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第7話

 視界に何も映らない真っ白な世界。そこに雨が降るようにピースが現れると、徐々に形を成し新たな世界を構築し始めた。


 暖かい。全身を包み込む慈愛。いつまでもこの場にいたいほどに心地よくとても安らかだった。


「っ!」


 突如視界がノイズを交えて切り替わる。たった今世界は誕生し、カイル達は楽園と誘われた。


 意識が覚醒し、有象無象の住民の一人となる。道行く人は皆笑顔で眩しい笑みを浮かべ、各々の日常を謳歌していた。老若男女問わず、誰もがここには受け入れられている。


 人口はかなり多い筈なのだが少しの不快感は存在せず、空気も澄んでおり呼吸を繰り返すたびに気持ちがいい。


「……」


 なぜここまで気分が晴れやかになるのだろう。敵地である筈なのだが常にここで暮らす住民たちを羨ましいとさえ思ってしまう。


「いかんいかん!」


 カイルは両頬を思い切り叩き、気合を入れた。この場の雰囲気に飲まれてはならない。気を抜くと何の思考も無くすぐに気分が良くなってしまう。何としてでも警戒心を維持しなければ。


 ……というより。


「ルシェル!?」


 振り返っても人々に首をかしげられるのみ。この場にルシェルの姿は無かった。


「クッソ……。一緒に来たよな……?」


 端末を取り出しルシェルに連絡を……。


「駄目だ。通信が遮断されてやがる。……まぁしゃあないか。魔俜人の本拠地で使えるようには作られてないしな」


 まずはルシェルと合流することが大事か。カイルは何かあってもルシェルに守ってもらうべくルシェル探しを開始した。



******



「……」


 ゴツゴツとした固さにほんのりと不快感を催す冷たさを感じ、ゆっくりと瞼が開く。曖昧に靄がかった頭を掻き、緩慢とした動作で上体を起こした。きょろきょろと見渡して辺りを確認する。


「どこだここ……ってあぁ……楽園に招待されたのか」


 過去を思い返し自分の行動の遅さを嘆く。まさかランデが招待してくるとは夢に思っていなかった。


 だが、楽園の仕組みは大体理解している。そのため、気づいたら別の場所におり何故か気分が晴れやかになっていることには触れない。ハッキリと目的は頭に残り続けている。


「しっかし……」


 四方八方壁壁壁。唯一見えるは魔法の施された頑丈な柵。特に持ち物が盗まれたりはしていないようだが、複雑に何重にもかけられているため破壊は難しいだろう。出来てもかなり時間がかかりそうだ。


「俺を牢屋に閉じ込めて、何が目的だ死霊師」


 自分の今置かれた状況については、早急の対処が必要だと頭を抱えた。



*****



「そういやここ来る際のビジョン的なの……どっかで見たような……あ」


 カイルはフィーネが連れ去られた際のあの教会での出来事を思い出した。あそこから街へ移動する際、一瞬だけ別の世界が見えていたのだ。あの時は特に深く考えていなかったが、今思えばあれはこの招待する魔法の派生形なのではと感じた。空間移動を可能とした存在はアルザンの仲間以外にいない筈。恐らく楽園に繋げる何らかの魔法を二重にかけていたとかだろうか。一度楽園へ移動し瞬時に別の場所へ移動させるというような感じだ。


「あの貸出って……エリア移動の際に楽園へ一時移動していたのか」


 ぶっちゃけ詳しい原理は全く分からない。だが一応はその手の魔法だろうと納得しておく。絶対とは言えないが、あり得ない話では無いだろう。


「……ていうか」


 少し街中を歩いていて気付いたこと。


 時折すれ違う魔俜人達は拘征官であるカイルに大半が気が付き、一瞬恐れの表情を見せるがすぐに顔を戻し各々の目的に動き回っていた。特に通報するような素振りも叫ぶなどの恐怖を共有するといったことも行わない。しばらく歩いているうち、ただの住民の一人のような扱いになってきたと判断して良いと思えるほどだ。誰でも平等という考えを持っているのか招待を受けると何らかの変化が生じるのかは定かではないが、とりあえずは都合がいい。


「……」


 だがランデは間違いなく何らかの意図を持ってこちらを送り込んだ。相容れぬ存在である以上善意の可能性は皆無だ。突然の戦闘も覚悟しておいた方がいいだろう。その際に自分が殺される確率が相当に高いことも。


「おい兄ちゃん。これくってけよ」


 脇に構える露店主に声を掛けられる。見ると、出来立てで絶対美味いフライがあった。


「美味そう」


 一つ購入。


「そこのお兄さん! これ美味しいよ! 試食してみな!」


 一つ購入。


「あんた元気無さそうだな! これでも食って元気出せよ!」


 一つ購入。プラスもう一つおまけ。


「……もぐ」


 さっきからずっと食べている。財布はどんどん軽くなり冷たくなる。カイルはこれではまずいと感じながらも食べることをやめられない。


「ううう……うめぇよぉ……。うめぇいぃ……」


 泣きながら黙々と食べるカイル、お腹もどんどん膨らんでいく。


「……」


 なんてやってる場合では無い。カイルはやっと冷静さを取り戻す。

 全く情報が無いとても困った状況なのだ。カイルは流石に危機感を募らせた。


「どうしたもんか……お」


 古びた露店にて、色々と丸められた地図のようなものが見えた。


「すみません」


 露店主は拘征官の服装に一瞬眉を顰めるも、すぐに顔を戻し笑顔で応対してきた。


「なんでしょうか?」

「これって地図ですか?」


 一応商品名は地図となっているので多分合っていると思っている。露店主は一つ取り出す。


「そうですよ。楽園を迷わぬよう簡易的な地図を安価で販売しているのです。あなたも客のようですが、お一つどうです?」

「あ、はい」


 独自通貨が使われているわけではない、ということは先ほどの食べ物で証明されている。カイルは財布を取り出し残りのお金をぼったくられた。


「なんじゃこりゃ楽園風俗巡りってなんやねん!」


 カイルは楽園に存在する風俗の場所しか分からない奇妙な地図を買わされた。顔を歪め大粒の涙をぽろぽろと流す。


「ちくしょう……こんなんで分かるわけが……ふむ」


 よく考えると、風俗は手掛かりになるのでは? とカイルは思った。ここでやるべきことは、ゼインがいるか否か、エレナ達に関係しているかの調査だ。ゼインが仮に生きていればどこかにいる可能性がある。ルシェルは絶対にいないが、一応は価値ある地図だといえるだろう。というより役立ってもらわないと涙で枯れる。


「お困りですか?」

「ん?」


 地図を覗こうとする影を見つけ、カイルはその主に顔を向けた。ハンチング棒のようなものを被ったTシャツ短パンの、割と軽装の少女。


「何かお探しなんでしょう?」


 確かに探してはいるが、魔俜人を巻き込むつもりはない。下手に干渉して敵対行動に発展するのが最も面倒なのだ。


「まぁ……そっすね……」


 嘘が付けなかった。カイルは普段気の置けない人たちとばかり関わっているため赤の他人への免疫が無かったのだ。少女はカイルの顔と下を流し見る。


「風俗の地図を持っていたので変態だとは分かっていましたが、真昼間から大きくしてどの店舗へ行くかというお悩みですか?」

「違います断じて違います行ってみたい感じたい童貞を卒業したいなんて思ったりはしていますが行きませんあくまで色々トォ!?」


 カイルは自分の股間が猛々しくそり立っているのに気付いた。自分でもびっくりな程肥大化している。軍装は余裕のある形をしているため少し立った程度では全く気付かれないものなのだが……。これはやばい。


「違う違うんです最近溜まってるなとは思ってますが断じて変態では無く私は」

「長いです」

「すみません」


 少女は特に顔を赤らめたり恥じたりする様子は無かったので、カイルは気にするだけ無駄だと無理やり判断した。


「……ほう。友人をお探しと」

「訳あって友人とはぐれてしまい……」


 招待どうこうは分からないのでとりあえず人探ししてる迷い人を装う。ぶっちゃけ自分でも今の状況が分かってないし。


「お任せください! 私が見つけてさしあげます!」


 少女は何故か自信満々に大きく胸を張る。小ぶりな胸が強調されカイルはどっくんどっくんじゃなかった顔も分からないゼイン達をどうやって見つけるのだろうか。顔を知らずに見つけるなどプロの探偵でも不可能だろう。


「そ、そっすか」

「では行きましょう! 神があなたをお呼びです!」

「大げさな……。てか頼んでないし」

「行きましょう!」

「は、はい」


 カイルは断り切れず、というより可愛かったので素直に付いて行くことに決めた。断じて変態では無い。多分。


「ふんふんふーん」


 カイルと同等と呼べるレベルの鼻歌を披露し大げさに大股歩きで歩く少女。しかし歩きはとても早く、カイルは追いつくのに必死という謎現象が起きている。


「ちょっ! ちょいまち……」

「ふんふーんふーん」


 完全無視。自分がいなければゼインを見つけるのは不可能だが、どこへ行こうというのかね。


「かっこいい人来てます?」

「かっこいい人? うーん。うちはモテない男―あ、あの人みたいなの専門店だから」

「そうですか」

「おいこのクソアマめっちゃひどいこと言ったぞ」


「かっこいい人来てます?」

「みーんなかっこいいよ! それに……。テクも凄くって私達がお金払いたくなっちゃう!」

「……まぁいいや。じゃあ俺とおんなじ服着た奴見かけたりは」

「なーに? あなたみたいなー? うーん。そんなセンス無い服着てる人は見てないかも」

「なんでさっきから俺は見知らぬ相手に悪口言われねばならないのでしょうか」


「いませんね」

「いるわけないだろ」


 本気で想定外の顔をする少女。カイルは、お前に何も言ってないのに分かるわけないだろと言葉に出かかる。


「あり得ません……。この私が……依頼をこなせないなんて……」

「そりゃあかっこいい人聞いてマトモな答えが戻ってくるわけないですからねぇ」

「なんですとぉ!?」

「驚くなや」


 このままでは日が暮れる。いつまでこの楽園にいられるかも分からないし今のままではまずい。彼女は善い人ではあるようだが逃げるべきだ。プライベートでムフフな関係になるなら大歓迎だが。カイルはほんの少しほんの少ーしずつ少女から距離を取る。


「逃げないでくださいよー」


 距離が逆に縮まる。良い匂いが鼻孔をくすぐり正直興奮する。


「めっさいいにじゃなくて近い」

「いいではないですかー」

「興奮するけどじゃなくてちょい離れて襲うぞじゃなくてここどこ」


 カイル達は、色々と聞き込みをしている内にいつの間にか水路の中に来ていた。なんでここまで来たのか意味不明だが気付いたらいた。


「怖い怖いブルブルブル」


 荒廃した水路の中は、冷たい湿気が辺りを包み込んでいた。地下の闇に薄い光が差し込み、底に広がる影がじわりと伸びている。足元は冷たく、そこに散らばる小石や擦り切れた紙切れが足音を消し去る。


 天井はそれなりに高く余裕があるが、湿った壁面からは水滴が時折滴り落ちる音が響き、窮屈さを時に感じさせた。人は当たり前だがおらず、風が静かに吹き抜ける。観光都市と呼ばれる騒々しさが、まるで嘘のような静寂さが広がっていた。


「怖い漏れる」

「……」

「……」

「なんです? 美少女と人気の無い空間にいるからって、息を乱さないでください!」

「乱してないよ!?」

「乱してください! 失礼でしょう!」

「なんでや! 襲われ願望持ちか!」

「持ってません! ただ一般常識としての話です!」

「そんな常識無いけど!」


 関わってはまずい人だったようだ。見た目が良いうえに若いとなると、カイル程度の凡人では軽く騙されるなと理解した。カイルは少しでも心を許していた自分を反省し、断固とした姿勢で接することを決める。襲いたいけど我慢。


「とりあえず、俺忙しいんでお先に失礼します」

「え? まだ終わって」

「善意は感謝しますがこれ以上は一人で頑張りますありがとうございました!」


 カイルは深々と頭を下げ、Uターン。警備部に見つかった時以来の全力疾走を披露した。


 背後に殺気。


 カイルは斜め前に飛び込んで回転し、瞬時に旋回し少女を見た。


「てめぇ怪しいと思ったら……警備人か? ま、とりあえず狙いは俺の命か」

「うーん上手くいかないものね!」


 少女の周りには、氷の刃が多数展開されていた。複数の連続攻撃により、避ける隙を与えない気だろう。


「俺を殺す前に俺と一日繋がってほしい」

「え、ちょっと発言きもすぎます」

「氷系統の射出メインときたか。中長距離型。ま、脅威じゃあねぇな」

「何この人」

「頼む付き合ってくれ」

「気持ち悪い」

「てか大体の連中が俺見ても特に何かしてくるわけでも無かったんだが。何でお前は襲ってくるん? 警備人だから?」


 警備人がどんな相手かは知らないが、人畜無害のような少女であるならばメリットは多い。だが少女は首を横に振った。


「違うよ。正式な招待客は警備人の対象じゃないから。その証拠に皆、敵である拘征官の服見ても何も言ってこないでしょ? 流石に全員外の世界知らないってことは無いから」

「じゃあなんだよ」

「これ以上教えることは何も無いよ」


 少女は本性を現すとともに敬語が消え去ったが、カイルはそれもまた可愛いと気色悪いことが脳裏に浮かんでいた。


「なあ俺分からないこと多くてよ。楽園のこと色々」


 頬を掠る氷刃。


「……話してはくれないようだな」

「まぁね。今から死ぬ人に話すのは時間の無駄でしょ?」


 相手は勝利を確信しているようで。何か策でもあるのだろうか。カイルは相手の隠し玉について色々と考えを巡らせるも分からないので諦めた。


「そうかい」


 カイルはつま先立ちをしてパッセをする。


「かかってこいよ魔俜人。俺っちが美しく儚いその命、華麗に処理してやる」


 まるでバレリーナのように美しい動き。そんな芸術と化したカイルに少女は。


「いいのー? 殺しとか極力しないよーにって言われているでしょ?」


 何一つ触れてくれなかった。カイルはかなり頑張ってそれを維持しているのだが、本当に一文字も触れてくれなかった。完全無視。なのでカイルは限界までパッセを続けることに決めた。


「それは強い奴には適用されないんだ。つまりあんたを強敵と見なせば殺害おっけー」


 物騒な台詞を平然と言いのけるカイル。


「駄目でしょー。君達はあくまで魔俜人をこの世から消すのが目的でしょ? 殺しちゃったらいつか人殺しになっちゃうかもよ?」


 確かに少女の言う通り、拘征官には設立された悲願がある。カイルは阿呆なので詳しくは知らないものの、殺しは極力避けるべき事象だとは理解していた。だがこの仕事は人手不足が激しいうえ今は正式任務ではない。移送班は呼べず生かして楽園から出るのも難しい。それに。


「悪いが俺は割と殺してる」


 カイルは特に悪びれも正当化もせずただ直球的に言い放った。


 生きたまま敵を捕らえるというのは、それを可能に出来るだけの実力が無ければならない。カイルは自らがあまりにも弱すぎるため手加減が出来ないタイプなのだ。


「……ほんと?」

「うんまじまじ。ま、一般人には知られていないからだいじょーぶ」


 少女の顔が青ざめた。


「たまにいるよねー。拘征官を信じてるのか知らないけど、殺されはしないと高をくくってる奴。駄目だよー。君らが殺そうとしてくるのに俺らが何で手加減せねばならんのじゃ。俺らだって何もしてない奴に危害加えたりはしねーよ」


 これまた一般人には知られていない事実だが、魔俜人だと判別器が反応しても、その対象が一切の魔法を使用せずに普通の人間として暮らしているのであれば、特に干渉はしないという暗黙の了解がある。あくまで明らかな悪意のみを狩るような感じだ。


 少女はカイルが平然と殺すと言うことに少しばかり身体を震わす。


「……怖い」

「女の子にはちと刺激が強すぎたかな? 安心しろ。今後一切の攻撃しないと誓えるのであれば見逃す。そうすりゃ急だなっ!?」


 少女は大量の氷刃を一気にカイルへと飛ばしていた。まだ話は終わっておらずカイルは泣きたくなったが即時剣を抜き起動、息を整えつつ的確に弾いていく。


「もう無理つま先痛い」

「じゃあ次はこっち!」


 少女は氷刃を複数つなげ合わせ巨大な槍を生成、かざしていた二本指を折り曲げ射出。威力は数段上がっているようだがこの程度なら。と思ったが諦める。


 氷刃による連続攻撃に時折差し込んでくるのだ。威力の低い氷刃であれば何度来ようと問題なかったが、定期的な氷槍は受けるのにかなりの力を要し、見える度に動きを変えねばならない。対応力の無いカイルは何度かの攻撃を防いだ後大きく後方へ吹っ飛んだ。


「あうgふへあううっるbッ!」


 カイルは剣を左手で持ち、鞘を腰から外して右手で握りしめた。二刀の構えとなり先ほどよりも簡単に氷槍を破壊する。


 だが、消耗は中々に激しい。上手く体勢を維持できず落下、受け身が取れず音を立てながら地面を転がった。お水が口に入った気がしてカイルは吐きかける。


「おえぇっ! 苔食べちった明日下痢確定だな」

「……なんか戦う気が失せちゃう人だね。……本当にこんな奴が脅威なの?」

「うん間違いなく違う人だね」


 少女はカイルを訝し気に見つめるが、カイルも全肯定だ。拘征官という意味では脅威だが、わざわざ脅威と見なされる実力はない。……まさか。


 カイルの脳裏にはルシェルやゼインが浮かび上がっていた。あの二人であれば間違いなく強者であり魔俜人、継承者としても始末しておくべき存在だ。だがゼインはいるのか生きてるのかすら不明。恐らく同時に楽園へ入り込んだルシェルを警戒しているのだろう。相手は顔を分かっていない筈。


「間違われる身にもなってほしいぜ……」

「じゃあさっさと終わらせて本命探そっと」

「場所は分からねぇのか」


 探そうと言っているあたり、ルシェルの居場所は分かっていない。つまり招待客がどこにいるかといった情報は開示されないと見た。となると、刺客が向けられないのも(今は例外)納得がいった。


「ん? 別にどーでもいいでしょこっちの事情は」

「うあぎひわいおjgr!」


 とてつもない悪寒を感じ振り返ると、そこには巨大な魔法陣が浮かび現れていた。そこから徐々に姿を構築するものは、自分の体の数倍もの大きさを誇る巨大な氷杭だった。しかも高速回転を始め、カイルを貫かんとして(潰されそうだが)移動を開始した。流石にどうあがいても弾いたり破壊したり出来なければ、大きすぎて左右に避けるのもかなり厳しい。


 カイルの脳みそは焦りに飲み込まれ性欲はゼロとなった。


「おいおい反則やろあれは。ここ壊したら怒られね!?」

「大丈夫この水路はもう使われてないから。普通の人は来ないし壁も厚いから多少の戦闘があっても問題は無い」

「なにそれ怖い。……やるしかねぇか」


 こちらが死ぬまで終わらないというわけか。全く悲しい話である。大絶叫ものである。


 仕方がないのでカイルは覚悟を決めた。


 鞘に剣を戻し、腰に取り付ける。


 そして。


「うおおおおおおお!」

「えぇっ!?」


 氷杭を完全無視。カイルは大きく手を振って少女に走り出した。


「ちょっ! こっち来んな!」


 少女はカイルの道を阻むよう攻撃を行う。だがあの杭や氷槍を再度出現させるのは不可能なようで、小さな氷刃のみが飛び交ってくる。カイルは抜刀しそれを全て弾き飛ばすしながら距離をどんどんと詰めていく。自分の夢を叶えるために。


「最後ぐらい女の子に触れて死にたいんだぁあぁあぁあぁあ!」


 大技ガン無視のカイル。


「きゃああああああ変態ぃいぃぃぃい!」


 遂に恐怖に打ち負けた少女は、身を翻して涙ながらに走り出す。巨大な氷杭から逃げるカイルから逃げる氷杭の主である少女という謎の逃走劇の始まりだ。


 無駄に長い道を走り続ける二人。もはや戦闘ではなくただの色々を懸けた鬼ごっこのよう。


「来るなぁぁぁ!」

「死ぬ前におっぱい揉みたいんだぁぁぁぁぁ!」

「本性だしてくんなぁぁぁ!」

「尻尻尻! 揉ませてくれぇぇぇぇ!」

「誰か助けてぇぇぇぇぇ!」


 カイルは壁に向かって走り壁に飛んだ。壁に足を付け壁を走り、まるで地上のように全力疾走。何を考えているかは読めないが、とりあえず速い。


「ちょちょちょちょ足速くない!?」

「ひいひひじひおっぱいパワァァァアァァ!」


 あっという間に少女の横に付いたカイルは、剣をやり投げのように全力投擲。


「きゃあっ!?」


 少女は何とか回避するも少し体勢が崩れ前かがみ寄りになる。


「ほんといみわか」


 カイルが目の前にいた。


 投げた筈の剣を構えている。


 少女は慌ててブレーキをかけるも、勢いはそう簡単に止められるものではない。


「死ね魔俜人」


 絶体絶命。


 カイルの表情は冷酷そのもので、下手な命乞いは通用しないと悟った少女。


 この状況を打開するには、最早これしかなかった。


「おっぱい揉ませる!」

「え? いいの!?」


 カイルの動きが止まった。少女はカイルに激突しその場に倒れ込む。その影響か、氷杭も続くように消えた。カイルの勝利である。


「いたた……っ!?」


 カイルは目を輝かせて少女を見ていた。何やら様子がおかしい。何か連呼している。


「おっぱい……おっぱい……」


 やばい言葉だった。この方法しか思いつかなかったとはいえ、死んだほうが良かったか? なんて脳裏によぎるレベル。


「ちょ……あの……その……」


 涎が滝のように流れ目が虚ろなカイル。手は定期的に剣を放り投げ、自由になるとシミュレーションをしていた。数回揉む動作をして剣をキャッチして投げてまた揉む動作を繰り返している。しかもその間の視線が少女の胸部から動くことはない。まるで機械だ。一切刃に触れないところも、カイルの気持ち悪さを高めている。


「おっぱい……一日中もみもみ……はっぴぃ……」

「そ、それは流石に……」


 少女は自身の胸元も腕で隠し顔を赤らめる。恐怖のあまり少しずつ後ろに下がっていく。だが、それに呼応するようにカイルが近づいてくるため離れられない。離れようとすればするほどカイルの接近速度が加速する。


「へへへ……じゅる」

「ひぃっ!?」


 覚悟を決めた方がいいのかもしれないと、少女の中で悲しき現実が迫ってくる。魔法を使おうにもカイルの動きは速く恐らく躱される。もう無理だろう。欲望全開の獣には話も通じない。


「……ぐすっ……」


 少女は遂に諦め目を閉じた。少しでも早く終わってくれることを祈って。身体が震える。見知らぬ変態はここまで恐ろしいのかと、近づいたことを後悔した。


 カイルは抵抗が無くなったことを確認すると、太陽のように輝くご満悦の笑みで少女の前にしゃがみこむ。手を少女の守る場所へと向かわせる。


「へへへおっぱいおおおっぱいいただきまーす!」


 カイルは少女を蹴り飛ばし気絶させた。その場に倒れ込む少女。


「……さてと」


 声が化け物から人間に戻ったカイルは少女の服を触る。決して触りたかったからではなく、何か情報になるものが無いかを探る。


「何も持ってねぇなこいつ。まるで捕まる前提みてーだが。何考えてやがる」


 カイルはいつかのゼインにやられた愛の往復ビンタを披露。少女を無理やりたたき起こす。


「……! え……」


 少女はマナルフトへの結合を遮断させる拘束具を装着されており、身動きが取れなくなっていた。カイルからはとってもえっちな視線を感じる。何とも言い難い怖さだ。


「はぁ……はぁ……はぁ……! おいぃぃぃい……お前、名前は……」


 カイルが息を荒げながら聞いてくる。とんでもない変態だ。答えねば何があるか。少女は俯くと呟くように言った。


「ル……ルミナ」

「あぁん! ルミナ! いい名前ださぁ僕におっぱいを舐めじゃねぇ情報吐け」


 性欲に支配されかかる男―カイル。少女―ルミナはもう一度気絶するのではという程に恐怖に覆われた。だが何とか平常心を保ち叫ぶように答える。


「わ、私は何も知らない! 下っ端だから機密情報なんて持って無いよ……!」

「俺を襲うよう言われたんだろ? ただの捨て駒に拘征官襲わせねーだろ。まぁ俺を雑魚と見なしたらあり得る話だけど」


 自分で言ってて悲しくなるカイル。


「私は拘征官を捕らえるよう言われたの」

「嘘つけ殺そうとしてきただろ」

「この程度で死ぬような相手ならいらないって言われたの!」

「あ? どういうことだ」


 ルミナの言葉を聞くに、こちらを何らかの理由で欲しがっているように思えるが。


「え、えっと……い、言えない……」


「言えよ揉むぞ」

「言えないの!」

「いただきまーす」

「殺されちゃうの!」

「あ?」


 ルミナは涙を落とし身体は震えていた。これはカイルへの恐怖では無く別の何かだと、恋愛以外鈍感なカイルでも分かった。


「い、言ったら殺されちゃうの……」

「誰にだ」

「い、言えない……」

「言えよ揉みまくるぞ」

「名前も言えない。言うより揉まれたほうがマシ……」


 少女らしからぬ発言。有益な情報はもう望めそうにないか。


「……そうか。じゃあいただきます」

「え!?」

「嘘嘘こういうのは愛し合う仲でやらんとな」

「……」

「なんだこいつきもって思ったでしょ」

「……思ってないよ?」

「思った思ったぜった」


 弾いた。カイルはルミナの前に立ち剣を構える。


「誰だ」


 オールバックの目つき鋭い男が手をぽきぽきと鳴らしながら姿を見せた。黒衣で身を包み込んでいる。カイルにはその服装に見覚えがあった。


「……あの時の」

「雑魚一人倒せねー役立たずを殺しに来ましたー」


 舐め腐ったような態度でおちゃらけた声を出す男。カイルは一旦何者かは保留することに決めた。


「雑魚って俺? にしては防げちゃったが」

「お前馬鹿か? まずお前を狙ってねぇ」


 煽ろうと思ったら逆に馬鹿にされたカイル君。とても悲しい気持ち。ルミナを指さす。


「じゃあお前がこいつに俺を捕まえるよう頼んだ奴?」

「いいや。それは俺の雇い主だ」

「てかここ楽園だよな。なんでこんなガラ悪い奴いるねん」


 楽園とは? なんて哲学じみた思考がカイルを包み込む。それ程までに男の雰囲気は安寧とは言い難かった。


「面倒だから単刀直入に言うぜ。俺らに付いてきて役に立て拘征官。そうすりゃ生かしといてやる」

「行きます」

「行かない方が」

「なぜ?」

「こ、殺される……多分。何人も殺してるから」

「えぇ……」

「おい言うなよブス」


 飛んでくる何か。カイルは視線をずらすことなく防ぐ。


「やるねぇお前」


 男は口角を上げカイルへ賞賛の声をあげる。カイルはうんうんと強く頷いた。


「分かるやりたいよねマジで」

「何言ってんだお前。まぁいいか。来いよ。来ねーなら力づくでいくぜ」


 男は特に武器らしきものは携帯していなかったが、何やらどす黒い殺気が自身を包み込み、同時に奇妙な構えを取った。まるで得物を見定める動物のように両手を地面へ付けこちらを凝視する。カイルは笑いを超スーパーデンジャラスな力で抑え込んだ。


「行くわけねーだろ。ちなみにルミナは可愛いブスじゃねぇお前はブスだけどな」

「お前もだろ」

「分かるとても分かる」

「自分で言ってて悲しくないの……?」

「悲し」


 刃が重なる。男は飛びかかるようにしてカイルの首元へナイフを振り下ろしていた。それを阻むようにカイルの剣刃が滑り込んでいる。


「うぜぇよお前。やっぱ死体にして持ち帰るわ。ルミナはおもちゃ用に生かしといてやる」

「おいクズ野郎。俺はもう本気だぜ」



「ク……クッソ……何だよこいつ……強すぎじゃねぇか……」


 男は多量の血を流しながら変色した足を引きずり、人気のない暗い森を歩く。目には涙を浮かべ鼻水も溢れ出ていた。心臓の鼓動が凄まじく高い。


「やぁ」


 カイルが回り込んできていた。「いつの間に!?」と男は目を開くとともに大慌てで手を出す。


「クソが」


 男は風刃を四方八方大量に飛ばす。だがカイルは一呼吸で全てを破壊する。


「ゆ……ゆるじでぐれ……も、もうおぞわねぇ……」


 尻もちをつき必死こいて後ずさる男。カイルは感情の灯らない無表情でわざとゆっくり男に迫っていく。


「駄目に決まってんだろ。この俺に本気を出させておいて。俺は普段力を隠す系主人公なんだぜ? な? 楽しも~うぜ?」


 カイルは今まで見たことが無いほどの狂気を表へと溢れ出させ、まるで傷つく者を面白がるかのように心からの笑みを浮かべた。


「グハッ!」


 カイルは全身を地面に叩きつけられ血反吐を吐く。場所は水路。


「弱いな拘征官!」


 カイルは傷一つついていない男に腕を踏まれ身動き取れなくなる。何度も何度も殴られ自慢のお顔が傷ついていく。


「ちくしょうさっきのは妄想だったか……!」

「死ねや!」


 男の首が飛んだ。


 力なく首が落ち胴体もカイルに重なるように倒れ込む。


「きゃああああ!」


 ルミナが泣き叫ぶ。カイルも理解できず思考が停止した。


「ど、どうなって」

「規則違反者処理完了」


 低い声が聞こえてきた。全身が本気で拒絶するかのような鋭く熱く恐ろしい気配を感じるが、近くに人影は見えない。


「だ……誰だ」

「拘征官。ランデ様の客だからって好き勝手は許さん。規則を守れよ」


 そう言うと、謎の気配は消えた。


「ふんがーーーーーー!」


 カイルは全力で男の死体をどかし、上体を起こす。ルミナも呆然とこちらを見つめていた。


「な……なんだったんだ……?」

「リ、リーグス様……」

「リーグス?」


 何それ美味しいのなんてカイルは思っている。


「……うん。規則を破った人を始末している方で……楽園の幹部……」

「規則ってなんだ」

「えっと……」


 教えることの出来ない理由があるのはちと面倒だ。というわけでカイルは手を叩いて提案する。


「じゃあこうしよう。お前の拘束を解く。代わりに俺に協力しろ」


 ルミナが何を企もうとまず負けない確信は持てたし、もし味方側に引き込めるのであれば彼女の実力は十分頼りになるレベルといえた。カイルは完璧な提案だぜと脳内自画自賛。


 だがルミナは首を高速で横に振り全力で拒否の姿勢を示した。


「えぇ!? 無理! 無理だよ!」

「イケメンならいいってかぁっ!?」

「言ってないけど!?」


 ルミナはカイルの変わりようが最早笑えなかった。微妙な空気が辺りを包み込む。ルミナはこれ以上何も発さず、カイルは流石に恥ずかしくなったか咳払いした。


「あー……じゃあこうしよう。規則とやらを破らない範囲で俺に協力しろ。代わりに何かあっても守ってやる」

「ボコボコにされてたのに?」

「そ、それとこれとは別だもん! ル、ルシェルと合流さえ出来れば大丈夫だ!」


 ルシェルの実力であれば、継承者が複数名来ないでもない限りは負けない。その確信があった。ちなみに自分一人ではぼろ負けする自信がある。ボッコボコにされあっという間にあの世のひいおじいちゃんに会えると自負している。


「ルシェルって……もう一人の拘征官?」

「おう。ゲロ強いぜ」


 カイルは決まったと思った。ルミナは下を向いて拘束具を一瞥する。そしてやはり答えは。


「む、無理だよ……」

「俺にべっちょり舐められるのとどっちがいい」

「協力します」


 交渉成立。カイルは時折別の個所を触ろうとして睨まれながら拘束具を外す。


「ではでは。リーグスってのは何者だ。継承者か」


 自由になったルミナはゆっくりと立ち上がるとズボンの汚れをはたいて答える。


「違うけど、それに匹敵する実力だと思う」

「そうか。で、目的は規則破った奴の処刑と。じゃあ規則ってのはなんだ」

「……楽園は            」

「あ?」


 これは。カイルは頭を掻いて面倒なことが始まったとため息をついた。


「       。……? どうしたの?」


 当のルミナは自分の言葉が聞こえているため訝し気にカイルを見る。カイルはもっと見てくれ可愛子ちゃぁぁんなんて思ってないよ。


「いや、急にお前が口パクになったと思ってな」

「……? あ、適用されている規則が違うのかな」

「どういうことだ」

「楽園には規則が存在するけれど、それは適用されている本人しか分からないようになっているの」

「まーた面倒な。じゃあ俺の規則はなんなんだ」


 特に規則どうこうは聞かされていないし、楽園内部でも規則について分かるような場所は見当たらなかった。


「うーん……。多分、誰にも攻撃行為を行ってはならない……とか」

「あ、聞こえる」


 今度は口パクにはならず声が届いた。適用されている可能性は高い。


「後は何だろう……。うーん……。目的を達し次第即座に楽園から退出すること……かな?」

「どっちも聞こえた。じゃあそれ守ればいいのか?」


 あまり多いと覚えていられないので出来ればこれで終わってほしいカイル君。ルミナの言っていることが絶対正しいとは限らないのに、可愛い子は嘘を付かない=これで全部だと思い込んでいた。


「うーん。招待者によって適用される客用規則は異なるから……なんとも言えないけど。とりあえず全部通して共通していることは、楽園にいる者達へ危害を加えないこと。っていうのがあるから。多分誰にも手を出さなければ」

「俺手出してね」


 バリバリに攻撃行動を行っております。


「あ、私の場合は大丈夫。あくまで自分からしかけるなっていうものだから」

「あぁ売られた喧嘩は買っていいってことね」

「そんな感じ。後、多分あの人が殺されたのは、客を傷つけたからだと思う」

「なに? お前らは客を傷つけちゃダメっていうのがあんのか?」

「うん」

「じゃあお前死ぬんじゃねぇの? 返り討ちにされたからいいってか?」


 規則を破る者を処刑する存在がいるのであれば、明らかに違反しているルミナを見逃す理由が見つからない。


「私は特別規則である驚異の排除があるから。これは全ての規則を上回るの」


 またしても謎の規則。カイル君はもう分からないのでどうでもよくなってきた。


「殺してもいいっつう特別権限持ちがいるのか。お前がねぇ……。まぁそこはどうでもいいか。だがお前は俺を持って帰るようみてーなこと言われたんだろ。それは誰にだ」


 カイルの問いにルミナは口をつぐむも、カイルの顔が凄まじい勢いで近づいてきたので呟いた。


「エ……エルド様」

「誰だ」

「か、幹部の一人……」

「何故俺が必要なんだ」

「あの人は単純に興味を持つとすぐに手に入れようとするから……。多分、招待を受けた拘征官っていうのに興味があるんだと思う」

「あーそーゆーこと。てか情報回るの早いな」


 益々楽園の仕組みが分からない。カイルは鼻をほじることにした。


「幹部はほんと早いよ」

「でもそこらのパンピーたちは俺見てもなんとも」

「そこはよく分からないけど、多分幹部か否かで何かあるんだと思う。幹部の方々は特別な権力を持っている代わりに外部侵略者への抑止力となることが義務付けられていたりとかもあるから」

「ほへぇ……。まぁ良く分からんしいいや」


 ぶっちゃけ最低限の地雷情報さえ把握できれば他は知らなくても問題が無いだろう。とカイルは今更思った。


「……」

「で、エルドをお前は裏切ることになるわけだ。どうなる」

「……殺される。だから次会うときは今みたいには」

「何言ってんだ今日から俺達お仲間だろ。敵に情報吐いてる時点で」


 カイルは即時移動し剣を振った。うめき声と共に一人のローブが地面へひれ伏す。


「もうお前は裏切り者みたいだぜ」


 方に剣腹を置きかっこつけてルミナを見るカイル。この時カイルは、ルミナの目からは自分がとってもイケメンに見えていると思い込んでいた。


「そ……そんな……」


 情報吐いてる時点でどう見ても裏切り行為なのだがルミナは想定していなかったようで。楽園所属なのだろうが、仕組みへの理解が自分並みに出来ていないような気がカイルはした。本当に下っ端なのだろう。まぁカイルにとっては愛し合えればどんな立場であっても関係無いのだが。


「てなわけで一緒に愛の逃避行だ」

「やだ」

「……まぁ結構大真面目なお話でさ。まーだ渋ってるみてーだが、俺に協力した方がメリットは大きいと思うぜ。もう刺客送ってる辺り、相当自己中心的な性格のようだからな」

「……」

「俺っちにおっぱ」

「分かった協力する」

「やっほい」


 カイルは半ば強引にルミナを引き入れることに成功した。


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