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第9話 数学

 担任の先生がやってきたため、朝のホームルームが始まった。


 嘘寝から起き上がった俺は、何だか気まずくて隣を向く事が出来ない。

 俺に気を許してくれているからだとは思うが、さっきの有栖川さんははっきり言って不味い。

 不味いったら不味いのだ。


 ――もしかして、これからあんな事が続いたりするのか?


 こんな風に異性との距離が近付く事に対して、経験も無ければ免疫も大してない俺には、そんな有栖川さんとこれからどう接していくのが正解なのかとか分かるはずも無かった。


 すると、ポケットに入れたスマホのバイブが振動する。

 だから俺は、先生にバレないようにそっとスマホを取り出して確認する。



『一色くん、グワァってなってますよ!』


 ん? グワァ? なんだそれ?

 何となくそんな気はしていたが、やっぱりそれは有栖川さんからのメッセージだった。

 しかし残念ながら、有栖川さんが何を伝えようとしているのかよく分からず俺は首を傾げる。


 そして、メッセージを送って貰えた事でちょっと落ち着いた俺は、一体何の事だとようやく隣を振り向く。

 すると有栖川さんは、ちょっとだけこっちに視線を向けると、それから自分の髪を手櫛で解く仕草をし出す。

 それはまるで、俺にも同じ事をしろと伝えてきているようだったので、そんな有栖川さんに倣って俺も自分の髪に手を当ててみると、さっき机に伏せていたせいで前髪の辺りが思いっきりモッサリと盛り上がってしまっている事に気付いた。


 ――成る程、これを知らせようとしてくれていたのか


 普通に言ってくれれば良かったのにと思いつつも、やっと気付いた俺に満足そうに口角を上げる有栖川さんを見ていたら、もう何でも良いかという気持ちにさせられてしまう。

 本人はジェスチャーゲームでもやっていたつもりなのだろうか? 俺が正解した事が余程嬉しかったようで、いつもの完璧とも言える難攻不落の無表情は、じわじわと込み上げてくる笑いにより簡単にグラついてしまっているのであった。

 幸い一番後ろの席のため、周囲にはそんな笑いを堪える有栖川さんの姿は気付かれていないようで助かったが、あの完璧にも思えた無表情はこうも脆かったのかと思うと、俺までちょっと笑えてくるのであった。


 そんなこんなで、無事朝のホームルームが終わると今日も授業が始まった。

 一限目は数学だった。

 俺は比較的数学なら得意な方なのだが、有栖川さんはどうなのだろうか……。

 そう思いながら、俺は隣の席に目を向けてみる。


 すると有栖川さんは、また涼しい顔をして黒板を真っすぐ見つめていた。


 しかし、俺はもうこの顔を信用していない。

 これまで塗り固め続けられてきたのであろうその無表情の仮面も、有栖川さん自身のその強すぎる個性によって簡単に剝がれてしまうのだ。

 正直、よくこれで成り立ってたなと思ってしまうのだが、それでも自分含め誰一人として本当の有栖川さんを知る者など一人もいなかったのだから、それが不思議でしょうがなかった。


 ――となると、もしかして俺と知り合ったから?


 客観的に考えて、その可能性は高い気がする。

 でも、それじゃあなんでそうなるのかは俺にはさっぱり分からなかった。


 そんな事を考えていると、早速有栖川さんに動きがあった。

 先生が黒板に計算式を次々に書き上げて行くのを見ながら、有栖川さんはノートにその計算式を遅れないように一生懸命写していたのだが、その手がピタッと止まってしまう。


 そして、相変わらずの無表情を浮かべてはいるのだが、全身から漂い出す焦り、そして絶望――。


 ……成る程、分からないんだね。

 しっかり勘付いてしまった俺は、多分ここの計算で躓いているんだろうなと思い計算式を嚙み砕いてノートに書くと、有栖川さんからギリギリ見えるであろう机の端にノートを広げ軽く咳ばらいをした。


 そんな俺の咳払いに気付いた有栖川さんは、少しだけこっちを振り向く。

 そして、俺がノートを見せている事に気が付くと、それはもう嬉しそうに微笑んだのであった。

 もう無表情の仮面なんて最初から無かったかのように、子供のような笑みを浮かべる有栖川さん。


 そして俺のノートをガン見していた有栖川さんは、ようやくその計算を理解出来たのか、一回大きく頷くと自分のノートと向き合って急いでペンを走らせていた。


 こうして、確かにと複雑な計算式だったが無事乗り切る事が出来た有栖川さん。

 本人は再び無表情の仮面をつけて元通りのつもりなのだろうが、無事難題を乗り越えたのがよっぽど嬉しかったのだろう。

 その瞳をキラキラと輝かせながら、それはもう満足そうな表情を浮かべているのであった。


 ――顔に出ちゃってるよ、有栖川さん


 そう教えてあげたい気持ちがありつつも、そんな風に喜びを隠せないでいる有栖川さんを見ていたら、何だか言うだけ野暮な気がしてそのまま見守る事にした。


 そして、ふと何かに気が付いた有栖川さんは、それからそっと自分のスマホを取り出すと机の下で何かを入力し出す。

 一体何を――なんてもう言わない。

 十中八九、それは俺宛のメッセージだろうなと流石に勘付いてしまった俺は、そっと自分のスマホをポケットから取り出した。

 すると、取り出した途端タイミングよくブブブとバイブが振動すると、メッセージの受信通知が表示される。

 だから俺は、そんな隣の席から送られてきたメッセージを確認する。


『一色くん! 凄いです! 解けました!!』


 うん、嬉しかったんだね分かるよ。顔に出てるから。


『ちょっと感動しすぎてヤバイです! 顔に出てしまいそうです!!』


 いや、もう既に出てるんだけどね……そう思いながら、そんなメッセージの送り主であるお隣さんの方を振り向くと、机の下のスマホを眺めながら、それはもう本当に嬉しそうに微笑んでいる有栖川さんの姿があった。



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