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第3話 氷姫の噂

 今日の天気はあいにくの曇り空。十月上旬となると暑さも収まり半袖を着ている生徒は少ない。校門を通過する生徒は軒並み中間服だが、中には寒がりなのかブレザーを着た人もいた。


「ちょっと肌寒いな」


 半袖を着ている俺は肩をすくめ、左腕の辺りを擦って暖を取る。指先に父さんに無理矢理貼り替えられた大判の絆創膏が触れた。


「天人、ちーっす!」


「ん、ルイ、おはよう」


 後ろからポンと肩を叩いたのはクラスメイトの友弘類。スラっと背が高いイケメンで女の子を取っ替え引っ替えしてるすけこましである。しかし入学式から一ヶ月も不登校してた俺に気さくに接してくれた大事な友人だ。


「天人、今日は半袖か。寒いのにどうして?」


「バイト帰りに転んでダメになった」


「マジか!? 派手に転んだんだな。ってことはその絆創膏はその時にできた怪我か。具合はもういいのか?」


「大した傷じゃないから平気だよ」


 この観察力と気遣いには舌を巻く。こういうところが女子にはポイント高いんだろうな。


「はぁ、天人が傷物になっちまうなんて……。こうなったら俺がもらってやるしかないな」


「千鶴ちゃんだっけ? お前の彼女に悪いよ」


「一昨日別れた」


「そうなの!?」


「だから今はフリー。天人よ、寒くなってきたし、傷ついた俺の心をぎゅっと抱きしめてくれ……」


「お前のとっぽい図体は手に余るよ」


 男に歯の浮くようなセリフを言われても苦笑しか出ない。

 ルイに言われたい女子なら探せばいくらでもいるからそっちに囁いてやればいいのに。


 そんなバカ話をしていると不意に頸をヒュウっと冷たい風が撫でた。


「あ、氷姫ちゃんだ」


 ルイが弾んだ声を上げる。振り返るとちょうど校門のところに例の氷姫が歩いていた。


 トクン、と胸の奥で何かが跳ねる。


 俺とルイは自ずと足を止め、氷姫の姿に見入った。


「今日も美人だなぁ、氷姫。あれで少しでも笑えばもっと可愛いのに。氷姫は表情筋死んでるから仕方ないけど」


「ひどい言い草だな」


 氷姫が人前で笑わないのは有名だが所詮は噂。氷姫だって笑うし、人並みに優しいところがあるのを俺は知っている。


 俺は氷姫に見惚れるルイをチラリと窺い、それからカバンの中に意識を向けた。

 今朝カバンの中に入れた包みは氷姫に渡すもので、中身はハンカチ。先日俺の血で汚れてダメにしたから弁償のつもりで買ったのだ。が、ルイがいると詮索されるから声かけられないな。放課後に出直そう。


「一色さん!」


 そんなことを考えてると突然、男子生徒が大声を上げて氷姫の前に躍り出た。


「なんでしょう?」


 氷姫の冷たい声。無表情で――いや、微かに眉間にシワを寄せて男子生徒と対峙した。


「先日は突然『付き合ってくれ』なんて言って申し訳なかった。だがどうしても諦めきれない。だって、一色さんのことが好きだから!」


 なんと、月曜の朝一番に衆人環視での電撃告白! しかもすでに断られてからのリベンジと来た!

 珍しいものを見て皆驚いている。特に女子生徒は色めきだって熱い視線を注いでいた。女の子って恋愛好きだもんね。

 一方の氷姫は厚い氷のように全く表情を崩さず、じっと男子の顔を睨みつけている。


「もう一度考え直してもら――」


「結構です」


 即答!?


 間髪入れぬお断りに誰もが肝を冷やしたことだろう。だが告白した当人は諦めてない。


 そう言って男子生徒は氷姫の前に跪き、背中に隠し持っていた小さな花束を差し出した。学校でよくやるなぁ。


「そう言わず。これが僕の気持ちだ」


「いりません」


「せめて連絡先だけでも!」


「あなたに興味がないの。さようなら」


 男子生徒の告白をバッサリ切り捨てると氷姫はスタスタ去っていった。告白した男子は完全に砕け散り、風に吹き飛ばされていった。


「うひゃー。氷姫ちゃん、相変わらずクールだなぁ! 俺もバッサリやられた傷が疼くぜ」


「夏休み前だっけ、声かけたの」


 ケラケラと笑うルイもアプローチして袖にされた一人だ。


 その美貌ゆえ、氷姫に熱い視線を送る男子は後を絶えず、入学以来何度も告白されては全て断っているそうだ。


 俺は再びカバンの中の物に意識を向ける。そして内心弱り果てた。

 あの分だと俺のハンカチも突き返されるかもしれない。


「あの男子、確か二年だよな?」


「吹奏楽部新部長の竹下先輩。生徒会の仕事で話したことあるよ。感じの良い人だった」


「俺も聞いたことある。爽やかイケメンで学業優秀って噂だ。そんな竹下先輩を笑顔一つ見せず振るなんて、氷姫は理想が高いのかもな。だが、天人ならいけるのでは?」


「なんで俺なんだよ。あんな美人に俺なんかが釣り合うはずない」


「またまたぁ。天人はおしゃれすれば十分格好いいぜ。ダンディなおじさまと美人のおばさまの血を引いてるしな。そ、れ、に! お前には大隈病院の後継者っていう最強のステータスがあるだろ? もしかすると、氷姫はお前が声かけてくれるの待ってるんじゃね?」


「それはない」


 断言できる。もし俺を狙ってるなら金曜の夜の時点で何かしらアプローチしたはず。なのに何もしてこなかったということはそもそも俺に興味がないんだろう。


「ご謙遜を。まぁ、なんにせよ大隈家の御曹司が関わるべき相手じゃないな。あの子、悪い噂あるし」


「御曹司言うな。……って、悪い噂?」


 何やら聞き捨てならない単語が聞こえた。


「知らないのか?」


「あぁ。俺はお前ほどネットワークが広くないからな。で、悪い噂って?」


 ルイは俺の肩を抱き寄せ、こう囁いた。


「あの子、パパ活やってるらしい」


「……冗談だろ?」


「俺がそんな冗談言うと?」


 ルイはチャラい男だがブラックジョークは言わない。そこは信頼できる。


「デマだろ? 氷姫にフラれた男かやっかんでる女のでっち上げなんじゃ?」


「それがな、目撃証言があるんだ。なんでも繁華街の高級ホテルからスーツを着た男と出てきたって。しかも、別れ際に金を受け取ってたそうだ」


 ショッキングな情報に言葉を失った。

 パパ活なんて高校生がやっていいことじゃない。そんな非行に氷姫が手を染めているなんてにわかには信じられない。


 だが俺自身、強くは否定できない。なぜなら俺も疑惑の現場を目撃した一人だからだ。


 金曜の夜、氷姫は歓楽街で男性とトラブルになっていた。歓楽街にいたのは乗るバスを間違えたとのことだが、果たして真実なのだろうか? 仮に真実だとして、その前にいた繁華街で何をしていたのかは明らかではない。

 バイトや予備校の帰りかもしれないが、信じるには彼女のことを知らなさすぎる。


 その時、ツウっと左腕が疼き、この傷を気遣ってくれた氷姫の顔が浮かんだ。


 純白のハンカチが血で染まることを厭わず手当した氷姫。

 中年の男相手に女を売っている氷姫。

 二つの顔のチグハグさに頭がパンクしそうだ。


「何かの間違いだろ? そんなの……デマに決まってる」


「やけに庇うじゃんか。もしかして本当に狙ってるのか?」


「そうじゃない。だけど……」


 訝るルイに否定を返すが、それ以上は言葉が出なかった。モヤモヤの理由を話せば状況証拠を積み上げかねない。


「だったらいいさ。これから先も関わるなよ。お前の爺さん、そういうのにうるさいんだろ?」


「あぁ。忠告、どうも」


 お調子者だが察しの良いルイの忠告は無視できない。


 旧家というのは変なしがらみが多く、付き合う友達にも口出しされる。友達付き合いくらい好きにさせてほしいが、万が一厄介ごとを家に持ち込むと恐ろしい制裁が待っている。


 ゆえに黒い噂のある美少女と大隈家の御曹司は混ぜるな危険だ。悪いことに学校の理事長と爺さんは昵懇だからどんな形で情報共有されるか分かったものじゃない。


 とはいえ氷姫にお礼とお詫びをしないのは目覚めが悪い。これも旧家の性だろう。


 さて、どうしたものか。


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