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雲一つない澄んだ空、青々とした木々、森の間に流れる澄んだ川は日の光を受けてキラキラ輝いている。
まだ22歳だが…こんな場所で余生を過ごしたいと思えてくるほど美しく壮観な眺めだ。私の内なる邪が浄化されそう…。
こんな美しい場所を訪れた理由は、ここに孤児院があると兵士に教えてもらったからだ。兵士のオススメの場所なら信用もできるというもの。
確かに孤児院をこの目で見てみると、不思議なほどに安心感が湧いてくる。きっとここならアノン君ものびのびと育てる筈だ。
孤児院の前では10人以上の子供達が駆け回っており、子供達を見守る保母さんも3人居た。そのうちの1人が、私達のもとへ歩いてくる。
「よしっ! アノン君、もう1回お姉さんと約束の確認しよっか。──初めて目を合わせた人の名前は?」
「いわないっ」
「不思議な
「いわないっ」
「ニンジンさんとタマネギさんは?」
「きらいだけどたべる…」
よしよし、移動中に教えたことは全部覚えてるな、安心安心。これさえ守れれば、アノン君の未来は明るみを取り戻すことだろう。
辛い記憶は永遠に色褪せることはないが…せめて過去に縛られずに生きてほしい…。正しく人として扱われたまま…幸せを噛み締めてほしい…。
「おはようございます、一体どうされましたか?」
「この子…どうやら親に捨てられてしまったみたいでして…。兵士に伺いましたところ、ここなら安心して預けられると聞きまして」
「そうですか…、責任を持たない親は…どれだけ時が過ぎようと減らないものですね…。分かりました、この子は我々が責任をもって正しい大人へ導きます」
優しそうな
ここに居る子供達も事情は違えど皆可哀想な子達…、互いの痛みを分かち合って仲良くやっていけるだろう。
「それじゃアノン君、ここで健やかに楽しく暮らしてね。他の子達と喧嘩したらダメだよ? それとお姉さんとの約束も忘れずにね? いい?」
アノン君はこくんと頷くと、自分から保母さんのもとへと歩いていった。ちょっぴり腰が引けてるけど、勇気を出して踏み出したことに目頭が熱くなる…。
保母さんによろしく言って、涙がこぼれてしまう前に私は背を向けて飛空艇へ歩き始めた。
「──バイバイッ!」
後方から掛けられたアノン君の声は、今までで一番大きく…ハッキリとした声だった。あの臆病でか弱いアノン君が──私はぐっと涙を堪えた。
「元気でね、アノン君! ──バイバイッ!」
私は笑顔でバイバイを返し、また振り返って手で目を擦った。最後に見たアノン君の顔は…優しく微笑んでいた。
「ハァァァ…鬱だなぁ…、ハァァァ…」
「アレどうしたニ? 出発してからずっとため息ついてるニけど…」
「アノン様という癒しを失い、これから大変な石版探しが始まるからだと思われます。もしくは昨日の疲労がまだ残っているかですね」
流石アクアス…前者が正解…。あぁ…アノン君可愛かったなぁ…、臆病で世話が焼けるところもまた…非常に母性本能をくすぐられた…。
それなのに私達は今から…過酷で辛い石版探し&理不尽で意味不明な魔物討伐をしなくてはならない…。鬱だよねェ…ガチ鬱だぜィ…。
しかも次の目的地は〝ネブルヘイナ大森林〟…。それがどんな場所かは知らんが…〝ネブルヘイナ〟ってのがもう嫌な予感しかせん…。
「なぁなぁニキさん…ネブルヘイナってやっぱアレかなぁ…?」
「まあ…そうなんじゃないニ…? きっとリーデリアの国民も大半はガド教信者だろうし…流石に偶然の一致ではないと思うニ…」
「何の話ですか?
ネブルヘイナ──それは世界で最も普及している宗教〝ガド教〟の聖書に登場する人の感情を司る神の名だ。
四つの頭を持ち…それぞれが喜怒哀楽を司ってる神。聖者の恐怖を取り除き、悪童から一切の感情を奪い取るとされている神。
「そんな神様が居るのですね。でもそれがどうかされたのですか?」
「四面の神の名を冠する大森林…、普通に考えりゃあ…まるで異なる表情の森が複数集まってると想像できる…。それは物凄く面倒ってことだ…」
「森はちょっと表情が変わるだけで…生態系もガラッと変わるからニ…。注意すべきことが増えれば増えるほど…見落としや油断も増えてくニ…」
砂漠とは危険性の方向性がまるで異なる…厳しい生存競争の坩堝…。今回も苦労が絶えない冒険になりそうだ…、思わずため息が出るね…。
せいぜい危険生物の腹の足しにされないように気を付けよう…。故郷から遠く離れた土地で糞になるなんてごめんだからな…。
「──っと、そうこう言っているうちに見えてきたな、オマエ等降りる準備しとけ。アクアスは…その…──私の
「またですか…」
▼ ▽ ▼ ▽ ▼
<支度町 -マルベイ- >
飛空艇は無事着陸、私達はネブルヘイナ大森林…の手前にある町に降り立った。川を挟んで2つの町が近い距離にあり、その片方の発着場に飛空艇を停めた。
…っが早速問題発生…っというより何かがおかしい…。大きな町ではないにせよ…それにしても静かすぎる気がする…。
町に入ってみても、誰も居ないのかと思えてしまうほど…町は静寂に包まれている…。道には私達以外人の姿は無く…どの店もやっていない…。
どことなく不気味な雰囲気だ…一体全体どうなってる…? 町並みは綺麗だし…元々こうだったとは思えない…。
「これはハッキリ異常ニね…、どうするニ…?」
「そうだな…、何かあったのかもしれないし…
怪しい雰囲気漂う無人にも思える町を歩き、私達はタウンマップの案内通りに
この町も兵の駐屯所はなかったが…憲兵すらも見当たらないのはよっぽど異常だ…。たまたま偶然隣の町に全員が出掛けてる…のなら杞憂で終われるんだが…。
如何せん魔物が巣食ってるネブルヘイナ大森林付近の町だ…、魔物が関わっているのなら…どんな異常事態が起こっていても不思議じゃない…。
町全体を形容しがたい不穏が取り囲む中…私達はこの町唯一の
恐る恐る扉を開けて中に入ると…やはり誰も居ない…、受付嬢の姿もない…。だが人の気配はする…、微かに誰かの荒い息遣いが聞こえる…。
ひとまず受付のベルを鳴らし、受付嬢から話を伺ってみる。どんな状況なのかを知ることで、私達にも手伝えることが見つかるかもしれない。
「──お待たせしました…どうされましたか…?」
奥から出てきた受付嬢は物凄く顔色が悪い…加えて壁に寄りかからないと歩けないほど苦しそうな様子だ…。
体調が優れないようだが…単なる風邪ではなさそうだ…。何かの病か…?
「さっき町に着いた者なんですけど…誰も居ないのを不審に思いまして…。えっと…貴方も大丈夫ですか…?」
「大丈夫…ではないですね…。町が閑散としているのも…住民の皆さんが私と同じ未知の病に侵されてしまい…まともに動けないからです…」
「未知の病…?
聞けばその病は十日ほど前からこの町を蝕み始め…今では全ての住民達がその病に侵されているという…。
頭痛・腹痛・目眩・発熱・気怠さ・手足の麻痺・エトセトラetc…、苦痛の詰め合わせみたいな症状だけを聞けば…流行り病のセレバ病に似ている…。
だがどの薬を用いても…治るどころか症状が緩和することすらないという…。確かにそれは
色々と研究すれば特効薬も作れるのだろうが…、肝心の
外から
「どこから病が広がったとかは判ってるんですか…?」
「関係あるかは分かりませんが…森の方から
〝
十日経ってもまだ立って動けるくらいには進行が遅いようだが…それもいつまでもつか…。早いとこ手を打たないと手遅れになる…。
だがどうすりゃいい…? 魔物を倒せばいいのか…? 倒したら病も一緒に消えるなんて想像できないが…魔物は常識の内側に存在してない…。
魔物を倒せば病も消える…そんな夢物語もあり得るかもしれない…。だが魔物討伐はホイホイ行えるものじゃない…、入念な準備が必要だ…。
共に戦ってくれる協力者を募り…周囲に被害の出ない場所に誘い込む必要がある…。その為には石版が要る…、膨大な時間を割くことになるだろう…。
かと言って…全く未知の病を相手に特効薬を作るのは現実的じゃない…。最善択は…症状を緩和させ進行を遅らせられる薬を作ることだろう…。
だがそれには試作を幾度と繰り返す為の大量の素材が必要になる…。しかしこの町の薬用素材は現在不足中…八方塞がりもいいとこだ…。
「隣町から補給してもらうというのはできないのですか…?」
「既に行いましたが…もう底をついてしまいました…。病の発生源が森にあるかもしれない以上…森に入って採取するのもできず…、数日おきに訪れる商人達から買い足すしかないんです…」
発言からして…商人達の物販だけじゃ必要量を賄えていないみたいだ…。資源の宝庫とも呼べる森…それも大森林を前におあずけとは…。
「そのような現状ですので…満足な対応をすることができません…。申し訳ありませんが…今日のところは…お引き取り…を…──」
「ちょっ…!? 大丈夫ですか…?!」
受付嬢は立ったまま気を失い…力なく床に倒れ込んでしまった…。このまま放置もできないので、とりあえず受付嬢を奥の部屋に運んだ。
奥の部屋には他の受付嬢や、元々ここで働いていたであろう
ソファーの上はまだしも…床に毛皮を敷いたその上で横になっている人もいる…。ベッドは全て患者が使っているのだろう…。
空いているソファーに受付嬢を寝かせ、私達は静かに
「このままじゃマズいニよ…! どうするニ…?! 勘頼りで魔物見つけて…ニキ達だけで速攻叩くニ…?!」
「ネブルヘイナ大森林は広大だ…適当に彷徨ったってまず見つからないさ…、最悪遭難するだろうな…。入れても精々外側を撫でる程度が限界だ…」
大森林の奥に入るにはガイドが要るが…この状況じゃ無理だろう…。クソッ…何かないのか…?! この惨状を救える方法は…!
魔物を討つには戦力・頭数…あとガイドが要る…、対抗できる薬を作るには薬用素材と薬師…それも未知の病にも対応できる優秀な薬師が…。
せめてあの病がどんなものかさえ知れれば…対処のしようだって…──
この事態を100%解決できる保障はねェが…このまま頭を抱えてるよりずっと良い筈だ…! やってみる価値はある…!
「その顔は何か浮かんだみたいニね…! じゃんじゃん指示ちょーだいニ…!」
「ああ…ただその前にやってもらいたいことがある、一旦飛空艇に戻るぞ…!」
▼ ▽ ▼ ▽ ▼
「えっとォ…? ここ…じゃないな…、こっちか…? あれェ…? 確かこの辺に入れた気がするんだけどな…、いややっぱあっちの棚か…?」
「何も考えず適当に片付けをするからそうなるのですよ…?」
「だらしない…だらしないニ…」
物置部屋の引き出しという引き出しを開け、中身という中身を全て出してお目当ての物を探す…。絶対にこの部屋にある筈なんだけどなぁ…。
「んぅー…──あったァ! ニキこれだ! これの〝繋がり〟を探ってみてくれ!」
私はようやく見つけ出した〝ちょっとホラーチックな人形〟をニキに手渡した。ニキはそれをぎゅっと握って目を閉じると、世界地図はないかと言ってきた。
世界地図はどこにしまったかを思い出していると、いつの間にかアクアスが持って来ていた。世界地図を受け取り、ニキの目の前で広げる。
「反応があるのは…ズバリここニ!
「フジリア…?! ってことはドーヴァってことですか…!?」
〝繋がり〟がドーヴァに…。そうかそうか…これは思わぬグッドタイミングだぜ…!
「そうと分かれば早速行動に移るぞっ! まずニキ、オマエはここに残ってできるだけ多く薬用素材を集めるんだ! 一応クギャも置いて行くから、協力して頑張ってくれ! アクアスは私と一緒に来てくれ、一時ドーヴァに帰還するぞ!」
「了解ニ!」
「かしこまりました!」
今後の動きについての説明を簡潔に告げ、速やかに行動を開始する。ニキとクギャをこの町に残し、私達は大空へと飛び立った。
今回も行きと同じで4日かけて王都まで戻る遠距離飛行…睡魔と戦う辛い飛行が始まる…。昨日の件であんまり寝てないのに…明後日まで寝れないの辛ェ…。
「カカ様、ドーヴァに一体何があるんですか? あの人形はなんです?」
「あれは数年前に〝
──第95話