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第4話

「秘密兵器って……それ?」


 長い沈黙があった。最初に口を開いたのは宍戸だった。泉堂舞台照明から世田谷区のスタジオ繭への移動途中、車内で間宮が「秘密兵器がある」と嘯いたのだ。


「まあまあ」

「ていうかDNA鑑定結果……?」

「それ、……人権侵害じゃない」


 宍戸の声に被せるようにして、不動ふどう繭理まゆりが呻く。今にも倒れそうな彼女の傍らに、王城おうじょう穣治じょうじが駆け寄った。今は王城が、女王陛下のいちばんの臣下なのだと鹿野にも理解できた。

 王城は、コオロギ透夏とうかとは旧知の仲だという。だが彼はコオロギ透夏よりも不動繭理を選んだのだ。東京、大阪の二ヶ所の劇場で、違うつくりのセットが倒壊したのはそれが理由だ。


「人権侵害も探偵の仕事ですので」

「それは違うだろ」

「ま、必要とあらばなんだって……の商売ですからね、こちらは」


 紙切れをひらひらと揺らした後、間宮は真剣な表情で言った。


「あなたと能世のぜ春木はるきさんはかつて婚姻関係にあった。その期間に、石波小春さんが生まれた。だが能世さんには生殖能力がなく──我々は、いや、我々という言い方は正しくないか、劇団傘牧場という集団を知る一部の人間や、石波いしなみ小春こはるさんの熱心なファンなどは、石波さんの生物学上の父親は亡くなったなだ一喜いっきさんだと思っていた」


 桃野もものももの言葉を思い出す。曰く、「石波小春は能世春木にはあまり似ていない」。

 能世、不動という男女の側に常に存在した灘一喜という男。彼が石波小春の父親だと勘違いした者は──多い、というか、ほとんど全員がそうだろう。


 不田房栄治が首を突っ込む余地など、今この瞬間までありはしなかった。


「……だったらどうだっていうの」


 不動が唸る。


「小春の父親がエイジくんだったとして、それの何が問題だっていうの? 探偵なら全部調べたでしょう。あなた私を女王だと言ったわね。そうよ。劇団傘牧場の座長は能世だけど、公演を含むすべてを取り仕切っていたのは私です。すべて、全部を! 私がいなければ、劇団傘牧場は伝説になんてなり得なかった!」

「──不動さん」


 声がした。

 不田房栄治だ。

 鹿野の足払いからようやく復活したらしい不田房が、よろよろと立ち上がる。


「俺は……」

「黙って」


 不動の鋭い声音に、不田房はびくりと背筋を伸ばす。


「エイジくんでも、そうじゃなくても、良かった」


 鹿野は戸惑い、間宮に顔を向ける。間宮は能面のような顔で、女王の演説を聞いている。


「能世でも、灘でも、エイジでも──誰でも良かった。


 間宮が鹿野の肩を掴む。何かを言いたげな目線に不動の方に視線を向け──そうして気付く。長い指、青白い両手、左手の中指に翡翠の指輪を嵌めた手が不動の首に巻き付いている。


「ああでも、灘なら良かったわね。あの子は本当に綺麗だったから。でも能世なんかに夢中になって。どうしようもない子」


 殺される。

 あの手は不動を憎んでいる。

 

 鹿野と間宮にしか見えていないのか。宍戸はどこにいる。不田房は。

 稽古場自体がなにかおかしい。不田房が、大阪から戻る新幹線に乗っている最中に何やら妙なことに巻き込まれたと言っていたじゃないか。

 この世ならざる場所に連れて行かれて。


「これ以上何が知りたいの、探偵さん。それに宍戸さん、鹿野さん。あなたたちも」


 不動繭理の声だけが聞こえる。

 大勢いるはずなのに。他にも。


「灘のこと? それとも娘のこと?」

「ふたりのことだ」


 ──宍戸だ。宍戸クサリがいる。


「石波小春と灘一喜のあいだに何があった。それとも、何もなかった?」

「悪趣味」


 不動が笑う。笑う。笑う。

 美しい女だ。

 彼女こそが伝説の劇団に君臨した、本物の王だ。

 間宮が鹿野を引き寄せる。彼女に体を支えられていなければ、今にも座り込んでしまいそうだった。


「何があった? あったに決まっているじゃない!」


 不動。


「小春は灘を愛してた。灘が能世を愛するみたいに、馬鹿みたいに」


 指が。

 不動の白い首に食い込む。

 あ、と声を出すことすらできなかった。

 不動繭理が仰向けに、優雅に、倒れ込む。

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