フィンリーの出て行ったドアを力ない目で見ていると、
「ぴよ」
メイブがドアを押し開けて入ってきた。
「メイブ」
メイブはぽてぽて歩いてロッティの傍まで来ると、床にぺたりと座った。そしてロッティを見上げる。
「メイブは知ってる?フィンリーが私と弟子の契約を結びたいって。メイブと一緒の時間を生きるためにそうしたいって」
「ぴよ」
(知っておりましたよ。本人が突風のように語っていきましたから…)
その時のことを思い出し、メイブは遠い眼をした。
グリゼルダから教えてもらったと、唾を飛ばしながら興奮して話していたフィンリー。あの勢いはさすがにドン引きしたメイブだった。
「なんかさ、凄いよね。いくら好きな相手と同じ時間を生きたいからって、魔女と魂の契約をしたいなんて。人間として生まれたのに、魔女と同じように長い時間を生きることが、どれほど途方もないことか理解できているのかしら?でも、その途方もない時間をメイブと生きることができるなら、苦ではないのかもね…。
はぁ…、私はレオンに告白する勇気さえ出ないで、頭がぐるぐるしているだけなのに」
ロッティは膝の上に揃えた手を見る。
「恋なんて初めて、年の差も気になる、種族が違うことも気になる、レオンの心が見えないのも怖い。断られると思うと、そんなの受け入れたくなくてイヤだわ。
900年も生きてきて、情けないよね私。今の見た目がまだ小さいからって、気持ちまで若返っちゃってさ。
レオンのこと、好きなの。本気で好きなの。ねえメイブ、私勇気が出ないよ、気持ちを伝える勇気が出ないよ」
ぽた、ぽた、と涙が流れて手の甲に落ちた。
「どうしたらいい?どうすればいいかな私」
(ご主人様…)
泣き出す主を見上げ、メイブは立ち上がった。
(『フェニックスの羽根』が手に入り、ご主人様の気持ちにも余裕が出来たから、余計に恋を意識してしまわれているのですね。
告白などせず、ただ想いを秘めておくというテもあるのです。片思いしているだけなら、レオンしゃんがこの世を去ってしまえば、いつかは気持ちも冷めるかも。レオンしゃんに恋をしたという思い出だけが残る。
でもそれは、きっと勿体ないかなって思います。何故なら両思いだからなのですよ。
フィンリーしゃんが言うように、レオンしゃんは絶対受け入れてくれると、わたくしめも思うのです。本当に小さな小さな変化でしたが、日に日にご主人様を見るレオンしゃんの目には、愛情を感じておりましたから。
何時の日か、レオンしゃんが先に旅立ってご主人様が残されても、後悔はしないと思えるのです。時間が経てば、懐かしくも甘い思い出として心に残るでしょう。または、フィンリーしゃんのように、弟子として魂の契約をして、共に生きることがあるかもしれません。
では、ご主人様の使い魔として、わたくしめは大事な役目を果たしましょう)
メイブは飛び上がり、チェストの引き出しの一つを魔法で開けた。
そこには折りたたまれた羊皮紙が入っていた。
羊皮紙を一枚取り出して、それをテーブルへ持っていく。そしてエンピツも取り出した。
「メイブ…?」
カタカタと音をさせ何やら始めたメイブに、ロッティは涙目を向ける。
メイブはエンピツを抱きしめるようにして持つと、気合を入れて紙に文字を書き始めた。
(フィンリーしゃんとの特訓の成果を、今発揮するのですよ!)
ガリガリと音を立てながら、メイブは必死に文字を書き始めた。はた目にはエンピツとヒヨコが踊っているように見える。
ロッティはゴシゴシと涙を両手の甲で拭い、椅子から立ち上がった。
「何をしているのメイブ?」
小さく首を傾げながらテーブルへ近寄る。そして、
「!」
ロッティは大きく目を開き、そして再び目を潤ませた。
『You can do it.
keep it up! my Master』
たどたどしさであまり上手とは言えないが、必死に書いたと思われる文章が書き記されていた。
「メイブ…文字が、文字を覚えたんだね」
「ぴよぴよ!」
訳:[頑張ってください、ご主人様!]
ロッティは止まることなくあふれ出る涙を、何度も何度も手の甲で拭いながら「ありがとうメイブ」と繰り返し呟いた。
メイブが文字を覚え、書くことができた。それは驚きと感動がロッティの心を大きく震わせた。
人語を話せないコンプレックスを800年もの間抱え続けてきたメイブ。
フィーリングだけじゃ伝えきれないことはたくさんある。正確に伝えたくても手段がない。
魔女には文字を書いて説明したり残したりする習慣がない。それゆえ読み書きできるように教えることがなかった。最低限判るようにしてやるだけだ。
フィンリーと出会い、言葉が通じ合えたからこそ、メイブは文字を覚えて表現する術を学んだのだ。
こんな形でメイブの成長を目の当たりに出来た。そしてなにより、その短い文章に、メイブの気持ちがギュッと詰め込まれている。ダイレクトに伝わった。
お世辞にも上手とは言えない文字は、ロッティの心にそっと手を伸ばしてきた。
「勇気を出して」と。
メイブはロッティの顔の前まで飛び上がる。ロッティはメイブを掌の上に乗せて、そして頬ずりした。
「背中を押してくれてありがとう。私、言ってくるね。レオンに好きだって、言ってくる」
「ぴよ!!」
フィンリーと文字を覚えて書く特訓をしている中で、メイブはきっと必要になると思う言葉を集中して覚えることにした。
『You can do it.keep it up! my Master』
ロッティの性格を熟知しているメイブは、きっとこの言葉が必要になると判っていた。
弱気になっている背中を押すための、魔法の
(アデリナ様がいれば、ご主人様の背中を押すのはアデリナ様がしてくださっていました。でも、アデリナ様は棺で眠っていらっしゃいます。使い魔であるわたくしめがでしゃばるのは憚られますが、そこはご容赦いただき、ご主人様には幸せになっていただきたいのですよ。
頑張ってくださいね、ご主人様)
祈る様に窓の外を見る。
花のベッドのある方へ歩いていくロッティが見えた。
(”壮麗の魔女”様にお願いして、また空間を広げてもらわないといけませんね。レオンしゃんとフィンリーしゃんの部屋を造らないといけませんから。2人が引っ越してくるのはまだちょっとだけ先になると思いますが、色々準備をしておかねば)
額縁に降りて、メイブは小さくため息をつく。
(フィンリーしゃん、本気なのでしょうか…。ご主人様と弟子契約をしてまで、わたくしめと一緒にいたいだなんて。
ご主人様の恋は、もう成就したも同然。あとはなるようになるのです。
となると、わたくしめ自身の問題も、もうのらりくらりとかわしていられませんよね。うううん…)
ド直球すぎるフィンリーの気持ちは、出会った当初よりは迷惑には感じていない。今は友誼を感じてはいる。しかし、胸を焦がすような想いも、告白に惑うロッティのような苦しみも今のところ湧いてこない。
(わたくしめの心は、冷めているのでしょうか…?)
フィンリーの願いを受けて、ロッティは魂の契約を結ぶだろう。そうすれば、フィンリーはずっと一緒に居ることになる。
(フィンリーしゃんは、わたくしめに自分と同じ気持ちになれと、強要してくることはありません。その点だけは、助かっているのです。好き好き圧は凄いのですが…。
これ幸いに、焦る必要はないのかもしれません。フィンリーしゃんが急いでなければ。
さて、ご飯の用意をしてきましょう。今日はご主人様の恋愛成就おめでとうご馳走なのです♪)