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第2話 新宿区・泉堂舞台照明③

 公演中止にするか否かが長らく保留となっていた『底無そこなし活劇かつげき』、北海道札幌市テアトル・タラッタに於ける公演が実現することになった。舞台監督はコオロギ透夏とうかの降板後繰り上げで舞台監督となった王城おうじょう穣治じょうじ。大道具関係は株式会社ジアンが懇ろにしている都内の新進企業が参加することになった。出演者に変更はない。不田房栄治も参加することになる。


「現地入りまで……もう三日しかないぞ」

「そうそう。もう時間が全然ない。しかも雨超降ってる、最悪!」


 泉堂に借りたタオルで橙色の髪を拭い、濡れたジャケットをハンガーに掛けながら間宮まみや探偵がくちびるを尖らせる。


「ジアンの公式発表は今日の十九時」

「あと四時間か」

「僅か四時間、されど四時間。さて、私たちはこの四時間でいったい何ができるでしょう?」


 北海道は遠い。大阪も名古屋も仙台も全部遠いけれど、中でも頭ひとつ抜けて遠い。もしも『底無活劇』の舞台上で何かが起きて、不田房が巻き込まれるようなことになったら──助けには行けない。


「他に情報は? 間宮」

「いや〜う〜ん」


 泉堂が出してきた丸椅子に長い脚を組んで座った間宮は、どこか歯切れの悪い様子で小首を傾げる。


「いやさ〜、名探偵間宮さんとしてはこう? 有益な? 情報を? 手に入れるべく奔走したんですけど?」

「ですけどなんだ。結論から言ってくれ」

「劇団傘牧場って変だよね?」


 宍戸が大きくため息を吐く。そうして。


「変だよ!!! 俺たちが思ってるより百倍変な集団だよ、だから困ってんだよ」

「鹿野ちゃんが仕入れてきた薄原すすきはらの人の証言と擦り合わせてもさぁ……演劇のこと何も知らないこっちからしてみれば、劇団ってそんなに不健全な集まりなの? って思っちゃうっていうかさぁ」

「不健全でも健全でもどっちでもいいだろ。色々ある」

「宍戸は年上のおねえさんとも組んで仕事してるんだよね?」

「あ? くり子さんのことか?」

「いい感じになったことある?」

「ねえよ。くり子さんも俺もお互いそういう感じじゃない」

「なるほどね〜」


 宍戸クサリがスモーカーズとは別に参加している演劇ユニット、宮内みやうちくり子チームのことだ。その名の通り宮内くり子という名の六十代の俳優・戯曲作家・翻訳家・演出家を兼ねる女性と宍戸の二人三脚で運営しているチームで、公演の度に出演者やスタッフは外部から招聘する。泉堂も常連である。宮内には愛弟子のような存在の演出助手がいるため鹿野は参加したことがないが、飲み会などで何度か顔を合わせたことはある。


「女王蟻かぁ」


 泉堂の煙草を勝手に吸いながら、間宮が呟く。


「実際そうなんだよね。不動繭理が大学を卒業した途端劇団傘牧場は

「……?」


 宍戸と鹿野の視線が再びぶつかる。

 瓦解?


「主要メンバーの卒業と同時に解散するって予定だったんじゃないんですか? 薄原一暉いつきさんからはそう聞きましたけど……」

「そこなんだよねぇ鹿野ちゃん。薄原家の一暉さん? はスタッフ側から、劇団の内側から景色を見ている」

「……」

「でもさ、だったら、外から劇団傘牧場を見ていた人もいるっていうことだよね」


 間宮の発言の意図がまったく分からない。困り果てて眉を下げる鹿野の肩を軽く叩いた間宮が、


桃野もものもも

「……桃野さんが何か?」

「宍戸から聞いた。傘牧場のオタクなんでしょ? 解散後のメンバーの動向も、発表されてる以上のことを知ってるって」

「まあ……同業者ですし、何かと耳に入ることもあるんじゃないですか」

「でも全員のことを知ってるわけじゃないよね?」

「……全員」


 誰のことを言っているのだ。桃野の言葉を思い出す。


『能世さん……は『底無活劇』だけど、今は入院中でしょ。不動さんは土曜日の連ドラに出てるのと、あと娘さんの石波小春さんのマネジメントをやってるよね。それから……不田房さんは今目の前にいるし、吉野壱花さんは結婚して引退したんだっけ? あ、違う。俳優業は引退したけどモデルやってるんだっけか。李澪さんは一旦韓国に帰国して、日本と韓国両方で俳優をやってるけど最近は向こうの映画に出演してたはず……』


「たとえば。不動繭理や能世春木が卒業の年に、一回生だった学生劇団員は?」


 人差し指をついと立てて間宮が言った。


「どういう意味だ」


 宍戸が身を乗り出す。「そのまんまの意味でぇす」と間宮が口の端を歪めて笑う。


「不動繭理と能世春木が入籍したのは大学を卒業する二年前。台湾公演の際に不動繭理のお腹には石波小春がいた」

「……現在17歳、というのが嘘じゃないってこたぁ分かるが」


 泉堂が唸る。間宮は続ける。


「問題の『底無活劇』の元になった戯曲、『虚星墜つ』。これ、妊婦さんに演じさせるにはちょっとあまりにあんまりなお話じゃない? と間宮さんは思うのだけど。どうかしら?」

「待て」


 自身のこめかみをぐっと押さえ、宍戸が唸った。


「入籍のタイミングとかは別にどうでもいい。だが、台湾公演の時点で不動の腹に子どもがいた? その前提でいくとだいぶ話が変わってこないか?」

「変わってくるね」


 ──あんな戯曲に身重の女房を出演させようとする男、私だったら信用しないね。


 と、上演されなかった『虚星墜つ』の仮チラシ──藁半紙に公演タイトルと、能世、不動、灘をはじめとする卒業生の名前のほかに、大勢の人間の名前が並んだ紙をひらひらと揺らしながら間宮は嗤った。

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