『フェニックスの羽根』を手に入れてから三日経ち、天空には大きな丸い月が、白く儚げな光を放っていた。
『癒しの森』の天井は、殆どの部分が枝葉に覆われて空が隠されている。しかし今日だけは特別に、天井が開けて夜空を映し出していた。
濃紺の空に満天の星。その煌めきは地上にも降り注いでいる。
「準備よし、だね」
姿見の鏡の前に立ち、ロッティは表情を引き締めた。
ロッティの斜め後ろに立ち、フィンリーは不思議そうに眼を瞬かせた。
「神官服?に似ているねえ」
「うん。殆ど似たデザインかな」
真っ白なケープに、真っ白なローブ。袖口や裾には、金糸で装飾模様が刺繍されている。
髪はいつもの三つ編みではなく、おろしていた。
「この服は、満月の光を吸収して、私の魔力を増幅してくれるの。大きな魔法を使う時は、必ず着用しているわ」
「ほうほう」
「今日は失敗できない儀式だしね、月の力も思いっきり借りなきゃ」
窓の外からでも、大きな満月は見えていた。
ロッティはフィンリーのほうへ身体ごと向いた。そして右掌を差し出す。
赤い、小さな丸い球が載っていた。
「弟子の契約は簡単。これをゴクッと丸呑みしちゃって」
「ほむ。なにこれ?」
「私の血を固めたものよ」
「わお…」
フィンリーは恐る恐る赤い球に手を伸ばす。そして指でつまみ上げた。
「それを飲んだ瞬間から、もう外見は年をとることはなくなる。人間としての時間が終わって、私たち魔女や使い魔と同じ時間に入るの。そしてやり直しは出来ないし、私が生きることを止めない限り、フィンリーも同じ時間を生きる。
逆に、私が生きることを止めたら、一蓮托生よ。
ちなみに、不死ではないからそこは気を付けないさいね」
「うん」
「本当にそれでいいか、もう一度考えて、そして飲むなり返すなりしなさい」
無表情とさえ思えるほど、ロッティの
幼い魔女の顔を見つめ、そしてフィンリーはにっこりと笑う。
「迷いはないよ。俺はメイブたんと一緒に生きる!」
そう言って、赤い球を飲み込んだ。
「…ホント、思い切りが良いって言うか」
「ふひひ。……んー、なんもリアクションないなあ?」
「特別なことはナイわよ。でも、もうフィンリーは人間卒業しちゃったわね」
「そっかそっか」
掌を握ったり広げたりして、フィンリーはにんまりと笑んだ。そしてロッティの前に片膝をつく。
「改めて、よろしくお願いします、師匠」
「よろしくね。じゃあ、師匠として最初の言いつけをするわ」
「なんなりと」
「儀式が終わった後のことよ」
* * *
花のベッドの傍には、レオン、モンクリーフ、メイブの3人がすでに控えて待っていた。
ずっとチェルシー王女の世話をしていた
静かな空間に、草を踏む足音が2つ。
「みんなお待たせ」
いつになく神妙な
花のベッドの傍に膝立ちになる。
「殿下、長いことお待たせしてしまい、申し訳ありませんでした。でも、苦しみも今日で終わります。あと少しだけ、耐えてくださいね」
意識なく眠るチェルシー王女に優しく微笑み、ロッティは立ち上がった。
フィンリーは手にしていた銀のトレイを、ロッティに差し出す。
『フェニックスの羽根』とメイブのうんちを乾燥させた『森の種』が一粒載っていた。
ロッティは2つを手に取り、チェルシー王女の胸の上に置いた。
「始めるね」
4人が見守る中、ロッティは左目を覆う赤い丸ボタンにそっと触れた。
「”リベラティオ”」
一言呟くと、ボタンを縫い付けていた糸がスルリと抜けて、宙を踊りながら空気に溶けた。そして剥がすようにボタンを取る。
その瞬間、強烈な銀色の光が、瞬時に森を照らした。
「くっ…、なんて膨大な魔力」
ゾワッとした
「ぴよ…」
訳:[500年溜め続けた魔力ですもの…]
メイブも怯えを含んだ
ロッティの左目から溢れる魔力で、木々がザワザワと揺れた。
「万物を癒す大いなる力を秘める『癒しの森』、夜の闇を照らす偉大なる力を持つ月の精霊、魔女に呪われたこの憐れな人間に被せし死の息吹を祓いのけ、生の喜びと祝福を授け、今一度大地を舞い踊らせよ!」
『フェニックスの羽根』と『森の種』の上に掌をかざす。
ロッティの全身から魔力のオーラが立ち上り、途端魔力は『フェニックスの羽根』と『森の種』に吸い込まれていく。
轟轟と怖ろしい音を轟かせ、周囲は突風に煽られた。
チェルシー王女の全身を、銀色の光が包み込んだ。
「くぅ…」
意識はないが、王女の小さな口から呻き声が上がる。苦悶の表情を浮かべ始めた。
「姫様!」
モンクリーフは両手を握り締め、涙目になってその場で踏み堪えた。
「アタシのせいで…」
普段は気にも留めない程度の悪戯だったはずが、大好きなチェルシー王女を苦しめている。目の前のチェルシー王女の苦しむ
儀式の渦中に置かれたチェルシー王女の苦しみを目の当たりにし、身体中を締め付けられるような息苦しさを強く感じだ。
「姫様…ああ…お可哀想…」
傍に行って手を取り励ましたいが、儀式を邪魔してしまうので我慢する。
レオンもフィンリーも同じ気持ちだったが、歯を食いしばり駆け寄ることを耐えた。
今、チェルシー王女の中で、『魔女の呪い』とロッティの力が拮抗している。想像を絶するほどの力が荒れ狂い、チェルシー王女を苦しめた。
「なんて…力なのよこの呪い…」
抵抗力が強い。『魔女の呪い』はロッティの力を押し返してくる。少しでも気を緩めれば、簡単に弾かれ失敗しそうだった。
(これが、『魔女の呪い』なのか…)
自らも『魔女の呪い』を使うことはできる。しかし使おうと思ったことはないし、これほどまでに強烈な力だとは知らなかった。更に”曲解の魔女”コンセプシオン・ルベルティの”全てを曲げることのできる”固有魔法の力も加わっている。祓うための魔力と”癒しの力”を捻じ曲げ跳ね返してくる。厄介な状況になっていた。
(くうう!コンセプシオンのバカ!無双したらアンタの固有魔法は
体内で呪いの力とロッティが注ぐ魔力がせめぎ合い、受け止めるチェルシー王女はとても苦しいだろう。青ざめるチェルシー王女の
(長引かせることはできない、もっともっと力を…)
ロッティの様子を見て、メイブはフィンリーの肩の上で固唾をのんだ。
(ご主人様のほうが、多少分が悪い感じがします…『フェニックスの羽根』を通しても、あんなに抵抗力が激しいなんて…
緊迫した状況を見つめながら、メイブは意識を凝らした。
(『魔女の呪い』の力が予想よりもかなり強力です。大量の魔力を有していても、このままだとさすがのご主人様も危ないかもしれません)
ロッティの使い魔であるメイブは、ロッティの魂と直接結びついている。だから主の危機を敏感に感じ取ってしまう。
現在ロッティのほうが、不利に傾き、呪いに圧され気味だ。
(ご主人様をお支えして守る!わたくしめもご主人様に加勢するのです!――わたくしめのお願いに応えてください!
目を瞑り、眉間に力を込めながら、『癒しの森』に強く強く願った。
想いの強さに反応し、頭上の双葉が淡い緑の光を滲ませる。
(ご主人様のために!王女を助けるために!)
少しすると、とても穏やかに揺れる葉音が耳に流れてきた。サワサワと葉が擦れ合う心落ち着く音。心も身体も優しく癒す気配。
メイブの願いに、『癒しの森』が応えた。
(ありがとうございます『癒しの森』!あともう一息なのです!頑張れご主人様!)
「ハッ、『癒しの森』の力が強まった…、これなら!」
全身に温かで強い力を感じ、ロッティは歯を食いしばって更に意識を集中させる。癒しの魔法効果が一気に跳ね上がった。
黒いタールのようにチェルシー王女に貼りつく呪いが、徐々に引き剥がされれていく。
「観念しなさいな忌まわしい呪いの力…、剥がれて消えちゃいなさいっ!」
振り絞る様に、ありったけの魔力を叩きつけた。
「はうっ!」
チェルシー王女は身体を大きく反らせると、目を見開き大きく息を吐きだした。
闇色の呪いが、チェルシー王女の身体から剥がされた。
「姫様!」
モンクリーフ、レオン、フィンリーが同時に叫ぶ。
強烈な銀色の光が炸裂して、声なき呪いが消え去っていく。
そして光は収束して、辺りに静けさが戻った。