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【転生したら花屋だった俺は冒険者に憧れる。】
卯佐美 月
異世界ファンタジー冒険・バトル
2024年08月30日
公開日
14,060文字
連載中
「お客様は神様だ!」その逆境を乗り越えていけ!

例えば、お金を投げ渡されたり。例えば、理不尽に怒鳴られたり。そういった日々にうんざりしていたレーイ・フラワネスは、冒険者になることを決心する。しかし、レーイの住む国・ネモフィネス王国は、「販売職」の家系の出の者を冒険者にすることを禁じていた。何故なら、ネモフィネス王国は「販売業」の者を下に見ていたからだ。当然、花屋の生まれであるレーイは、冒険者になることを許されない。どうしようもない、そう思った時、街がトロールの群れに襲われる。冒険者たちは、トロール狩りに駆り出される。しかし、花屋を経営しているレーイの家は当然後回し。花も家族もぐちゃぐちゃになり、とうとう堪忍袋の尾が切れたレーイは覚醒し――

00話:~始まりの死。~

 20XX年――

 華月玲かづきれいは、日本の東京で、個人の花屋を経営していた。大通りから少し外れた、小路こみち。花に負けないくらい、良い香りのするパン屋の隣で『Flowre』というシンプルな名前の花屋をしている。

 この日も、朝早くから開店準備をして、気持ち良い朝日の日差しに、「んー……」と唸って伸びをする。パキパキと鳴る関節と、少しの痛みが、という感覚がする。しかし、三十代は曲がり角。あまりやりすぎると、腰に悪い、と凝り固まった体をほぐすための伸びもほどほどに、玲は体から力を抜くと、はあ、と大きく声に出して息を吐いて、力を抜いた。

 片手に持っていたジョウロをレジ横に置くと、パジャマのまま遠くに見える大通りの景色を眺める。6時半。サラリーマンや朝練の学生が忙しなくなってくる時間だ。今日は平日だが、クリスマス・イヴ。夜、素敵な場所で告白やプロポーズをするための花束を買いにくるお客さんがいっぱいいるだろう。そう予想しながら、朝の花の手入れを始めた。つんと香る花粉の匂いにいい気分になりながら、それぞれの花の体調を伺う。一通り、花のことを見て回ると、鼻歌を歌いながら、今日特に売れるであろう、花を入り口の側へと出して、日差しを浴びさせる。


「今日も一日よろしくな」


 店内に話し掛けて、一息吐く。花の世話をしていたとはいえ、まだ開店までには三時間もある。日課のランニングにでもいくか、と一旦ジャージに着替えるために、二階にある自室へと戻る。


 玲に、恋人なんていない。花と仕事が恋人だと言い切って、この花屋を経営してきた。玲の両親はと言えば、玲がまだ学生の頃に亡くなっており、親戚付き合いの薄かった玲を快く引き取ってくれる親戚もおらず、かなりの苦労をして生きてきたけれど、大人になった今はこうして、毎日を楽しく過ごしている。学生時代は、異性に興味を持つ余裕なんてなかったし、今は、異性よりも興味のある花に囲まれて、これからもなんてものには無縁なんだろうな……。そう思いながら、ランニングに出掛ける。

 まだ、人の少ない緩やかな日が登り始めた時間帯。誰もいない車道側を走り、半分寝惚けていた頭をクリアにさせる。今日は、寒い。今は晴れているが、夜には雪が降って何年振りかのホワイトクリスマスになると、昨日の天気予報で言っていた。初めは、その寒さに震えながら走っていたが、あっという間に体の芯は温かくなり、ぼんやりとしていた思考も冴えてくる。


 予約が来ていた花は……、今日の来客予想は……、そろそろバイトたちの給料日だよな……。


 色々と考えながら、大通りにあるランニングコースを一周して、花屋の前に戻ってくる。はあ、と息を吐いて、顎のところまで垂れてきた汗を拭うと、固く閉ざされていた花屋の白いシャッターを開く。

 開店時間にはまだまだ早いが、花たちを日光浴させておくのも悪くはないだろう。

 元気そうな花たちを見て、にっと口角を上げると、シャワーを浴びて着替えるために自室へと戻った。


 自室にも花は沢山ある。この店で売れ残ったものや、個人的に気に入って取り寄せたもの。様々だ。それの水を変えてやりながら、風呂場へと向かうと、着ていたジャージを脱ぎ捨てる。浴室に入るとひったくるようにシャワーヘッドをとって水を出した。温まるまで待っている間、汗をかいた体が冷えて、体の芯が震えるが、もう少しの我慢だ。湯気を纏わせ床に滴り落ちる湯を、頭の上から一気に被るように浴びて、ランニングでの汗を落とす。簡単に頭と体を洗い、シャワーを止めると、ふうと大きく肩で息を吐いて外に出る。ひやりとした空気が体にまとわりつくなか、一瞬で冷えた水滴をバスタオルで拭き取ると、予め用意しておいた仕事着を着る。少し伸びてきた黒い髪を新品のタオルで拭きながら、歯を磨く。生乾きになった髪を簡単にドライヤーすると、仕事に出る準備は完了だ。「よし」と鏡に向かって呟いて、風呂場を後にする。

 ベッドサイドに置いてあるエプロンを取って、時計を見ると、もう開店時間の1分前だ。


「やべ」


 顔を歪めると、エプロンをかけながら一気に階段を駆け下りると、入口を解錠する。そして、レジの鍵を開けていると早速、カランコロンと音を立てて客が入ってきたのだった。玲は少し慌てる。


「おはよう」

「いらっしゃいませ!……あ、おはようございます!」


 元気よく挨拶をして、笑顔を作ると相手も穏やかな笑みを見せてくれる。店に入ってきた初老の彼は、ここ三年ほど通ってくれている常連客だ。如何せん、奥様が長期的に入院しているようで、花好きの奥様に花束やフラワーアレンジメントを用意するために、定期的に利用してくれている。


「今回は花束が欲しくてね。今回も、お任せで頼めるかな」

「かしこまりました」

「妻は、クリスマス・イヴが誕生日でね。毎年彼女が好きな花をプレゼントしているんだ」

「そうなんですね」

「君が素敵な花束を作ってくれるから、妻ももう随分と元気になったよ」

「あはは、恐れ多いです」


 この話も毎年聞いている。毎回、楽しげに花を選ぶ彼の姿を見ていると、彼らが喜んでくれるアレンジメントは何かと、夜に考えながら眠りにつくこともある。そして、彼は「玲が」と言ったが、奥様が元気になっているのは、こうして献身的に花屋に足を運び、一生懸命に花を用意する彼の姿にパワーを貰っているからだと、玲は思う。

 今どきの若い恋人たちは、あまりクリスマスプレゼントに花なんて、選択肢はないようだが、玲は花好きとして彼らのような関係は少し憧れる。


「今回はどのお花を中心にアレンジしましょう?」

「そうだねえ……」


 頭の中で構想は練ってあるといえど、一番大事なものはお客様の声だ。彼とコミュニケーションを取りながら、一つひとつ丁寧に花を選んでいく。こういう時こそ、学生時代に教室の隅で培った、花の種類や名前、花言葉が役に立つ時だ。真剣に聞いてくれる彼の姿を見ると、つい饒舌になってしまう。

 花選びの楽しい時間を終えると、玲はレジ横のカウンターへと花を持っていって花を包む。奥様は桃色が好きだそうだから、桃色の薄葉紙に丁寧に包んでいく。


「……いつもありがとう。君のおかげで妻も来週には退院することになったんだ」

「へぇ、良かったですね!」

「そうしたら、妻とここに顔を出すことにするよ」

「楽しみにしてます」


 最初の頃の暗い顔と比べたら、彼の顔は随分と明るくなったものだ。初めはこうして会話が弾むこともなかった。奥様の体調と花のお陰によって、彼も元気になってきているようだった。

 内心にやけ顔になりつつも、お会計を済ませる。


「奥さんとのクリスマス、楽しんでくださいね」

「ああ、そうするよ」

「…………」


 いつものように笑って、彼のことを見送ろうとした時だった。外の空気に異常を感じたのは。どよどよとどよめく空気と、時々聞こえる悲鳴。サイレンの音。何かの事件だろうか。

 お釣りを返しながら、横目で様子を伺うと、暴走した黒い車が、こちらの小路へと突っ込んでくるのが見えた。


「っ!?」


 玲は、目を見開いた。しかし、目の前にいる彼はまだ異常に気付いていないようで、花束を大事に抱えて、中身の花を見ている。


 ――……どうしよう。


 一瞬にして、モノクロになった世界を前に、玲は体を固くした。

 ドラマやアニメの事故のシーンは、大袈裟に表現されているだけかと思っていた。しかし、事故が起きる直前というものは、本当にスローモーションに見え、全身の筋肉が硬直していくものなのだった。真っ白になっていく、頭の中は解決策ではなく、余計なことばかりを考えていて。だが、玲はひとつだけ重要な事実を掴んだ。


 このままだと、彼が事故に巻き込まれて死んでしまう。


 スピードを落とすことを忘れて、花屋の入口に突っ込んでくる車は、彼の体を確実に捉えていた。

 それなのに、俺は助けられないと言うのか。こんなにも花を愛でてくれて、幸せそうにしている人を。それはいけない。


「…………!」


 自分でも何を叫んだかは、分からない。しかし、声が張り裂けるほどに、玲は絶叫すると、緊張で強張って動かなかった体を無理矢理動かして、カウンターを飛び越えると、彼に飛び掛かる。

 緊急の事態に気付いていなかった彼は、突然玲が発狂したのかと思っただろう。しかし、そんなことは気にしていられなかった。彼を店の花の方へと突き飛ばした頃には、ガシャンと派手な音を立てて硝子が割れ飛び散る。そして、車の勢いで、玲は自分の体が車に跳ね飛ばされたことを理解した。

 猛烈な痛みと、熱さが全身を襲い、動けもしない。


 ああ……死ぬんだな。


 もう何も聞こえない。


 花束を抱えたまま、玲に駆け寄り、玲の手を握る彼の体温すら感じない。だが、薄れゆく景色の中、己の頭部から血が大量に流れているのが見えた。それは、少しずつ彼のスラックスを濡らしていく。


 馬鹿だな、お客様の服を汚すなんて。起きたら弁償しないと。それから花束も。


 くしゃくしゃになってしまった花束に、視線を向けて、は、と最期の息をする。


 ――でも、彼が無事で良かった。


 花以外何も無い俺なんかの為に、気を遣わせるなんて申し訳ないけれど、冷たくなっていく中で、最後に感じた彼の手の温もりが、暖かくて心地よくて、ほっとした玲は、ゆっくりと目を閉じたのだった。

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