「ぴ…よ…」
うっすらと目を見開き、その薄暗さにもう一度目を閉じる。
「気が付いた」
「ぴよ?」
まだ幼い響きを含んだ少女の声がして、メイブはぱっちり目を開いた。
「良かった。全然動かないから、死んじゃったかと思った」
「ぴよ」
背中に僅かな温もりを感じ、少女の掌に乗せられていると気づく。
「ぴよぴよ」
訳:[もう大丈夫、おろしてください]
少女に訴える。しかし、
(ハッ、言葉が通じないのです!)
自分の現状を思い出して固まった。
「うん、判った」
だが予想外の返事が戻ってきて、メイブは目を見張る。
少女はそっとメイブをテーブルの上に俯せに載せた。
「ぴ、ぴよ?」
訳:[言葉、判るのですか?]
「うん」
(なんですとおおおおおおおおおお!!)
見た目にも内心でも、メイブは超仰天した。
「普通の動物とか鳥の言葉は判らないけど、あなたの言葉は何故か判る」
少女は抑揚の乏しい声で、はっきりと言った。
「私はダーシー・スライ。あなたは?」
「ぴよ」
訳:[メイブといいます]
「そう。よろしく、メイブ」
ジッと見つめてくるダーシーを見上げ、メイブは僅かに
明らかに悪戯された亜麻色の頭髪。ハサミで乱雑に毟り切られたのだろう。可哀想なほど酷い短さに切られていた。
そして痩せ細った身体には、黒い地味なドレスを着せられている。青ざめたように色白な肌色は、生気を欠いていた。
どんなふうに扱われてきたのか、ある程度の想像はつく。メイブは内心で切ないため息をついた。
(ドレスの下は、痣だらけに違いありません…。この子は、酷い思いをしてきたんですね。”不平等を愛する魔女”がやったわけじゃなさそうですが、この子は一体…)
「ねえ、あなたは平等?」
「ぴよ?」
唐突にダーシーは口を開く。
「私とお母さんは、お屋敷の人達から沢山苛められてきたの。毎日、毎日、働いて、苛められて、泣いてばかり。
お母さんが生きていた頃は、まだがまんできた。でも、お母さん死んじゃって、とっても辛いの…」
「ぴよ…」
表情は淡々として動かないし、声には抑揚もないのに、ダーシーの言葉からは悲しみと苦しみが伝わってくる。
冬の寒さが肌を刺すように、ひやりと心に入り込んできた。
「
ダーシーは囁くように呟いた。
「
髪の毛を、バサ、バサって切られちゃった。
私はそれしか着るものがなかったから、一生懸命縫い合わせたの…」
(この子…)
「奥様は、お母さんのこともいっぱい、いっぱい罵るの。売女、尻軽女、淫婦って。私には卑しい奴隷女の子、汚らわしいお前のどこに、
「ぴよぴよ!」
訳:[ダーシーしゃん、もう言わないでください!]
メイブの目には、はっきりと映っている。
ダーシーの心は傷つきすぎて、悲鳴をあげる力すら失っている。黒々としたおどろおどろしいモノに覆われ、底冷えするような冷たさをまとっていた。
「リリーが言ったの、不平等はよくないって。私だけが不平等なのは、よくないって。だからね、世界中を不平等にして、みんな公平に不平等にしてあげるの。素敵でしょ、メイブ」
ダーシーは手を伸ばし、メイブをギュッと鷲掴む。
「ぴよ!」
訳:[痛いのです!]
しかしダーシーは力を緩めなかった。
「ほら、見てよメイブ」
ダーシーは薄っすらと笑みを浮かべた。
乾いた、暗い笑みを。
「『
『
ダーシーがにっこり笑ったとき、突然部屋の中に大きな影がいくつも現れ、手を繋いで踊り始めた。
(ジ…ジンジャークッキー…!?)
人間よりもずっと大きな大きな人型のジンジャークッキーが、部屋いっぱいに現れていた。
「トナカイ、スノーマン、もみの木、プレゼントの箱、大きなローソク…」
ダーシーが呟く度に、それらはクッキーとして現れた。
室内が、甘い、甘い、そしてジンジャーの香りも混ざって、咽るほどの香ばしい匂いが充満する。
どこからともなく、陽気なラッパの音が、タンバリンの音が、バイオリンの音が鳴った。
「大きな焚火を囲んで、ココアを飲むの」
輪を作るジンジャークッキーたちの中心に、大きな焚火が出現した。
(ヒイイッ!)
火の勢いは強く、天井まで炎の柱をあげた。
人の笑い声がどこからともなく沸き起こる。音楽の音もいっそう高まる。
(こ…これは…ダーシーしゃんの力なのですか…?人間の女の子がどうしてこんな力を持っているのですか…)
目の前に次々と起こる不可思議な現象に、メイブは心底怯えた。
(これが幻想ならまだいいのです。でもこれは
やがてジンジャークッキーたちは、鋭い剣を抜き放った。
「
ジンジャークッキーたちは、トナカイやスノーマンたちをくし刺しにする。そして、共に剣で争い始めた。
小麦粉で出来ているクッキーなのに、剣で刺されたところから真っ赤な血を噴出させた。
断末魔の叫び声が室内に響き渡る。
剣と剣のぶつかり合う音、悲鳴、甘い香りに混ざる錆びた鉄のような臭い。
だんだんと血臭のほうが濃くなっていく。
「ぴよ!ぴよ!」
訳:[ダーシーしゃん!ダーシーしゃん!]
メイブは必死に呼びかけるが、ダーシーの目は虚空を見つめていた。
全てのクッキーたちが息絶えると、焚火の炎は消えた。
室内は元の薄暗さに戻る。
床には血みどろのクッキーの残骸が、たくさん転がっていた。
「世界中の人達を、同じようにしてあげるの。そうすれば、世界は平等になって、私一人だけが不平等じゃなくなるわ」
ダーシーは人差し指で、メイブの頭をそっと撫でた。
「みんな”aequalitas”」