レーイは使えるものは使っておく主義だ。入学早々朝早くから開いているというネモフィネス王立学園に付属している図書館で調べ物をしていた。それは、勉学のためじゃない。この前のように時々夢に前世のことが出てきて、記憶が混濁するからだ。
この国はネモフィネス王国。花や植物が可憐に咲き乱れる綺麗な国と謳い文句がついた、観光地としても有名な国だ。その中でも、特にレーイが住むアビアス街は、王国の冒険者の集まる街としても有名で、街の片隅に聳え立つ城、そして、レーイが通うことになったネモフィネス王立学園は、ネモフィネス王国の観光名所として有名だったりもする。とてもじゃないが、職種差別が起きている国だとは思えないくらいに平和で、植物が花咲く国なのだ。
前世から花が好きなレーイにとっては天国のような国だ。あちこちに、花が咲いていて季節ごとに表情を変える。見ていて飽きない。これだけ花があれば、花屋という職種は尊重されないのかと思う。しかし、他に花のエキスパートの職種があり、花屋の出る幕はないのだ。だから、同じ花を扱う職種の人間に理不尽を言われている両親を何度も見てきた。そう、どんなものを販売していようと、『販売職』が一番下なことには変わりはないのだ。
客の顔色を窺ってぺこぺことしている両親のことを思い出しながら、本を閉じため息する。そうしている間にも、在校生が本棚の影に隠れて、こちらを見てくすくすと笑っているのだ。
図書館に用事がないなら、散れよ……。
耳障りな声に、はあ、と肩で息を吐いて、本を開き直すと、靴を脱いでそこへうずくまると、こそこそと話している声が聞こえぬように、文字を追う。
わざと聞こえるように話している在校生たちに、「やっぱりこうなったか……」と思うほかない。前世では友達こそ少なかったが、こういった経験はなかったから、後ろ指を刺されると分かっていて、戦場に飛び込む勇気なんてレーイにはない。でも、父の切願を無下にすることも出来ないから、結局入学することになったのだ。
レーイのことを言っていると思うと、気が散って本に集中することも出来な口なったレーイは、本を閉じ、うつ伏せになる。
帰りたい。
その一心だった。しかし、今日は入学式だ。帰るわけにもいかない。しかも、飛び級を許され、特待生という肩書きをもらっているから、入学式の生徒挨拶をすることになっている。絶対にレーイのことを吊るすためだと分かっていながら、「これも何かの記念になると思うし、レーイのためだから……」という母の切なげな表情を忘れられないまま、この日がきてしまった。自分なら、子どもにこんな辛い思いはさせないと思うが、自分よりも気の弱い父の頼みだから、断ることが出来なかった。
そりゃ、模擬テストといっても満点を取っちゃったものは仕方ないよなあ……。そう思いながら、あと一時間程度で始まる入学式に憂鬱になる。
入学式とは、今までのもやもやとした不満を捨て去り、心機一転して新たな場所へ行くものだと思っていた。それなのに、レーイはもやもやとした不満どころか、恐怖すら覚えているのだから、「入学式の日にこんな思いしたことないぞ」と思い本を直すために立ち上がる。入学式の日は大抵、新しい友達が出来るかどうか、という不安くらいしかなかったはずだ。
はあぁ……、と何度目かも分からないため息を吐いて、一歩足を踏み出そうとしたその時だった。
「ぐっ……」
何者かが足を引っ掛けてきたのだろう。つまづいて盛大に顔から転ぶと、どっと周りから笑いが起きる。大切な図書館の本を汚されないように、急いで拾い上げて、座り込み、相手の顔を睨み上げると、なんとも典型的ないじめっ子顔をした男子たちが、レーイを見下ろしていたのだ。入学生の証拠の花をつけている。入学式の前に図書館に来ている変わり者を見に来たのだろう。
「ふぅん……、お前が模擬試験一位の……」
にやにやと見下ろしてくる相手の目に気分が悪くなって、ぽつりと「それがなんだよ」と返す。その場での精一杯の反抗だった。
「いや、別に?ただ弱っちいなあって」
見定めるように、しゃがみ込んで同じ視線になると、嫌味な赤い目が視界の中に入る。レーイはただただ緊張していた。周りに人の目があるというのもそうだが、こんな状況になったのは初めてだったから、どう対処すればいいのか分からなかったからだ。じっと相手の目を見ているのが、気に入らなかったのか、男子はレーイの前髪を掴み上げる。
「学年主席だからってあんまり舐めた態度とってんじゃねえぞ、ド底辺」
「……っ」
誇りに思っている家のことを踏み躙られた。それが悔しくて、何か言い返そうと試みるが、子どもの二歳差というものは、とんでもなく大きい。自分よりずっと大きい手は、振り払おうとしても振り払えない。そして、見下げられる赤い目が怖くて仕方がない。威圧感がすごいのだ。レーイはただただぷち、ぷち、と音を立てて、抜けていく痛覚に耐え忍んで顔を顰める。
「…………」
「ふん」
反抗もせず、何もし返してこないレーイをやがて詰まらなく、思ったのか、男子は鼻を鳴らして、レーイの体を投げ捨てて図書館を去って行く。その大きい後ろ姿を見て、「なんなんだよ……」と声に出さずに言って、のそのそと立ち上がる。いじめを避けるため、前世のように今世でも、クラスの隅っこで静かに過ごすつもりだったが、いやに在校生に目立ってしまった。
ひそひそと小声でレーイを噂し、レーイを見る眼差しが突き刺さって痛いから、さっと制服を整えると、本を元の場所に戻して図書館を出た。
小春日和。
そういう言葉がよく似合う天気だった。晴々しい日にぴったりな晴れ晴れとした快晴。まだ冷たい朝の春風はレーイの頬をくすぐる。
誰もいない朝の自然に囲まれた新鮮な空気。たまらなく心地よくて、好きだ。
噴水を眺められるように設置されているベンチに座ると、事が起きる前に借りておいた本を開く。
――正直、勉強は出来ても、突出はした特技を持ってこなかったレーイは、この学園でやって行ける自信なんてなかった。体術や剣術、ましてや魔力なんてあるとは思えない。
本を読んでいるふりをして、父に見せてもらった学園のカリキュラムを思い出すと憂鬱な気分になってくる。前世の学校とは違って、勉強が出来ていればそれでいい、という訳ではなくて、二年生からは、実力がものをいう学校であると知ってから、余計に心が重い。
ネモフィネス王国の差別のこともあるが、調べれば調べるほど、学園も実力主義的な、ある意味差別的な学園であるということが分かる。
「こんなの、絶対いじめられるじゃん……」
そう呟きながら本を閉じると、ベンチに寝転ぶ。
時々、夢に出てくる前世と今世の狭間で見た光の言葉。どうして、
――どうせ転生するならば、もっと幸せな生活を送りたかった。
戻りたくないな……。
重い腰を上げて、こんこんと腰をノックすると、のそのそと重い足で教室へと向かったのだった。