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第四話 涙の後は乾かない

 「さーて、たかしさん、なんでこんなことしちゃったっすか?」

 茫然自失として膝を折った隆の前で、あずまとしゆきは聞いた。

 「もう言い逃れはできないっすよ? きちんと白状してくださいっす」

 「……のせいだ」

 隆は人形のようにつぶやいた。

 「ん? 誰のせいですって」

 「父さんのせいだ!!!」

 今度は東の言葉を遮り、美術館全体に響き渡る声で叫んだ。

 「俺の父さんは昔から美術品ばかり集めて! 息子の事なんか目もくれず! 俺を無理やり美術館に就職させて息子ではなく一従業員としてこき使い!! 極めつけはその『貴婦人の涙』だ!!」

と、バラバラになったエメラルドの画像を指さした。

 「あれを落札するためにいくらかかったと思う!? 200億だぞ!! 200億!! 今までそんな大金俺のために使ってくれたことがあったか!? それまでもピカソの『泣く女』だの、モネの『印象・日の出』だの、一作何十億もするような美術品ばかり集めて!! いくら金持ちだからと言って無尽蔵に金があるわけでもねえだろうが!! その金をもう少し俺や母さんのために使ってくれても良かったじゃないか!!! なあ父さん!!!」

 とめどなく溢れる思い。零れ落ちる涙。そこにいる誰もがおおたけ親子の関係性に興味を持った。

 「それで『貴婦人の涙』をバラバラにして、館長さんの鼻を明かしてやろうって思ったんすか?」

と、東が聞く。

 「そうだ!」

と、隆が言い切る。

 「屋上の貯水タンクに隠したのは?」

 さらに東が聞く。

 「さすがの警察も東敏行も、屋上は操作箇所から外れると踏んだからだよ!!」

 隆は一息つくと、元「貴婦人の涙」の画像を抱えて涙をぽろぽろ流している館長を見て、さらに怒りを加速させた。

 「ほら見ろ!! こうしている間にも父さんは、息子の事よりもなんか心配してるんだ!! やっぱり息子より美術品が優先か!!? この人でなしが!!!」

 隆の声は軽蔑の感情に満ちていた。館長は何も言い返さず、ただ静かに泣いていた。


 そんな時、東が言った。

 「隆さん、それは違うっすよ」

 隆はハッと東の方を向いて叫んだ。

 「なんだって!? そいつのどこが父親としてふさわしいって言うんだ!!」

 「あの『貴婦人の涙』は、館長さんが隆さんのために残そうとして落札したんすよ?」

 「は……!!?」

 隆は全くその発言が理解できなかった。

 東は

「館長さん、しゃべっちゃっていいっすか?」

と、館長の方を向く。

 「……いいや、私が話そう」

 さっきまで縮こまって泣いていた館長が立ち上がった。

 「隆……儂の父、すなわちお前の爺さんは元財閥の要人だった……戦後の財閥解体で権力こそ失ったが、金はたっぷりと残った。それから爺さんはがね区に移り住み、有り金をはたいてこの美術館を始めたのだ。今こそ黄金区も金持ちの町などと呼ばれているが、当時は空襲で焼け野原になった街に、ポツンと小さな美術館があっただけなのだ」

 いつの間にかそこにいた者達は、真摯な態度で館長の話を聞いていた。勿論隆もだった。

 「爺さんは良く儂に聞かせてくれたよ……戦争に負けて国民が自信を失った今こそ、美術品に触れて心を癒してほしかったとな。初めの方こそ誰も来なかったが、少しずつ客足が増え、儂が結婚するころには黄金区の観光名所になっていた。それからお前が生まれる三年前に、爺さんは癌で亡くなった。儂は爺さんの遺志を継いで館長になった。」

 館長は隆の方を向き直し、そして言った。

 「お前にもその遺志を継いでもらいたかったく『貴婦人の涙』を落札したが……儂の思いが伝わらなかったのは儂の努力不足……すまなかった」

 涙ながらに謝罪し、頭を深く下げた。

 これには隆も思わず

「何言ってんだよ!! 俺が美術館を継ぐなんていつ言ったんだよ!!?」

と、動揺と怒りにあふれた声を上げる。

 そこで東が口を開いた。

 「隆さん。あんたは結局のところ自分のことしか考えてないんすよ。館長さんがやり方こそ正しいかは知らないっすけど、家族や黄金区のことを考えていたのに対してあんたは何なんすか? 館長さんとのコミュニケーションから逃げて、いい年こいて美術館を去ることすら考えずに。気持ち悪いっすよ」

 隆が何やら暴言などを吐いていたが、東は静かにその場を立ち去った。

 かくして、事件は解決された。しかし、「貴婦人の涙」が流れた痕は、そう簡単には消えなかった。



 四月二十一日午後八時二十五分、十四人の容疑者が弁財天美術館で現行犯逮捕された。

 大竹隆が、傷害・器物損壊・窃盗の罪と証拠隠滅の教唆で。十三人の従業員は前三件のほう助罪と、証拠隠滅の実行犯として。

 この事件はマスコミにも大きくとらえられ、全国に知れ渡ることとなった。

 翌朝の新聞では、このような見出しが一面を飾った。

 「金持ちの街の美術館で大量逮捕」

 「弁財天美術館長の息子逮捕」

 「世界最大のエメラルド破壊される」

 特に、「貴婦人の涙」がバラバラにされてしまったことがツボだったのか、あるいは美術館内部が腐敗していたことに注目したのか、ワイドショーは連日味が出続けるガムを噛むように騒ぎ立てた。

 マスコミの影響を一番もろに食らったのが、美術館長・大竹ひろしである。

 ただでさえ実の息子が、自分の最も大切な宝物を破壊したというショックがあり、さらに毎日のように美術館や自宅に押し掛けるアナウンサーとカメラ。博の疲労は心身ともに限界だった。

 そして四月三十日を以て、従業員の九割が逮捕されたことで経営を維持できなくなったことを建前に、黄金弁財天美術館は閉鎖されることになった。

 「残念すっよ、あそこには世界中の素晴らしい美術品がたくさんあるのに……」

 閉鎖当日、大竹邸にて、東敏行は老年の夫婦を前に話した。

 「私の美術品を愛してくれている多くの人たちもそういってくれたよ」

と、元館長は静かに話した。

 「だがね、もう私は疲れた。『貴婦人の涙』はただの数個のエメラルドの塊になってしもうたし、息子の隆も今は拘置所にいる。そもそももうすぐ引退して余生を静かに送ろうとも思っていたんだ。これからははなと二人でゆっくり生活していこうと思う」

 「そうですよ、あなた、それがいいですわ」

と、花子も賛同した。

 東はなんだか悲しくなって

「ま、それは僕が口挟むようなことじゃないっすからね、アハハ」

と無理に笑った。そして

「それはそうと……そろそろいいっすか?」

と、博に聞いた。

 「そうか、そろそろ出なきゃならんかね?」

と博が聞き返す。

 「いや依頼の達成料っすよ。犯人を捕まえたから一千万円頂戴するっす」

 東はやはり東だった。いや、むしろ犯人逮捕からいろいろ忙しかった博に、気持ちが落ち着いているこのタイミングで請求したというのは、東には珍しく気づかいができているとも言える。博は笑って一千万を現金で差し出した。

 大竹邸を去る時、東は誰にも聞こえないように愚痴をこぼした。

 「全く、あんたも同罪だよ館長さん……もう少し隆さんと向き合っていればこんなことには……」


 大竹邸を後にした東は、自転車を走らせ十分、中心部・黄金駅前の喫茶店にやってきた。

 喫茶店の前で、一人の女性がたたずんでいた。

 「あ、東さん! こっちです!」

 東を見ると、笑顔で手を振った。

 彼女はあの日、東に屋上まで連れてこられた、賄賂を受け取っていないたった一人の従業員である。


 金持ちの街らしく、おしゃれな雰囲気のカフェだが、東は相も変わらず全身黄色ジャージである。

 「えーと、名前、聞いてなかったすね」

と、東が女性に話す。

 「わ、私の名前……ももやまと申します。それで、私を呼び出したのはどういった御用で……?」

 東は何も、香菜を口説こうとしたり、マルチ商法の誘いを掛けようと思って呼び出したわけではない。


 「香菜さん、僕んところで働いてみないっすか?」

 「……?」

 香菜は東の言葉の意味が理解できなかった。

 「だーかーらー、スカウトっすよ。僕がやってる探偵事務所で、僕の助手として働かないっすかって聞いてるっす!」

 「……え?」

 香菜はまだきょとんとしていた。

 「それってプロポーズですか?」

 「だからただのスカウトって言ってるじゃないっすか!! 誰が結婚みたいな金を浪費するようなことするっすか!!」

 東は周りの迷惑も気にすることなく叫んだ。

 「あ……本当にただのスカウトなんですね」

 「だから最初からそうだって言ってるっしょ……」

 「でも……私、探偵の才能なんて……」

 「いーや! 僕は香菜さんの才能が欲しいんすよ。今香菜さん就活中っしょ? 今逃したら後悔しちゃうっすよ!」

 「意味わからないですよ。あの事件で私がやったことといえば、貯水タンクのカギを開けたくらいしか……」

 香菜は理解に苦しんでいた。自分のようなシャーロックホームズや少年探偵団すら読んだことのない人間のどこが気に入られたのか。しかし、

 (でも……いつまでも無職ではいられないし、今就職できるなら……)

と、香菜は思った。

 美術館の閉鎖によって職を失った香菜は、現在求職中の身だが、なにせ全国ニュースにもなった弁財天美術館の元スタッフということで、なかなか採用されずにいた。

 「じゃあ、東さんの事務所の……スタッフですか? に就職した時の待遇って、どんな感じですか?」

 「よくぞ聞いてくれたっすね! これが労働契約書になるっす!」

と、東はあらかじめ用意していた契約書を香菜に手渡した。

 内容はいろいろ書いてあるのだが、読者の興味を引きそうな点のみピックアップする。

 ・役職:探偵助手

 ・職務内容:探偵業の補佐及び事務所全体の庶務

 ・給料:月給35万8000円から昇給あり

 ・全寮制

 ・待遇:賞与年二回、衣類・食事の支給、その他一般企業並みの福利厚生


 二十四歳の女性が中途採用で大企業に入ったとて、月35万を達成するのに何年かかることだろうか。しかも衣食住の保証まであるという。

 「やります!」

 香菜は即答した。

 これには東も驚き

「え、いいんすか!? まずは見学からでも……」

 「やらせてください! ていうかほかの女に渡しません! この職は!!」

 香菜は目の内に炎をともしていた。

 これだけ熱意をもって希望されれば、東には断ることはできない。

 「わかったっすよ。これからよろしくっす、助手さん!」

 「はい、東さん!」


 後に様々な難事件を解決し、その名を全国に轟かす東敏行と、彼を長く支えることになる桃山香菜の、黄金区史上に残る名コンビが誕生した瞬間であった。



 今回の東敏行の収支

 支出

 ・偏光板 1600

 ・美術館入場料 1000

 ・賄賂 650万

 計650万2600円

 収入

 ・前金 500万

 ・依頼達成料 1000万

 計1500万円


 収支 +849万7400円



 次回、File.2 武蔵金山の亡霊、開幕

 第五話 亡霊の足音 に続く

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