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名も無き妻3話

言葉通り、名の通った武将にしては、こじんまりとした屋敷に到着し、私は、少しほっとした。大きな屋敷であったら、気後れしてしまうであろうし、それだけ、使用人もいることだろう。


勤めていた御屋敷では、皆と、上手く行ってなかった私は、なるべく、人と関わりたくないという思いもあったのだ。


なぜか、屋敷は、城下──、街から随分と離れた場所にあった。


「これが、私の側付きだ。よろしく頼む」


私を白龍から下ろすと、迎えに出てきた老夫婦に、男、いや、趙雲様は告げた。


「足りないものは、二人に言えばよい」


言うと、再び白龍にまたがり、趙雲様は駆けて行った。


「ほら、裏の里山。あそこに池があるのですよ。その為、旦那様は、お住まいを、ここに定めているのです」


老人が言う。


「そこには、霊泉水おんすいが、涌き出ていて、沐浴すると、不思議なことに傷が癒えるんでね、白龍のお気に入りなんだよ。遠出をした後は、必ず連れていけと、旦那様を困らせる。実を言うと、そこを見つけたのは、白龍でねぇ……」


老婆が、得意気に話しだした。


見かねたかのように、老人が、おいおいと、諭すと、老婆は、さてもさても、お喋りが過ぎました。と、私へ微笑んだ。


「そうだ、お疲れでしょう。お前様」


「……お前様……」


「ええ、ここでは、旦那様の命で、名を呼ばないのですよ。きっと、もしも、の事を考えて……。そして、ここの者達は、皆、私らの、遠縁ということになっております」


「何も、そこまで、気を使わなくとも、旦那様ときたら、心配性で、ですから、奥様とは、お呼びできません。どうぞ、ご勘弁を」


老夫婦は、私へ頭を下げた。


「ああ、頭をあげてください」


恐縮する私に、二人は、妙に嬉しそうな顔をした。


「いや、旦那様が、側付きの女を連れてくると言い出した時は、ひやりとしたもんです。こりゃあまた、狐狸妖怪の仕業にはまってしまわれたのかと思いましてね」


「ほんに、ほんに。あの堅物の旦那様が、いつの間におなごなど」


おい、と、老人が、老婆を戒める。


「あれ、あたしときたら。なんだか、嬉しくてねぇ。また一人、孫が増えると思うと、お前さん、楽しいじゃあないか」


「孫って……こちらは、違うだろう?」


「いいえ、そうしてください。私は、ただの田舎育ち。学もありません。せめて、旦那様の足をひっばらない様に勤めたいと思っております。ですから、お二人の孫にしてください。そして、お前、と、呼んでくださいまし」


私は二人に、頭を下げた。


やはり、趙雲様は、皆のことを考え、万が一の事を考え使用人ですら見知らぬ者と扱っているのだ。


そして、私は──。唯一側にお仕えする、つま、だった。


老夫婦の言葉に、全てを知った私の中に、決意のような物が沸き起こっていた。


それほどまでに、家族、を、守ろうとしている人がいる。その人は、私を選んで側に置いた。だから、私はその人の思いに応えよう。


名も無き妻として、あの人を支えようと──。


「変わったお人だろう?ただね、ここの者は、皆、敵に攻めこまれ、命からがら逃げ延びた者ばかりなんですよ。本当に、着の身着のままで、誰にも頼れず、ほとほと困っていた時に、旦那様に出会った。そして助けて頂いた」


苦渋の顔で、語る老人の横では、老婆が、うなずいていた。


そうか、ここの人達は、皆、戦に巻き込まれ、恐ろしい思いをしてきた。だからこそ、趙雲様のお心遣いの意味がわかるのだ。


「旦那様、など、仰々しい呼び方は、やめろと言っているだろう!」


良く通る声がした。白龍にまたがる趙雲様が、不機嫌そうにこちらを見ていた。


白龍はというと、機嫌良く、前足を小刻みに踏み鳴らしている。身体からは、ほのかに、湯気が上がっているから、裏山の霊泉水おんすいが涌き出る池へ、行って来たのだろう。


「あー、もういいから、白龍を頼む。藁でしっかり水気を脱ぐっておいてくれ」


またがる白龍から降りた趙雲様は、老人に手綱を渡した。


「ああ、腰が痛い。悪いがね、お前、婆の変わりに、旦那様のお着替えの手伝いを頼めるかい?」


「き、着替えなど、一人で、出来る!」


「って、仰られても、そういう訳には。この子にも、しゃんと、仕事を覚えてもらわなきゃ、なりませんからね!」


あー、痛い、おー、痛いと、ぼやきながら、老婆は拳で、少し曲がった腰をとんとん、叩くと、奥へ消えてしまった。


「まったく……あの婆さんは……」


思わず、くすりと笑った私に、趙雲様は、はっとして、


「あ、ああ、このまま立ち話もなんだ、私の部屋へ来てくれ」


と、少しうつむき加減で言った。


私は、その時、ずっと、屋敷の門前で、老夫婦と話していたのだと気がついた。


「も、申し訳ありません!」


お屋敷の門前で、立ち話など持ってのほか。私は、慌てて、趙雲様に詫びをいれた。


「なにか……私は、やらかしたのだろうか?どうも、屋敷暮らしには、なれなくて……」


と、また、眉尻をすこし下げる、あの困った顔を趙雲様は、私へ向けた。


「い、いえ、何もございません。こちらのことです」


「そうか」


とだけ、答えると、趙雲様は、踵をかえした。


私は、門を潜るその広い背中を追ったのだった。

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