シンッ、と静まり返る。
急に食堂の喧騒が、みんなの耳を突いてきた。
「…それってなんか、唐突にそう思っちゃうんだ?」
戸惑ったような表情を浮かべフィンリーは訊く。
「2000年近く生きた”微笑みの魔女”エリアーヌ・バリエという魔女がいたんだけど、ある日突然「もういいわ」って一言呟いた後、跡形もなく消え去ってしまったの。つい最近の話よ」
「あー!それ知ってる!『魔女の回覧板』に出てた」
思わず腰を浮かせてモンクリーフは勢い込んだ。
「居合わせたのが”壮麗の魔女”ブランディーヌ・ケクランだったんだけど、生きていくことをもう止めたいと思った瞬間、ああなるんですって」
「アタシはまだ全然消えたくないわあ…」
「あんたはまだ300歳だもんね」
「そうよ、一番若いもん!」
握り拳をして明後日の方向へ気合を入れるモンクリーフに、ロッティは愉快そうに笑った。
「ロッティは、その、大丈夫ですか…?」
心配そうに言うレオンに、ロッティは大きく頷く。
「私は今8回目の人生を生きていて、あなたたちに出会った。『フェニックスの羽根』を探して、チェルシー王女を助けようと旅をしている。
不謹慎だけど、退屈はしてないわね」
* * *
大食堂での夕食が終わると、各々解散となった。
フィンリーはメイブを星空を眺めながらの散歩に誘ったが、「ご主人様に失礼な質問をしたからダメなのです!」と応じてもらえなかった。それで一人寂しく桟橋に座って夜空を眺めている。
「はあ…、メイブたんがいないとつまらん」
煙のように長いため息が、虚しく波音に飲み込まれていく。
「あら、ここにもいない。ねえフィンリー、メイブどこか知らない?」
辺りを見回しながらロッティが歩いてきた。
「メイブたんなら、俺のデートの誘いを断って、どっか飛んでっちゃった」
「あらまあ」
苦笑しながら、ロッティはフィンリーの隣に座った。
2人は暫く無言で夜空を見上げていた。月明りを弾いて煌めくスパンコールのような星々。互いを牽制し合いながら、濃紺色のビロードの上で輝きを強め合っていた。
時折光の尾を引きながら、小さな星が流れていく。
「ロッティちゃん、今日はもう無礼講ってことで、訊いちゃってもイイ?」
沈黙を破って、フィンリーはいつもの陽気な口調で切り出す。
それに対し、ロッティは「やれやれ」といった
「どうしてメイブたんは話すことが出来ないの? ロッティちゃんが作った使い魔なんだよね?話せるように作ったら、意思疎通が便利だったろうに。メイブたん、言葉が通じないことをすごく悲しんでたんだ」
ロッティは海を見つめたまま、ちょっと困ったように笑った。
「さすが、未来の旦那様候補は容赦がナイなあ…。そうね、話しちゃってもいっか。メイブと言葉かわせるんだし」
脚を抱えると、膝の上に顎をのせ、ロッティは小さく息をついた。脳裏に昔の光景がフラッシュバックされていく。
「メイブはね、素体にしたのは鳥の卵なの。『癒しの森』に作られた巣の中に放置されていた、命の火が消えかかった卵」
「それ…育児放棄?」
ロッティは悲し気に頷いた。
小枝や藁で組まれた小さな巣の中に、たった一つ取り残されていた小さな卵。
「そうだね。温めることを止めた親鳥に見捨てられた、小さな小さな
森がね、消えかかっている命があるから、助けてあげてって訴えてきたの。見に行くと、陽も差さない葉っぱの中に埋もれた巣の中に、取り残されていた卵。温めても手遅れの状態だった」
命の火が消えかかっていた卵は、酷薄な様相を呈していた。薄っすらと青みを帯びていて、それが卵の状態を表しているかのように。
卵を掌に掬い上げたとき、心に冷や水を浴びせられたほどの衝撃を受けた。温度は殆どなく、鼓動すら風前の灯火。
なんとしても、
「救うためには使い魔として誕生させるしかなかったの。いくら癒しの魔法とはいえ、魔法を受け止めるには、卵の中身はあまりにも弱弱しくなっていて。逆にトドメの一撃になってしまうくらいに。
消えかかった命を核にして、使い魔として作り変えた。そうしてメイブは生まれたの。でもね、生まれたメイブは話せなかった。ちゃんと人語を理解できているのに、「ぴよぴよ」って鳴くだけで。使い魔なら生まれた瞬間喋るものだけど、メイブはそれからずっと今に至るまで「ぴよぴよ」なの」
最初の数年は、必死にメイブに人語を教えた。メイブはそれに応えようと頑張って学んだ。しかし「ぴよぴよ」しか話せなかった。
教え込むたびにメイブの心が悲鳴を上げてしまって、無理強いは出来なかった。
「ま、まさか…作るの、し、失敗したとか?」
「ナイわ!」
ドンッと桟橋の板を拳で叩き、ロッティはお怒りの形相をフィンリーに向ける。
「すんませんっ!」
フィンリーはビビって仰け反った。
「それにね、メイブの身体は成長しないの。本当なら誕生して1年くらいで成鳥になるはずなのに、800年もあの姿よ」
「ホントに800歳だったのか…」
「ふふり」
冗談半分で聞いていた年齢が、実は本当に800歳だと判ってフィンリーは絶句する。
「「ぴよぴよ」の原因は判ってる。メイブはね、生まれながらに心に深い深い傷を負っているの。私でも癒してあげられない程の傷。人間に失語症ってあるでしょ、メイブもそうなんだよ。「ぴよぴよ」は鳴けるけどね。人語を喋れないのはそのせいなの」
「メイブたん…」
フィンリーはうるっときて涙を浮かべた。
(あんなに明るく振舞っているのに、本当は心が傷ついているなんて)
「親鳥に捨てられたことを、卵だった頃のメイブは理解していたの。命の火が小さくなっていく中、とてもとても悲しかったんだと思う。だからね、メイブは人の悲しみや辛い気持ちが判るの。
心が泣き声を上げていたり、痛がっていることも判っちゃう。傷つかないように、悲しくないように、癒してあげよう、癒してあげたいって常に思っているの。だからメイブは心を癒せる魔法が使えるのよ」
目には見えない心の痛みを理解できる優しい心。
言葉には出来ない苦しみや悲しみを見通せる真っ直ぐな瞳。
相手を受け入れて包み込める度量の深さ。
「メイブたん、なんてイイ子なんだああああ」
フィンリーは顔をぐしゃぐしゃにして泣き出した。まるで小さな子供のようだと、ロッティは口の端を引きつらせる。昨夜泣いていたメイブを思い出し、微かに哀愁が目元を過った。
あまりにもガン泣きするので、その広い背中をトントンっと優しく叩いてやった。
「フィンリーは人間にしては珍しく、メイブの言ってることが判ってるみたいね?」
「うん、不思議だよね。初めて会ったときから「ぴよぴよ」言ってる鳥語と、可愛い女の子声で話す人語の2つが耳に聞こえてきたんだ」
「へえ…凄いね。私は800年も一緒に居るのに、全然聞こえてこないわ…」
夜の闇よりも深く落ち込む。
「でも、気持ちは通じ合ってるじゃない」
「まあ…ね」
(メイブの心の問題もあるけど、私自身に、メイブの声が聴きとれない問題があるのかなあ。人間のフィンリーに聴き取れて、私はダメとかちょっと納得いかないというか…。現にグリゼルダ様はメイブの言葉を理解しているもんね…結構ショックだわ)
フィンリーが現れるまで、メイブと言葉をかわせないことに、なるべく目を向けないできていた。心で通じ合っているから大丈夫だと。いつかは話せるようになる、そう思っていた。しかし、会話をしているメイブとフィンリーを見ていると、心に不安と寂しさが湧いてしまうのだ。
「はあ、チェエルシー王女を助けたら、次はフィンリーを研究しようかな。メイブと言葉がかわせるその謎を」
「えー?メイブたんと一緒にいられるなら喜んで!」
夜空の元、白い歯がくっきりと光る。それを見たロッティはよく判らない虚脱感に、膝に顔を撃沈させた。