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57話:ダーシーの心

「ぴ…よ…」


 うっすらと目を見開き、その薄暗さにもう一度目を閉じる。


「気が付いた」

「ぴよ?」


 まだ幼い響きを含んだ少女の声がして、メイブはぱっちり目を開いた。


「良かった。全然動かないから、死んじゃったかと思った」

「ぴよ」


 背中に僅かな温もりを感じ、少女の掌に乗せられていると気づく。


「ぴよぴよ」

訳:[もう大丈夫、おろしてください]


 少女に訴える。しかし、


(ハッ、言葉が通じないのです!)


 自分の現状を思い出して固まった。


「うん、判った」


 だが予想外の返事が戻ってきて、メイブは目を見張る。

 少女はそっとメイブをテーブルの上に俯せに載せた。


「ぴ、ぴよ?」

訳:[言葉、判るのですか?]

「うん」


(なんですとおおおおおおおおおお!!)


 見た目にも内心でも、メイブは超仰天した。


「普通の動物とか鳥の言葉は判らないけど、あなたの言葉は何故か判る」


 少女は抑揚の乏しい声で、はっきりと言った。


「私はダーシー・スライ。あなたは?」

「ぴよ」

訳:[メイブといいます]

「そう。よろしく、メイブ」


 ジッと見つめてくるダーシーを見上げ、メイブは僅かに表情かおを顰めた。

 明らかに悪戯された亜麻色の頭髪。ハサミで乱雑に毟り切られたのだろう。可哀想なほど酷い短さに切られていた。

 そして痩せ細った身体には、黒い地味なドレスを着せられている。青ざめたように色白な肌色は、生気を欠いていた。

 どんなふうに扱われてきたのか、ある程度の想像はつく。メイブは内心で切ないため息をついた。


(ドレスの下は、痣だらけに違いありません…。この子は、酷い思いをしてきたんですね。”不平等を愛する魔女”がやったわけじゃなさそうですが、この子は一体…)


「ねえ、あなたは平等?」

「ぴよ?」


 唐突にダーシーは口を開く。


「私とお母さんは、お屋敷の人達から沢山苛められてきたの。毎日、毎日、働いて、苛められて、泣いてばかり。

 お母さんが生きていた頃は、まだがまんできた。でも、お母さん死んじゃって、とっても辛いの…」

「ぴよ…」


 表情は淡々として動かないし、声には抑揚もないのに、ダーシーの言葉からは悲しみと苦しみが伝わってくる。

 冬の寒さが肌を刺すように、ひやりと心に入り込んできた。


お父様はくしゃくさまも奥様も異母兄様パトリック異母姉様ヘレンも、私が大嫌いで、憎いの。私は忌まわしい怪物モンストルム、卑しいお母さんハイエナの子…」


 ダーシーは囁くように呟いた。


異母兄様パトリックがハサミを持って私を追いかけてくるの。髪の毛を掴まれて、動いたら髪の毛以外を切っちゃうって言うから、おとなしくしてたの。

 髪の毛を、バサ、バサって切られちゃった。

 異母姉様ヘレンは私を部屋に呼んで、ドレスをいっぱい見せびらかしてきたの。そして、私の着ていたものを、ハサミで切り裂いちゃった。

 私はそれしか着るものがなかったから、一生懸命縫い合わせたの…」


(この子…)


「奥様は、お母さんのこともいっぱい、いっぱい罵るの。売女、尻軽女、淫婦って。私には卑しい奴隷女の子、汚らわしいお前のどこに、お父様だんなさまの血を引いているんだ、って。卑しい男と外で作ってきただけだろうって言うの」


「ぴよぴよ!」

訳:[ダーシーしゃん、もう言わないでください!]


 メイブの目には、はっきりと映っている。

 ダーシーの心は傷つきすぎて、悲鳴をあげる力すら失っている。黒々としたおどろおどろしいモノに覆われ、底冷えするような冷たさをまとっていた。


「リリーが言ったの、不平等はよくないって。私だけが不平等なのは、よくないって。だからね、世界中を不平等にして、みんな公平に不平等にしてあげるの。素敵でしょ、メイブ」


 ダーシーは手を伸ばし、メイブをギュッと鷲掴む。


「ぴよ!」

訳:[痛いのです!]


 しかしダーシーは力を緩めなかった。


「ほら、見てよメイブ」


 ダーシーは薄っすらと笑みを浮かべた。

 乾いた、暗い笑みを。


「『六花の聖夜りっかのせいや』ではね、美味しいジンジャークッキーをたくさん作るんだよ。数えきれないほどたくさんたくさん焼くから、くすねてもバレないの。だから『六花の聖夜りっかのせいや』は大好き。町へ出れば、タダでくれるところもあるから、絶対もらいに行くの。

 『六花の聖夜りっかのせいや』だけはお腹がいっぱいになるんだよ」


 ダーシーがにっこり笑ったとき、突然部屋の中に大きな影がいくつも現れ、手を繋いで踊り始めた。


(ジ…ジンジャークッキー…!?)


 人間よりもずっと大きな大きな人型のジンジャークッキーが、部屋いっぱいに現れていた。


「トナカイ、スノーマン、もみの木、プレゼントの箱、大きなローソク…」


 ダーシーが呟く度に、それらはクッキーとして現れた。

 室内が、甘い、甘い、そしてジンジャーの香りも混ざって、咽るほどの香ばしい匂いが充満する。

 どこからともなく、陽気なラッパの音が、タンバリンの音が、バイオリンの音が鳴った。


「大きな焚火を囲んで、ココアを飲むの」


 輪を作るジンジャークッキーたちの中心に、大きな焚火が出現した。


(ヒイイッ!)


 火の勢いは強く、天井まで炎の柱をあげた。

 人の笑い声がどこからともなく沸き起こる。音楽の音もいっそう高まる。


(こ…これは…ダーシーしゃんの力なのですか…?人間の女の子がどうしてこんな力を持っているのですか…)


 目の前に次々と起こる不可思議な現象に、メイブは心底怯えた。


(これが幻想ならまだいいのです。でもこれは現実・・に起こっていること…。人間がこんな力を発現するなんて)


 やがてジンジャークッキーたちは、鋭い剣を抜き放った。


お父様はくしゃくさまも奥様も異母兄様パトリック異母姉様ヘレンも、私をいっぱい苛めるから、こうしてあげたの」


 ジンジャークッキーたちは、トナカイやスノーマンたちをくし刺しにする。そして、共に剣で争い始めた。

 小麦粉で出来ているクッキーなのに、剣で刺されたところから真っ赤な血を噴出させた。

 断末魔の叫び声が室内に響き渡る。

 剣と剣のぶつかり合う音、悲鳴、甘い香りに混ざる錆びた鉄のような臭い。

 だんだんと血臭のほうが濃くなっていく。


「ぴよ!ぴよ!」

訳:[ダーシーしゃん!ダーシーしゃん!]


 メイブは必死に呼びかけるが、ダーシーの目は虚空を見つめていた。

 全てのクッキーたちが息絶えると、焚火の炎は消えた。

 室内は元の薄暗さに戻る。

 床には血みどろのクッキーの残骸が、たくさん転がっていた。


「世界中の人達を、同じようにしてあげるの。そうすれば、世界は平等になって、私一人だけが不平等じゃなくなるわ」


 ダーシーは人差し指で、メイブの頭をそっと撫でた。


「みんな”aequalitas”」

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