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31話:レオンの気持ち

 『癒しの森』へ帰ってくると、ロッティは小屋へ駆け込み、棚から水晶球を出してダイニングテーブルに置いた。そして世界地図を広げる。

 すでに明け方近かったが、ロッティは何やら作業を始めた。


「ぴよぴよ」

訳:[ご主人様、少し休んでください…]

「少し休んでって、メイブたんが」


 フィンリーは椅子の一つに座って通訳をする。


「うん、これだけやったら寝るわ。さすがに疲れてるしね。メイブとフィンリーはもう寝ちゃって」

「ロッティちゃんも寝るなら、俺らも寝るよ」


 苦笑気味に言って、フィンリーはメイブとレオンに目配せする。


「こいつの返事次第では、そんなに時間はかからないわ」


 ロッティは水晶球に手をかざす。

 魔力に触発されてぼわっと光ると、止まり木で寝ているコマドリが映し出された。


「……ん?なんだよ、”癒しの魔女”じゃないか。こんなヘンテコな時間に起こしてくれるなよ。眠いったらないぜ…」


 情報屋スピオンは嘴を大きく開いて欠伸をした。


「ごめん、どうしても早めに依頼しておきたかったから」

「んー…フェニックスか?」

「そう。でもフェニックス自体はもうこの世界にはいないことが判ったわ。だから『フェニックスの羽根』で情報をちょうだい」


 スピオンは瞬いて、小さな頭をブンブン振る。


「フェニックスがいないだと!?その情報どっからだ?」


 すぐには答えず、ロッティは意地の悪い笑みを浮かべた。


「値段交渉といきましょうか。ソースは100%信頼のおける相手からのものよ」

「ぐっ…」


「うかつ」と表情かおに書いて、スピオンは言葉を詰まらせた。


「フェニックスが消えていた情報は持っていなかったぜ…そこを逆手に取ってくるとは魔女ってやつぁ!また無料サービスかよ!」


 スピオンは身を震わせ心底悔しがる。


「その情報…グリゼルダ姐さんからだな…」

「ぴんぽーん、その通りよ」

「チッ、あの策士ババアめ…」


 小声でボソリと悪態をつく。グリゼルダが意図的にフェニックスに関する情報を握りつぶしていたことが判って、スピオンは冷静になるため一呼吸置いた。


「腹は立つが”原初の大魔女”を敵に回せば命はねえからな…。羽根の情報は昼までに用意しておく」

「判ったわ。よろしくね」

「おう!」


 通信が切れた。


「これでヨシ。昼までのんびり寝ましょうか」


 みんなのほうに顔を向け、ロッティはお疲れ気味の顔で笑った。



* * *



 『癒しの森』の天井は木々の葉に覆われて空が見えない。しかし森の中は柔らかな明るい光に満ちていて、今は昼近くなのだと時間を感じられる。

 騎士服を脱いだラフな格好で、レオンは青緑色の水晶のような木々を見上げていた。小屋の傍に切り株を模した可愛らしい椅子とテーブルがあったので、そこに座っている。

 明け方にみんな眠ったが、身に染み付いた習性のせいで、朝を少し過ぎた時点で目が覚めてしまった。


(久しぶりに夢を見た。断片的な記憶を繋ぎ合わせたような、懐かしい夢だった)


 胸に去来する、くすぐるような感覚。


(騎士団長を引退した養父エリアル殿に、初めて国王陛下と姫様に引き合わせていただいたときだったか…)


 18歳の時だった。


(平民の出である私には、社交界のあの雰囲気は場違い過ぎて中々馴染めなかった。粗相をしないか、マナーは大丈夫か、そればかりが頭の中に渦巻いていて。そんな情けない私に、陛下と姫様は温かく接して下さった。

 顔に出易い私の考え等お見通しだったのだろう。気遣って下さり、居場所を与えていただいた。

 誠心誠意王家にお仕えし、国と民を守るために剣を奮うと誓った。それなのに姫様は『魔女の呪い』に苦しめられ、陛下は嘆き悲しんでおられる。

 協力して下さっているロッティにも多大なストレスを与え、私は一体何をしているんだろうか)


 膝の上で握りしめた拳を震わせる。


養父エリアル殿に出会う前の、街はずれで木刀を振り回していただけの、あの頃から全く成長できていない。レッドディアー近衛騎士団の団長という重責に見合うだけの働きを、私は何一つ成し遂げていない)


 自嘲が漏れて表情かおを歪めた。


「後ろを見ているだけで、少しも前を歩いていないな…」


 思わずこぼした時、草を踏む音が耳を掠めた。


「ロッティ」

「もう起きてたのね。もっと寝ていていいのに」


 温かな湯気を放つカップを載せたトレイを手にし、ロッティが向かい側の席に座った。


「蜂蜜入りの紅茶よ。どうぞ」

「ありがとうございます」


 レオンはカップを受け取り、すぐに紅茶を口に含んだ。

 鼻腔を蜂蜜の甘い香りが突き抜け、紅茶の温かさが身体に染み渡っていく。


「何が後ろを見ているだけなの?」


 とても不思議そうに訊かれて、レオンは思わず赤面する。


「いえ…その…、昔の夢を見たんです。それで今の自分を顧みて、昔と全く変わりがないことに情けなさを感じてしまって…」


 ロッティはテーブルに肩肘をついて「ふーん」と呟いた。


「別にかまわないと思うけどなあ」

「そう…ですか?」

「うん」


 足をプラプラさせながら、ロッティは上を見る。


「人間は寿命が短いから、歩みを止めた人に厳しいよね。後ろを見ている人にも容赦ない感じがする。早く前を向け、早く未来志向で行け!って。

 死ぬまで後ろ向きじゃさすがにマズイとは思うけど、人それぞれじゃない、考え方も性格も感じ方も全部。立ち止まるのはそうする必要があるという無意識の警鐘。中々先へ進めないのは答えが見つかっていないから。急かせてどうにかなるなら、誰も苦労なんてしないわ。そんな状態で社会に速度を合わせて独りで向かおうとするから、無理に前を向いて歩こうとしても怪我をする。病気になっちゃう。

 社会が個々の歩みに寄り添ってあげるようにしていかないと、みんな心が疲弊しちゃうのよ」

「そうですね。ですが人間社会はそれほど寛容じゃないと思います」

「なら理想に近づけるように、作っていけばいいのよ。最初は小さな範囲でいい。出来ること以上に無理に頑張る必要はないわ。そうして種を蒔いていけば、いつか芽が出て育っていくものよ。――って、そういう話をしてるんじゃナイんだっけ?」

「あ…いえ…」


 レオンは小さく笑って誤魔化した。


(なんだか壮大な話になってしまったな…)


 ロッティの考えの一端を垣間見ることが出来たが、レオンの悩みはもっと小さなことだ。


(私は王家に恩義を感じているから、何が何でも早く達成しなければならないと焦る。しかしロッティに頼らないと何一つままならないと判っているのに、彼女を急かせるばかりで何もしていない。そのことに落ち込んで情けないと思っているだけだ。堂々巡りを繰り返して自己完結している。そればかりか昨日はロッティを追い詰め、メイブ殿も傷つけることになってしまった)


 俯くレオンをジッと見つめ、


「何か思い詰めている感じだけど、レオンはちゃんと役目を果たしているわよ。昨日は……慰めてくれたもの…」


 そっぽを向いて頬を赤らめて、ロッティはぶっきらぼうな口調で小声になる。


「抱きしめて…もらったし」

「あのくらい、お安ご用ですよ。というより、あの時はそれしか思い浮かばなくてつい…」

「そっ、そうなんだっ」


 顔中真っ赤になって、思わずレオンを凝視する。レオンは照れ隠しなのか、後頭部をガシガシ掻いて挙動不審になっている。

 2人とも思わず押し黙った。

 サワサワと木々の葉が焦れたように揺れた。


「ロッティ、お訊ねしたいことがあります」

「な、なに?」


 急に口調が改まったレオンに、反射的にロッティは姿勢を正す。


「姫様の『魔女の呪い』を解くことを引き受けて下さって、とても感謝しています。しかしあなたはそのことで、何かを我慢していると耳にしました。それはどのようなことなのですか?」


 レオンはロッティの目を真っ直ぐ見つめた。

 赤い丸ボタンに覆われていない右側の目が、大きく見開かれる。

 ロッティは逡巡するように僅か唇を噛み、そして小さな吐息を漏らす。


「モンクリーフあたりがうっかり喋ったっぽいのかな」

「……はい」

「しょうがないわね」


 苦笑しつつロッティは座り直した。


「まあ、気になるよね。なら、ちょっと長めの話を聞いてもらうことになるわ。イイかな?」

「はい、お願いします」


 膝の上で手を組み、ロッティは懐かしそうに微笑んだ。


「私と、親友の話よ…」

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