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第5話 石波小春

 稽古場の扉が開く。ゆうらりと登場したのは石波いしなみ小春こはるだった。なぜだか鹿野素直の中に驚きという感情はなかった。今この場に満を持して登場するイレギュラーな存在として、石波小春ほど相応しい人材はなかった。

 石波小春の左手の薬指で、翡翠の指輪が光っている。


「小春さん」


 意識を失っているらしい不動ふどう繭理まゆりを庇いながら、王城おうじょう穣治じょうじが裏返った声を上げる。


「何を……」

「どいてよ」


 17歳、とはとても思えないような貫禄だった。すらりとした長身に全体的に華奢な体、能世春木にはまるで似ていない、それどころか不田房栄治の面影さえ感じさせない、不動繭理の遺伝子だけを完璧に受け継いだ冷徹な美貌。単為生殖説を採用したくなるほどに、石波小春は不動繭理に生き写しだった。


「これは私と、不動の問題です。全員引っ込んでて」

「そういうわけには」

「王城さん、あなたのことはもう警察に話してある。母にへばり付いてる暇なんてないんじゃないの」

「!」


 小春の台詞に、王城の顔から血の気が引くのが分かった。同時に「あーあー始まっちゃった!」とその場の空気をめちゃくちゃにするような大声が響き渡った。

 実際、声は必要だった。彼岸に渡ってしまったようなこの稽古場を此岸に引き戻すためには、空気を読んだり、気を遣ったりしている暇なんてないのだ。「」と宍戸の声がした。それから、


「すみません宍戸さん、俺らじゃ引き止められなかった」

透夏とうか


 全身汗だくになった薄原すすきはらカンジとコオロギ透夏とうかが、開け放たれたドアの前に立ち尽くしていた。ふたりは──稽古場の一階にあるカフェに待機していたはずだ。この場に現れてはいけないはずの誰かが来てしまった場合、稽古場への侵入を阻止するために。


「いや、いい……良くはないかもしれないが……」


 宍戸のこんな茫然とした声、初めて聞いた。この先何がどう転がるか、宍戸にも予想できていないのだ。

 昏倒したままの不動を放り出して、王城が這いずるように開け放たれた扉に向かう。だが、透夏が逃さない。


「よう。王城。宍戸さんがスマホでずっと中継しててくれたおかげで、なんとなく事情は分かったぞ」

「コオロギくん、これは……」

「不動さんが美しすぎるのが悪いってか? そういう責任転嫁、俺は好まないね。俺とカンジが血を吐くような気持ちで組み上げたセットをぶち壊したのは、不動さんじゃなくておまえなんだからな!」

「故意に舞台装置を破壊した、或いは破壊に手を貸したことにより能世春木さんが大怪我を負ってる。これが何罪になるのか俺らは知らないけど、とにかく王城くん、きみだけ逃げようっていうのはあまりにもあんまりだよね〜」


 舞台監督コオロギ透夏、大道具担当薄原カンジに笑顔で詰められ、王城穣治はその場に座り込んで項垂れる。あっちはもう、どうやら放っておいて良さそうだ。

 それよりも問題は。


「ゆっ、指輪、石波小春さん、その指輪……!」

「え? ──ああ。鹿野、素直さんでしたっけ。ご迷惑をおかけしました。でももう、終わります」


 石波小春は、その名の通り優しい春風のような笑みを浮かべ、


「全部この、淫売が悪いんですよ」


 と、昏倒したままの不動繭理の上に馬乗りになり、両手でその首を絞め始めた。

 一連の流れがあまりに優雅で鮮やかだったため、一瞬、その場にいる全員が小春の行動を理解できずに硬直した。

 石波小春の左手の薬指で、翡翠の指輪が光っている。


「だ──駄目だって、小春さん! まずいよ!」


 少女を羽交い締めにしたのは、不田房栄治だった。


「何が、まずいんですか」

「人殺しっ……人を殺すのは、駄目だって……!」

「あなたに私に倫理を説く権利なんてあるんですか?」


「──偽物のお父さん」

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