揃って、母上と食卓を囲むのも……」
口にした、菖蒲の和え物の味に、満足しつつ、師が、長兄らしく、母の話とやらを、聞きだそうと、会話を続けようとするが、当の母は、アワ餅を一気に頬張り、むせこんでいる榦の様子を気にかけていた。
「あー、もう、榦や、お前、もう少し落ち着いて食べられないのか?」
「そうだぞ、これでは、いつまでたっても、母上が、お話できないではないか」
口を挟む息子達へ、要らぬ気遣いとばかりに、春華は微笑んだ。
「そうね、話を聞いてくれと、言いながら、いつまでも引き延ばすのはよくないわ」
と、前置きし、春華は、語り始める。
「
はあ?!と、三兄弟の手が止まる。
男も、女も、普通は、老いを嫌うものではないのか。少しでも、若々しくいようと、あの手この手を尽くすもの。
それを、わざわざ、老いてしまおうとは、どうゆうことなのだろうか?
「……ジジイに、なるには、ババアが、必要でしょう?さすがに、年若い、柏夫人を、ババアとは呼べませんもの。だから、母が、ババア、なのよ。ああ!そうだわ、きっと、そう!」
春華には、何か思い当たる節があるようで、クスクスと含み笑っている。
「あの?母上?」
「あー、師や、どう思いますか?本当に、自分をジジイと思って、いえ、病による悋気からなら、柏夫人だろうが、側仕えの侍女だろうが、誰かれかまわず、ババア呼ばわりするものでしょう?」
言われて、師も、なるほど、と、思う。
何故に、母だけ、ババアなのか。
それは、ババア、と、呼んでも良い者を、選別しているということではなかろうか。
まあ、確かに、母も、歳を取った。ババアと言われるには、少々早いが、ジジイの連れ合いなら、ババアと呼んでも、おかしくはない。
「では、母上?父上は、わざと、母上のことを?」
「えー、二の兄様、わざとも、何も、そんな、理屈は、通りませんよー!」
「お前は、単に、何かしでかしたいだけだろう?」
呆れ顔の昭に、へへへっと、照れ笑いながら、榦は、頭を掻いた。
「そうね、榦の知恵も拝借するかもしれないわ。さてと、ここからが本題……」
春華は、自分が嫁いで来てすぐの時にも、似たような事があったのだと、昔語りを始めた。
「あれは、まだ、
仲達と春華は、家通しの決めた婚姻で、結ばれた。
とはいえ、仲達は、やっと
しかし、仲達は、成人男子の嗜み、
病の為、日がな一日床についていたからだ。寝返ることもままならなず、常に誰ぞの手を必要とする、夫の姿に、春華は、子供ながら、何故、簪も差していない自分が嫁に貰われたのか、悟った。
もともと、両親の教育のお陰で、春華は、幼いとはいえ、読み書きもできる利発な子供だった。
この屋敷の事実を見て、夫とあるべき人は、そう長くはないのではと、そして、残された自分は、この家で、嫁として裏方仕事をしながら暮らして行くが為、子供でありながら、連れて来られたのではなかろうか。
成人した女人なら、愚痴の一つもこぼすが、子供なら、そういうものかと、いや、そういうものなのだと、教え込まれ、進んで家の為に働く。
そうゆう事なのだと、春華は、ぼんやりと、仲達の世話をする侍女や下男達を眺めていた。
おかしなことに、使い手として、連れて来られたのなら、夫の看病ごとで、着替えを手伝ったり、敷布の洗濯を手伝ったりと、何らか仕事が与えられはずなのに、自分の部屋で、好きなことをしていれば良いと言われていた。
さらに、時々、見舞いと称して、仲達の部屋へご機嫌伺いに向かうのだが、その時も、別段、仲達の身の回りの世話を焼くこともなく、ただ、座って、枕元に積み重ねてある、書物を、仲達と共に紐解くという、なんとも、奇妙な見舞いが、行われていた。
すべては、春華様は、奥様ですから。この一言で、片付けられ、屋敷の使用人がまかなってしまう。
一体、自分は、何のためにいるのだろうと、疑問を持ちつつ、過ごしていたのだった。
「えー!父上は、お若い時、それほどまで、病弱だったのですか?一体、何の、ご病気で?!」
案の定というべきか、やはり、榦が、口を挟んできた。
話の腰を折られたと、別段気にする訳でもなく、春華は、それがねー、と、兄弟へ手招いて、声を落として、続きを話す。
「旦那様は、ひどい、通風だったのよ。もう、歩けないどころか、起き上がれないほど、体の節々が、痛むようでね。薬も効かないし、屋敷の者は、皆、困りきっていたの」
「なんと、通風!!」
「いや、ちょっと!母上、その頃の、父上は我らと、そう変わらぬ年ごろではないですか?!」
「なんで、そんな、ジジイみたいな、病気に……あー、だから、今、ジジイなんだ」
これっ、と、長兄二人に、睨まれ、榦は、肩をすくめた。
「ええ、まあ、なんで?と、いうのは、病のことですから、わかりかねるのですが、それは、それは、お世話が、大変そうで。そうでなくと、手がかかるのに……全く、なんででしょうねぇ、そんな時に限って……」
思い出すだけでも、面倒な話だと、はあー、と、春華は、息をつく。
「何故か、士官のお話が舞い込んで来たのです」
床に伏し、動きもままならず、どうして、お仕えできようか。
病を理由に、仲達は、誘いを断った。しかし、先方は、諦めることなく、幾度となく、足を運んでくる。
「まったく、どうやって、お仕えするのか、と、誰でもわかること。なのに、諦めるなど、全くもって、その気配がなく……屋敷には、常に、御使者の方が、来られていたわ。もう、なにをお考えに、なっていたのでしょう、曹操様は……」
えっ!!と、兄弟は、声を上げた。
曹操といえば、今の主君ではないか。
その様な、若い時から、いや、体が、まるで動かぬ状態で、執拗に乞われていたとは、一体──。
「不思議な話でしょう?」
と、母の問いに、息子達は、頷いた。
「うすうす、バレていたみたいなの、曹操様には、旦那様の仮病が」
えー!!!と、兄弟達は、叫んだ。
仮病、とは一体?!
何より、相手は、覇者、曹操。そして、そこまで、乞われているにも関わらず、病のフリを通しきっていたなどと?!