ライブが開演するとホールは浮ついた興奮で満たされた。
照明の落ちたホールにスポットライトを浴びて浮かび上がるステージ。そこから放たれるレーザービームがホールの闇を切り裂く。
ガッ、ガッと規則的に刻まれるギターのリフ。
心臓と同期し、徐々に鼓動を高めていくドラム。
転調して始まった、駆け抜けるような大サビにホールのボルテージは青天井に高まっていく。
「センキュー、ミルキーウェイ! リコリス・ダークネスでした!!」
アウトロの引きに合わせて歌姫がマイク越しに叫ぶとフロアに「わぁっ!」っと歓声が巻き起こる。もうホールは破裂寸前だ。
幕が降りて小休止。お客さん達は上がった息を整えたり、曲の感想を言い合ったりと思い思いの時間を過ごしている。そんな中、一色がドリンクカウンターにやってきて、据え付けの丸いすに腰掛けた。
「お疲れ様、大隅くん」
「ありがとう、一色。何か飲む? ご馳走するよ」
一杯目は入場時に渡すドリンクチケットと交換なので無料。二杯目以降は有料である。
「それじゃあせっかくだし、ジンジャーエールを」
「はい、ジンジャーエールどうぞ。楽しんでる?」
「えぇ、とっても」
一色は「ありがとう」と言って受け取ってジンジャーエールを一口含み、「ぷはぁ」と可愛らしいため息をついた。
カウンター用のほのかな灯りに照らされた彼女の顔は少し上気している。一色は観客の群れの後方に立ち、大声こそ出さないものの身体を小さく揺らしてリズムに乗っていた。だから楽しんでくれているのがよく分かったし、呼んで良かったと心底思った。
「それにしても結構盛り上がるのね。ライブハウスって素人が身内を呼ぶ学芸会みたいなものと思ってたけど舐めてたわ」
「分かる。俺も初めて来た時驚いたよ。うちってこの街では老舗で、ここからプロになった人達もいるんだよ。最近ではSNSで話題を集めるバンドも出たりして、それ目当てのお客さんも増えたって店長が言ってた」
「雰囲気も良いから足を運ぶ理由も頷けるわ。すごく迫力があったし」
「だよね! スマホで聴くのとは段違いで、知らないバンドでも妙に刺さるんだよな!」
そして後日配信を聞いてみると「こんなにショボかったっけ?」と夢から覚めるのもあるあるだ。
「さっきのバンドも若いのに上手だった」
「リコネスだね」
リコネス・ダークネス略してリコネス。うちをホームにする3Pバンドだ。
「去年まで俺達と同じ高校生で、俺が入る前からの常連だよ」
「へぇ、高校生でもライブに参加できるのね」
「オーディションに合格すればね」
「不合格なら?」
「エントリー不可」
「厳しいのね。上手だと思うけど」
「上手な人しか上げてもらえないよ」
ライブハウスは商売だ。出演希望者がアマチュアでもお客さんを満足させる演奏ができないと店長は首を縦に振らない。
「道のりは険しいけど、だからこそメンバーは結束して努力する。その過程を近くから見守れるのが地域に根差したライブハウスの醍醐味なんだよ。無名の人ばっかりだけど、近くで見てると一つくらい刺さるバンドがあるものなんだ」
一瞬心惹かれたものがずっと気になって、気づいたら好きになっている。応援しているバンドがデビューすれば嬉しいし、解散してしまうと悲しい。店長曰く、他人の人生が他人事じゃなくなるのがライブハウスなんだとか。
俺はそんな心持ちを夢中で語っていた。
すると一色と目が合った。カウンターに頬杖をついてまっすぐこちらを見る一色は小さく笑っていた。
俺が「どうしたの?」と尋ねると
「楽しそうって思っただけよ」
そう言う一色はどこか妖艶に笑みを深める。
なんだか恥ずかしいな。
「そんなに音楽が好きなら大隈くんもやってみたら?」
「俺がバンドを? 無理無理。リコーダー吹くのでさえ苦労したし、楽譜の読み方も忘れたからできっこないよ。それに、俺がここでバイト始めたのは応援したいバンドがいるからなんだ」
「応援したいバンド……。それって前に言ってたおすすめのバンドのことね?」
一色が呟いた、その時だ。
ホールが暗転し、幕が上がる。観客のざわめきに釣られて向けた視線の先、マイクの前に立つ男性の姿が目に留まった。
「ギャラスコだ!」
俺は髪の毛が逆立つような興奮を抑えられず、バーテンの先輩に「ちょっと行ってきます!」と断って持ち場を離れた。
「一色、行こう!」
「えっ、仕事は?」
「ちょっとくらい平気だよ!」
支障が無ければ持ち場を離れて鑑賞するのはここでは暗黙の了解だ。
一色も誘い、観客の一番後ろに張り付く。
俺は少しでもはっきりとステージの様子を見たくて必死に背伸びした。
最初のナンバーはムーディなインストゥルメンタル。リードギターによるクリアな高音から始まり、そこに少しずつ音が加わっていく。
ドラムの優しいシンバル、ギターボーカルの寄り添うバッキング、耳を澄ませないと聞き漏らしそうなさりげないベース。
徐々に豊かになる音の色彩は聴く人にため息を誘い、気持ちを落ち着けていく。
それはまるで……
「夜が更けていくみたいね……」
「うん」と一色の感想に同意した。
じっくりとベースの響きが強まるのに対比してギターのメロディが際立つ。逆にドラムのシンバルは少しずつ弱まり、ついにフェードアウトした。
深まる闇、輝きを増す星々、寝静まる人間達。そんな情景の浮かぶ曲だからリコネスが高めたホールの熱はいつの間にか取り払われていた。
ライブハウスにあるまじき静寂。しかし観客達は息を呑んで聞き入り、そのしじまさえも音楽として楽しんでいた。
一曲目からフェードインした二曲目も静かな曲だった。
この曲には主人公がいて、Aメロ、Bメロでは退屈な日常を送るちっぽけな自分への葛藤が歌われる。
「なんだか暗い曲ね。このバンドってこんなのばっかりなの?」
「しっ! サビに入るよ」
一色が訝しげに尋ねてきた瞬間、静寂が塗り替えられた。
サビに入ると一気に明るくてスピード感のある曲に転調する。
サビはそれまでの内省的で暗い曲調から一転、寝床を飛び出して夜道をガムシャラに駆け抜けるような激しいリズムに変化する。
そんな曲だから観客の反応はまばらだ。
俺のように曲の進行を知っている人はテンションぶち上げで拳を突き上げるけど、一色のように転調についていけず遅れてリアクションを取る人もいる(むしろこっちが多いのがウケる)。
この曲のタイトルは『流星群』。平凡な主人公を立てて「人間最後は灰になる。だから動き出そう」と一念発起を促すポップロックだ。星空の下をガムシャラに走る青臭い歌詞が聴き応えがあり、お客さん達もだんだんノり出した。
ふと横を見ると、一色も相好を崩し、腕を力一杯振り上げてノっていた。
曲に合わせてツインテールがぴょこぴょこ、お尻を振ってスカートひらひら、お胸がゆさゆさ。
や、やばい……可愛すぎる! 普段クールでアンニュイな分だけはしゃいでると新鮮だし、やんちゃなロック少女っぽい服装がギャップに拍車をかけてドキドキさせる。
こんな無邪気なところもあるんだな。
ぼんやり感銘を受けていると拍手喝采が激しく耳朶を打つ。
俺は一色の意外すぎる一面に見入っていたらしい。
ステージに目を向けると二曲目が終わってMCが始まっていた。
「グッドイブニング、ミルキーウェイ。ギャラクシー・スコーンです。今の曲、『流星群』っていう新曲なんだけど、皆最初ついてこれてなかったね」
MCに入るとギターボーカルが肩で息しながら曲の紹介をした。最初微妙だった客の反応はステージからも見えていたようで、ホール側から失笑が湧いた。
「ギャラクシー・スコーン、略してギャラスコなのね。で、大隈くんのイチオシのバンド」
「そ、そう。で、今喋ってるのがリーダーのTOKIさん」
「あんな曲作る割には案外普通っぽい人ね」
「ギャップで脳バグるよな」
ギャラスコはロックを主軸としたバンドで、歌詞は内省的で陰キャっぽいものが多い。その一方で作詞担当のTOKIさんはMCや動画配信では陽キャっぽく話すのでファンの間では『TOKIメンヘラ説』が流れている。今の『流星群』にしても、一念発起するストーリー仕立てだが最後は繰り返しの日常に戻っていくという凡人の歌だ。
ちなみに『流星群』の動画サイトのコメント欄は「嫌なことあったの?」「TOKIさん死んじゃダメだよ」みたいな温かいメッセージで溢れていた。
「でも面白いかも。今の曲も良かった」
「本当? 良かったら他の曲も聞いてみない? 家にCDあるから貸すよ」
「CD再生する機械持ってないわ」
「ですよね〜」
CDの売れない世の中じゃ仕方がない。後で動画サイトの公式チャンネルと配信やってること教えてあげよう。
三曲目はイントロから終始アップテンポのポップスだった。『流星群』と違って皆最初からノリが良く、一色もリズムに身を任せている。ただでさえ好きなバンドのライブなのに途中で何度も笑ってる一色と目が合ったおかげで楽しさ倍増だ。
自分の好きな音楽を気に入ってもらえるのは嬉しい。本や音楽の好みは一番繊細な宝物だと思う。否定されると悲しいし、バカにされると悔しい。その分認めてもらえると嬉しいし、もっと好きになる。
特に同年代の女の子が相手だと胸がいっぱいになった。
そしていよいよ最後の曲。
「あ、この曲か……」
「好きなの?」
「うん、すっごく……」
俺はTOKIのギターソロのイントロを聴いただけで胸が締め付けられるような息苦しさに襲われた。
CDで何度も聞いた曲だが、生演奏を聴くのはまだ二度目だ。
ラストナンバーは『桜が散っても』というタイトルのバラードだ。歌詞は散りゆく桜を儚みながら他の花々に目を向け、来年は別の場所でお花見しようと誘うストーリー仕立てで、「くよくよ悩まず別の幸せを見つけよう」と落ち込んだ人を励ます気持ちが込められている。
お客さん達は曲に合わせてゆっくり手を左右に振っている。でも俺だけはぼんやり突っ立ってステージを眺めていた。
「大隈くん。どうしたの?」
「え、何が?」
隣に立っている一色が心配そうに尋ねてくる。
「あなた、泣いてるわよ」
指摘され、反射的に頬に触れると確かに指に熱い涙が付着した。
ドキリと心臓が跳ね上がる。
「な、泣いてなんかないよ! 楽しいライブで泣くはずないだろ」
強がって誤魔化すと右手を上げて楽しんでるフリをした。
恥ずかしいところ見られちゃったな。
「そう、私の勘違いだったみたいね。でも一応これ貸してあげるわ」
一色は知らんぷりしながらも強引にハンカチを渡してきた。薄暗くてよく見えないが、多分俺が上げたハンカチだ。
一色がステージの方を向いているのをよく確認してから、ありがたく使わせてもらったのだった。