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175. 懲役一万年

 ギュッと俺を豊満な柔らかさに包みながら、シアンは無邪気な喜びを声に乗せる――――。


「やっぱり人が入ってると柔らかいわぁ」


 さらに強く抱きしめられ、俺は混乱の渦に巻き込まれていく。布一枚を隔てたマシュマロのような柔らかさが、猫となった身体の感覚を鋭敏に刺激した。甘く爽やかな香りにも包まれ、理性がブチブチと音を立てて壊れかけていく――――。


「ちょ、ちょっとすみません。刺激が強すぎるのですが……」


「あら、ゴメンね! きゃははは!」


 シアンのほがらかな笑い声が響く。その声色に、ふと記憶の糸が引っ張られる――――。


『くふふふ。頑張れ頑張れ』


 死地を彷徨さまよったシャトルの中で聞いた、あの謎めいた声――――それは紛れもなく、彼女のものだった。


「あ、あのぉ……」


「ん? なに?」


 碧眼へきがんが宝石のように輝き、シアンは好奇心に満ちた表情で俺を見つめる。


「もしかして……。見てました?」


「ぜーんぶ見てたわよ! くふふふ」


 まるで子供が秘密を明かすような愉悦ゆえつに満ちた笑いを見せる。


「えっ!? そ、それじゃ……」


「シャトルの詐取、投棄、サーバーの故意による損壊……。まぁざっと懲役一万年かしらねっ」


 シアンは碧眼へきがんを星のように煌めかせながら、まるで天気予報でも告げるかのような軽やかさで宣告する。


「いっ、一万年!?」


 驚愕の余り、全身の毛が逆立つ。死刑より重い刑罰に、心臓が凍りつく思いだった。


「んー、まぁでも……」


 シアンの視線が、まだ修羅場しゅらばの渦中にある美奈へと向けられる。


「まぁ、女神様も多忙だから深追いはしないんじゃない?」


「えっ!? だ、黙っていてくれるんですか?」


「え? 懲役一万年になりたいの?」


 シアンは悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべる。その瞳の奥には、世界の真実を知る者の余裕よゆうが漂っていた。


「とととと、とんでもない。秘密にしてください! お願いします!」


「はいはい。僕は面白いものが見られれば何でもいいからねっ! きゃははは!」


 俺はシアンの奔放ほんぽうな態度に救われたような安堵を覚えつつも、その碧い瞳の奥に潜む謎めいた影に、不安の種を感じずにはいられなかった。彼女は、果たして味方なのか、それとも――――。


「でも……。未報告ってのもバレると面倒だからね。隠ぺいでもしておきますか……」


 そう呟くと、シアンは瞳を閉じ、人差し指で空中に神秘的な光の軌跡きせきを描き始めた。その指先が紡ぎ出す光の文様は、まるで世界の法則を書き換えるかのような荘厳そうごんさを帯びている――――。


 ボン!という轟音ごうおんと共に、男性が見入っていた空中画面がまばゆい光を放って爆発した。青い閃光せんこうが部屋中を包み込む。


「おわぁ! た、た、た、大変だ! 第一種非常事態! 非常事態ぃぃ!」


 男性は慌てふためいて叫び声を上げる。


「ったくもう! 何やってんのよ、しっかりして!」


 美奈は憤慨ふんがいした様子で、再びティッシュボックスを振り上げ、男性の頭をパコンと叩いた。


「くふふふ、パパごめんね」


 シアンは悪戯いたずらっ子の笑みを浮かべる。


 俺はこの東京のオフィスで展開される不可思議ふかしぎな出来事の数々に、ただ呆然ぼうぜんと首を振るしかなかった。まるで現実と幻想が交錯する夢の中にいるような感覚――――。この場所で繰り広げられる光景は、思い描いていた荘厳な神々の世界ではなく、むしろサイバーパンクな香りがした。



    ◇



「実は、美奈先輩に蜘蛛退治をお願いに来たんですが……」


 おずおずと切り出した俺の声にはかすかな震えが混じる。


 すると、シアンの碧眼へきがんが好奇心に満ちて輝いた。


「蜘蛛? あぁ、あの蜘蛛ね。あんなにデカいのは初めてだわ!」


 シアンの声は、まるで珍しい玩具を見つけた子供のように弾む。


「い、いや、それで世界が滅びそうなんですけど……」


「まぁそうねぇ……。ちょっともったいない気もするけど……。僕がエイッて退治してあげよーう」


 シアンは俺を再び柔らかな胸元に抱きしめ、頬ずりをしてくる。


「うわぁ! で、でもあの蜘蛛【物理攻撃無効】なんですよ?」


「きゃははは! 物理攻撃無効なら物理そのものをぶっ壊しちゃえば解決なんでーす! じゃ、行きましょ」


 物理そのものを壊すとは一体どういうことだろうか? レヴィアすらさじを投げた巨大蜘蛛を、この若い女性は気楽に退治できると断言している。その奔放ほんぽうな態度に戸惑いをかくせない。


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