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187. 漆黒の龍

 解放された女性たちを乗せ、宮殿はすうっとその姿を霞へと変えていく。やがて夕焼けの空に溶けるように、純白の城は消えていった。


 全員乗ったのかと思っていたら、隅に一人うずくまっている娘がいる――――。


 瓦礫がれきの影に身を寄せ、まるで光を避けるかのようにうずくまっている。その姿は、闇にけ込もうとしているかのようだった。


 気になって駆け寄ってみると、革のビキニアーマーを来た女の子……、俺と戦った女の子だった。あんなに恐ろしかった最強の戦乙女も、等身大であれば脅威は感じない。むしろ、そのはかなげな佇まいに憐憫れんびんの情を覚えた。


「どうしたんですか? 大丈夫ですか?」


 優しく声をかけてみたが――――反応がない。まるで意識のない人形のように、虚ろなひとみで宙を見つめている。その目は、何か違う次元を見ているようだった。


 シアンが光の微粒子をフワフワと辺りに放ちながらスーッと飛んでくる。


「あれ? どうしちゃったの? お目目が空っぽだね」


 不思議そうに彼女の顔をのぞきこみ――――、無邪気に首をかしげる。


「うーん、意識障害が残っちゃってるのかなぁ……? ちょっと見てみよう!」


 シアンは自分のおでこを彼女のおでこにそっとくっつけた。シアンのひたいから柔らかな光がこぼれる――――。その光は温かく、見ているだけで心が和む。


 しかし、その様子を見ていたヴィーナが慌てて叫んだ。


「あっ! ダメッ!」


 直後、戦乙女の全身から漆黒の闇がブワッと噴き出し、シアンに襲い掛かる――――。


「ほわっ?」


 慌ててシアンは額を離したが、その闇は生きているかのように蠢き、シアンを一気にみ込んでいった。大天使の輝きが、闇の中に溶けていく。


「うわぁ!」


 その、背筋が凍るような不気味な気配に俺は思わず飛びのく。本能に刺さる恐怖で全身の毛が逆立った。


「しまった……。まさか、こんな罠が……」


 ひたいに手を当てて天を仰ぐヴィーナの表情には、深い懊悩おうのうの色が浮かんでいる。


「あ、あれは何ですか?」


 俺は恐る恐る聞いた。


「乗っ取られちゃった……。シアンの中に、別の意識が……」


 首を振り、大きく息を吐くヴィーナ。女神の嘆息たんそくが、重苦しい空気を一層くする。その表情には、取り返しのつかない事態への絶望が浮かんでいた。


「の、乗っ取られたって……誰に……?」


 俺は限りなく嫌な予感に声が震えた。のどかわくような恐怖がい上がってくる。


「この星にいた一番悪い奴……でしょうね。こうなっちゃうと手の施しようが無いわ」


 ヴィーナは肩をすくめる。その仕草には、諦めと共に深い悲しみがにじんでいた。


 宇宙最強が乗っ取られた。その絶望的な事実に俺たちは言葉を失い、ただ顔を見合わせるばかり。


 闇が濃く蠢く中、俺たちの影が夕陽に長く伸びていった。



        ◇



 やがて重苦しい闇がつむぎ取られるように、少しずつ薄れていった――――。


 中からシアンが現れる。しかし、その碧い瞳は冷たく沈み、いつもの天真爛漫な輝きは消え失せていた。


 仏頂面で辺りを見回すシアン――――。


「何だこれは……。ほう……。なるほど……。この力、この知識……素晴らしい」


 いやらしい笑みを浮かべ低い声でつぶやくシアン。もはや無邪気な大天使の面影はない。その姿は闇に染まり、歪んでいた。


 明らかに人格が変わってしまっている。嫌な予感しかしない。世界の理を書き換える力を持つ存在が、乗っ取られてしまったのだ。その事実が、まるでなまりのようにし掛かる。


「セイッ!」


 ヴィーナは黄金に輝く光の奔流をシアンに向かって放つ――――。


 しかし、その輝きはシアンの回りをただクルクルと回るだけで、やがて消えて行ってしまった。


「ほう? これはこれは……。クックック……」


 シアンは女神の攻撃もいとも簡単に退けられたことに自信を深めた。


「くっ……」「マズい……」


 俺たちはその絶望的状況に言葉を失う。空気がこおりつくような緊迫感がただよった。


 シアンはドヤ顔でそんな俺たちを見回すとニヤッといやらしい笑みを浮かべる。その表情には邪悪じゃあくたのしみがにじんでいた。


「こうやればいいのか……? この素晴らしい力で……」


 指先をくるくると回すシアン。その指先からポロポロとこぼれる闇の粒子――――。それは、まるで生き物のように不気味にうごめく。


「くふふふ……。いいぞいいぞ……、それっ!」


 直後、指先から一気に漆黒の闇が噴き出した。まるで巨大な竜がきばくように、闇が俺たちに襲いかかる。


「うわぁ!」「ひぃぃ!」


 俺たちは逃げる間もなくあっという間に飲み込まれて行った。まるで濁流にのみ込まれたように闇が体にからみついていく――――。


 いくら叫んでも、闇に吸い込まれていくばかり。やがて、意識が闇に溶けて行く。


 最後に見た光景は、シアンのゆがんだ笑みだった。



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