人気のナイ路地裏に駆けてきたフィンリーは、懐から杖を取り出した。
銀で出来たタクトのような杖には、見事な美しい装飾が施されている。”創作する魔女”フィアンメッタ・シパーリ製だ。
「よーし、移動魔法で『癒しの森』へ戻るよメイブたん!」
「ぴよ!」
フィンリーは地面にたどたどしく、魔力で魔法陣を描いていく。
2年前に”癒しの魔女”と弟子契約をしたことで、元人間だったフィンリーには魔力が宿り始めた。そして魔法が使えるようになっていた。
「おし、飛ぶよ!」
最後の円を描き切り、フィンリーは移動魔法を発動させた。
白い柔らかな光を残して、フィンリーとメイブは空気に溶けるように消えた。
柔らかな草の感触を靴裏に感じ、フィンリーは目を開く。
『癒しの森』に無事到着していた。
「へへ、移動魔法はもう使いこなせた感じかな。どうだい、メイブたん!」
得意げに言って肩を見る。しかし、そこにとまっていたはずのメイブが姿を消していた。
「…え…、メイブたん?」
辺りをきょろきょろと見回すが、青緑色の空間に黄色いヒヨコの姿はなかった。
「まさか…俺…失敗して、メイブたんだけドコかに飛ばしちゃってる…?」
美麗な貌を青ざめさせ、フィンリーは片手で額を押さえる。
「どうしよう…メイブたん…どうしよう!」
フィンリーは振り絞るような悲鳴を上げて、慌てて駆けだした。
* * *
「ぴよっ」
いきなり石畳の上に落ちて、メイブはコロコロと転がった。
「ぴよぉ…」
些か身体を打ち付けて、痛みのために身体が震える。それを我慢して身を起こし、メイブは目をすがめた。
「ぴよ?」
訳:[フィンリーしゃん?]
しかし返事はなく、辺りはシンっと静まり返っている。
メイブは立ち上がって、頭を上に大きく仰け反らせた。
それは大きな聳え立つ鉄の門。どこかの屋敷の門のようだ。
(フィンリーしゃんと一緒に移動魔法で飛んだはずなのですが、わたくしめだけ弾かれてしまった…?イエイエ、いくらなんでもそれは難しいのです。
移動魔法は魔法の初歩の初歩、フィンリーしゃんでも失敗することはさすがにありません。まして弾くなど、高等技が使えるはずもなく…)
魔女の弟子となったフィンリーは、半年ほどで魔力が体内で生成されるようになった。そして生活魔法を中心に、簡単な魔法が扱えるようになっていた。
生活や強化魔法はメイブが師匠となって教えていた。フィンリーは驚くほどセンスが良く、すぐに吸収して使いこなしてしまった。
(移動魔法はご主人様が教えていたし、欠伸をしながらでもフィンリーしゃんには扱えます。それなのに)
メイブは立ち上がって、ぽてぽて歩く。
(この寒さからすると、まだアディンセル王国内なのでしょうが…。一体ここは、どこなのでしょう)
まだ夕刻には早く、空は青く晴れているのに、何故かこの屋敷周辺は薄暗く感じる。
「あっははー、ちゃんとヒヨコだけ分けてこっちに飛ばせたわ。さすがは、わたくしといったところネ」
「ぴよ」
後ろを振り向き、メイブは仰天した。
(”不平等を愛する魔女”リリー・キャボット!!)
見上げた先に、凄みを増した笑みを浮かべるリリー・キャボットの顔があった。
(なんでこの魔女が、なんでなんで!?)
メイブは知らず知らず後ろにさがった。
大きく前をはだけた格好は寒そうで、この気温でお腹が冷えそうである。
「はぁい、”癒しの魔女”の使い魔。あんたを捕らえるのが、こーんなに簡単だなんてね。あの人間上がりの弟子の魔法のお陰かしら。もし”癒しの魔女”が発動してたら、さすがに横からかっ攫うのは難しかったもんねえ」
(こいつの仕業だったのですね!)
「もうすぐ『ヴォルプリエの夜』が来るって知ってる?わたくし、『ヴォルプリエの夜』に壮大な計画を企てているの。その計画を成功させるために、どうしてもオマエの持つ力が必要。
貸してくれと言っても貸してくれないだろうから、誘拐させてもらうわね」
「ぴよぴよぴよ!」
訳:[フザケないでください”不平等を愛する魔女”!今すぐわたくしめをご主人様の元へ返してください!]
「何を言ってるかワカンナイわよ、グリゼルダじゃあるまいし」
リリーは不快そうに口元を歪め、つま先でメイブを蹴り飛ばした。
「ぴよおお」
メイブは石畳の上に、跳ねてコロコロと転がった。
「黙ってなさい、鬱陶しい!」
リリーは俯せに倒れて意識を失っているメイブをつまみ上げた。
「さて、『ヴォルプリエの夜』まで監禁しておかなくっちゃ。ダーシーに見張らせておきましょ」
ふふっと笑うと、リリーは鉄の門を押し開いて敷地に入っていった。
* * *
山と盛られたドーナツを前に、ダーシーは手を付けずぼんやりとしていた。
「あら、美味しくなかった?わたくし特製ドーナツなのだけど」
薄暗いダイニングルームに、リリーが入ってきた。
リリーはダーシーの傍まで足取り軽く近づいた。そしてピンクのチョコレートでコーティングされたドーナツをつまんで、ダーシーの口元へ持っていく。しかしダーシーはゆるゆると首を横に振った。
「そっ」
リリーはこだわらずにドーナツを皿に戻し、もう片方の手にしていたメイブをダーシーの前に放り投げた。
テーブルの上に転がされたメイブを見て、ダーシーの
「そのヒヨコこそ、あなたの『
「『
「そう、『
これで、『ヴォルプリエの夜』を迎える準備が出来たわ。あなたの『
リリーは下卑た笑いを顔に浮かべ、恍惚とした瞳を窓の外へ向けた。
ダーシーは気を失っているメイブを両手で拾い上げ、小さな頭を指先でそっと撫でた。