言葉通り、名の通った武将にしては、こじんまりとした屋敷に到着し、私は、少しほっとした。大きな屋敷であったら、気後れしてしまうであろうし、それだけ、使用人もいることだろう。
勤めていた御屋敷では、皆と、上手く行ってなかった私は、なるべく、人と関わりたくないという思いもあったのだ。
なぜか、屋敷は、城下──、街から随分と離れた場所にあった。
「これが、私の側付きだ。よろしく頼む」
私を白龍から下ろすと、迎えに出てきた老夫婦に、男、いや、趙雲様は告げた。
「足りないものは、二人に言えばよい」
言うと、再び白龍にまたがり、趙雲様は駆けて行った。
「ほら、裏の里山。あそこに池があるのですよ。その為、旦那様は、お住まいを、ここに定めているのです」
老人が言う。
「そこには、
老婆が、得意気に話しだした。
見かねたかのように、老人が、おいおいと、諭すと、老婆は、さてもさても、お喋りが過ぎました。と、私へ微笑んだ。
「そうだ、お疲れでしょう。お前様」
「……お前様……」
「ええ、ここでは、旦那様の命で、名を呼ばないのですよ。きっと、もしも、の事を考えて……。そして、ここの者達は、皆、私らの、遠縁ということになっております」
「何も、そこまで、気を使わなくとも、旦那様ときたら、心配性で、ですから、奥様とは、お呼びできません。どうぞ、ご勘弁を」
老夫婦は、私へ頭を下げた。
「ああ、頭をあげてください」
恐縮する私に、二人は、妙に嬉しそうな顔をした。
「いや、旦那様が、側付きの女を連れてくると言い出した時は、ひやりとしたもんです。こりゃあまた、狐狸妖怪の仕業にはまってしまわれたのかと思いましてね」
「ほんに、ほんに。あの堅物の旦那様が、いつの間に
おい、と、老人が、老婆を戒める。
「あれ、あたしときたら。なんだか、嬉しくてねぇ。また一人、孫が増えると思うと、お前さん、楽しいじゃあないか」
「孫って……こちらは、違うだろう?」
「いいえ、そうしてください。私は、ただの田舎育ち。学もありません。せめて、旦那様の足をひっばらない様に勤めたいと思っております。ですから、お二人の孫にしてください。そして、お前、と、呼んでくださいまし」
私は二人に、頭を下げた。
やはり、趙雲様は、皆のことを考え、万が一の事を考え使用人ですら見知らぬ者と扱っているのだ。
そして、私は──。唯一側にお仕えする、
老夫婦の言葉に、全てを知った私の中に、決意のような物が沸き起こっていた。
それほどまでに、家族、を、守ろうとしている人がいる。その人は、私を選んで側に置いた。だから、私はその人の思いに応えよう。
名も無き妻として、あの人を支えようと──。
「変わったお人だろう?ただね、ここの者は、皆、敵に攻めこまれ、命からがら逃げ延びた者ばかりなんですよ。本当に、着の身着のままで、誰にも頼れず、ほとほと困っていた時に、旦那様に出会った。そして助けて頂いた」
苦渋の顔で、語る老人の横では、老婆が、うなずいていた。
そうか、ここの人達は、皆、戦に巻き込まれ、恐ろしい思いをしてきた。だからこそ、趙雲様のお心遣いの意味がわかるのだ。
「旦那様、など、仰々しい呼び方は、やめろと言っているだろう!」
良く通る声がした。白龍にまたがる趙雲様が、不機嫌そうにこちらを見ていた。
白龍はというと、機嫌良く、前足を小刻みに踏み鳴らしている。身体からは、ほのかに、湯気が上がっているから、裏山の
「あー、もういいから、白龍を頼む。藁でしっかり水気を脱ぐっておいてくれ」
またがる白龍から降りた趙雲様は、老人に手綱を渡した。
「ああ、腰が痛い。悪いがね、お前、婆の変わりに、旦那様のお着替えの手伝いを頼めるかい?」
「き、着替えなど、一人で、出来る!」
「って、仰られても、そういう訳には。この子にも、しゃんと、仕事を覚えてもらわなきゃ、なりませんからね!」
あー、痛い、おー、痛いと、ぼやきながら、老婆は拳で、少し曲がった腰をとんとん、叩くと、奥へ消えてしまった。
「まったく……あの婆さんは……」
思わず、くすりと笑った私に、趙雲様は、はっとして、
「あ、ああ、このまま立ち話もなんだ、私の部屋へ来てくれ」
と、少しうつむき加減で言った。
私は、その時、ずっと、屋敷の門前で、老夫婦と話していたのだと気がついた。
「も、申し訳ありません!」
お屋敷の門前で、立ち話など持ってのほか。私は、慌てて、趙雲様に詫びをいれた。
「なにか……私は、やらかしたのだろうか?どうも、屋敷暮らしには、なれなくて……」
と、また、眉尻をすこし下げる、あの困った顔を趙雲様は、私へ向けた。
「い、いえ、何もございません。こちらのことです」
「そうか」
とだけ、答えると、趙雲様は、踵をかえした。
私は、門を潜るその広い背中を追ったのだった。