あの、乙女が山積みの薪を見て驚いている。
張飛は、思わず駆け寄っていた。
「薪じゃ!どうだ、足りるか!」
雷声の迫力に後ずさる女の手を、張飛は遠慮なく掴むと、そのまま肩へ担ぎ上げた。
女は、足をじたばたさせて、なんとか逃れようとしている。そして、背後では、屋敷の下男達が、お嬢様!と、叫んでいた。
「なっ!主は!この屋敷の!」
「ええ、私をひどい目に会わすと、あなた、痛い目に会いますよ!」
「ちょっと待て!つまり、主は、夏侯淵、いや、夏侯淵殿の……」
「娘です!怖じ気付きましたか!」
身分をあかし、なおかつ、逃れようとする女に、張飛は叫んでいた。
「気に入った!!やはり、ワシの嫁御は、主しかおらん!!行くぞ!!」
ちょっと、あなたは何を、と、女は抵抗するが、そのちいさな体はしっかり張飛の腕に抱え込まれている。
「あー!暴れるな!動くな!落ちる、大変じゃ!」
「大変なことをしているのは、あなた!!」
女は、すかさず、張飛へ食ってかかった。
「ほお、父君が、助けに出て来られるか?それは、あるまい。行くぞ!」
うわっー!と、下男達が叫び薪を投げつけてくるが、
「こざかしい!薪がお前達のお嬢様、とやらに当たればどうするっ!旦那様が、御戻りになったら折檻されるぞ!!」
余裕綽々で怒鳴りつけた。
その迫力と言い分に下男達は震え上がった。
「あー、ほんとうに、なんてことかしら」
「どうした?なんてことはない、ワシの嫁御になるだけの話ではないか!」
「つまり、蒔きと交換されるわけですか!」
わははは、と、張飛は笑った。さすがは、夏侯淵殿の娘じゃと……。
そして、
「劉備様の一の家臣、この、張飛益徳が、夏侯淵殿の娘、もらって行くぞ!」
叫ぶと同時に馬に飛び乗った。
はっ、と、声をかけ、胴を思い切り蹴り、馬を全速力で走らせる。
背後からは下男達が追いかけてくるが、馬は、あっという間に距離を開けた。
そして、あの雑木林に二人はいた。
「まったく、あなたという人は!」
「まあ、許せ、ワシは、本気なのじゃ」
「本気だって言っても、やり方があるでしょうに!」
「これしか、思い浮かばんかった!!」
はあ、と、女は息をつく。
「もう、呆れてものが言えません」
「そうか!それでは、ちいと狭いが、住み処へ向かおう。なに、暫くすれば、御屋敷住まいができるようになる。今は、時期が悪くてのお」
「そんなときに……騒ぎを起こすなど。それに、父が知れば……」
ははは、と、張飛は笑った。
「知られる前に、ずらかるだけよ!」
今、夏侯淵は、屋敷を開けている。遠征に出ているはずだ、と、酒場で耳にした事を、うっかり忘れていた。と、張飛は言った。
「なぜ、忘れていたか分かるか?」
張飛の問いに、女は首を振る。
「主に、ここで出会ったからじゃ!余りの美形に、ワシは、すっかり見惚れてしまい、大切な情報を忘れてしもうたのよ!!」
この地に夏侯淵の本宅があると小耳にはさみ、更に、酒場で噂を集めた帰りに、夏侯淵の娘に出会うとは。張飛は何やら悦に浸っている。
「なんだか、本当に変わった人」
「おお!さっそく、誉め言葉か!夏侯夫人よ!」
「えっ?」
「そうじゃろう、ワシの嫁御になるのじゃからの、もう、主は、夏侯夫人ぞ!」
そして、女の小さな手を取り、
「月明かりで見ると、なお、美しい。子供の為にも、やはり、主でなければ!」
考えてみろ、仮に、女が産まれたとして、自分に似てしまえば、ぐりぐり頭に、どんぐり眼、挙げ句、ぴんぴんした虎髭まで生えてしまえば、一生恨まれる。しかし、これだけ美形の母親ならば、何も案ずることはないだろう。
そんな絵空事を真顔で語る張飛に、女は思わずクスリと笑った。
「では、男、ならば?」
「おお、ワシに似て、勇猛な将になる!」
二人は顔を見合わせ、笑った。
そして、馬に乗り庵へ向かったのだった。
こうして張飛に略奪された花嫁が、勇猛な男子と美しい女子を産むのは……、もう少し先の話になる──。
略奪された花嫁(了)