「ぴよよ」
訳:[よっこいしょ]
みんなで賑やかな夕食が終わり、後片付け――またもフィンリーが押し掛けてきた――をした後、やっと一人になれたメイブは自室に戻った。
メイブの自室はだだっ広い殺風景な部屋だ。家具は部屋の中央に洒落たティーテーブルが一つだけ。そのティーテーブルの上には小さなベッドとサイドテーブルが置かれ、スズランの形をした小さなフロアランプが柔らかい光を放っていた。
ベッドに座り「ぴよぉ…」と疲れた溜息を吐く。
(なんだか倍疲れてしまったのですよ…)
現在モンクリーフ、レオン、フィンリーという3人の客が滞在している。普段ロッティと2人だけの暮らしなので、今はとても賑やかだ。
結局クリームシチューは焦げてダメになってしまい、ロッティに手伝ってもらってもう一度作り直した。
食事の支度はメイブの
コロンと仰向けに転がってシーツをかぶる。
薄暗い天井をジッと見つめ、レッドホット火山で精霊たちと意志をかわしていたロッティの姿を思い出す。
(フィンリーしゃんとの出会いは、わたくしめに色々な衝撃を与えてきました。その最たるは、『言葉が通じる』ということです。
魔女であるご主人様ですら、わたくしめの言葉は判りません。
精霊とは意思疎通が出来るのに、どうして使い魔であるわたくしめとは出来ないのでしょうか…。
それは、わたくしめが未熟だからにほかなりませんが、とっても切ない気持ちになってしまうのです)
こらえていた一粒の涙が、羽毛の上を滑り落ちる。
(完ぺきではなくても、わたくしとご主人様とは心が通じ合っています。多少齟齬はあっても、大体はお互い言いたいことが判り合えていました。しかし、フィンリーしゃんと言葉をかわしていくうちに、本当は、ご主人様にはわたくしめの思っていることは通じていないのではないか?なんて、思うようになってしまったのです。
酷い思い込みなのです!ご主人様が悪いわけじゃありません!
全ては、わたくしめに自信がナイのが悪いのです)
ロッティと過ごした日々が、走馬灯のように瞼の裏を駆け巡る。楽しくてキラキラする明るい日々。しかしそこには人語同士での会話がなかった。
伝えたい言葉は「ぴよぴよ」としかロッティには聴こえない。「ぴよぴよ」の鳥語には、たくさんの意味が込められているというのに。伝えることが出来ないのは辛かった。判ってもらえないのはもっと辛い。
(フィンリーしゃんと話しているように、大好きなご主人様といっぱい、いっぱい、喉がかれるまでお喋りしたいのです。
街で面白い話を仕入れたら、それを伝えてご主人様が喜ぶ笑顔が見たい。
全ての者たちの健康を気遣うご主人様に、心からの感謝とお礼を伝えたい。
くだらないお喋りで時間があっという間に過ぎちゃうくらい盛り上がってみたい…。
フィーリングで判り合えるだけじゃなく、ちゃんと”言葉”として伝えたいのです)
叶わぬ夢。でも、メイブの心の奥底に秘めている大切な願い。
言葉が通じれば、なんでも判り合えるとは思わない。それはフィンリーと会話していると判ったことだ。
言葉の意味を取り違えたり、隠された思いを図りかねたり。それでも、幾度か言葉を尽くせば誤解が解けることもあるだろう。
それすら出来ないのだ。
「ぴよ…」
訳:[ご主人様…]
小さな涙がたくさんたくさんあふれ出し、枕にぽたぽた零れ落ちた。
「ぴよ…ぴよ…ぴよ…」
心が悲しみでいっぱいになり、メイブはぴよぴよ泣いた。子供のように、悲しくてただただ泣いた。
暗い部屋の中に、愛らしくも悲しい泣き声が溢れていく。
そこへ扉が静かに開いて、ゆっくりとした足取りでロッティが入ってきた。
「どうしたのメイブ?なんで泣いているの?」
「ぴ、ぴよ…」
訳:[ご、ご主人様…]
メイブは驚いて瞬いた。
「何がそんなに悲しいの?」
ティーテーブルに肩肘をつき、もう片方の手をメイブに伸ばして、人差し指でそっとメイブの額を撫でる。ロッティは子供をあやすような、穏やかな
暫くの間何も言わず、ロッティはメイブの額を優しく撫でていた。
メイブは目を閉じて、優しく動く指の感触に心をゆだねた。
「メイブはいつだって明るくて、優しくて、一生懸命で頑張り屋さん。だから『心を癒す』固有魔法を使わなくても、メイブが傍に居るだけで心が癒されているんだよ。だからかなあ、なんか伝わってきちゃうの。メイブが悩んでいて、悲しい気持ちになっているって」
「ぴよ!」
ロッティはにっこりと微笑みながら、メイブの額を撫で続ける。そしてちょっぴり言いづらそうに俯き、そして顔を上げた。
「ごめんね、私がもっとちゃんと作ってあげられてたら、メイブといっぱいお喋りできたのに…」
「ぴよ!ぴよ!ぴよ!」
訳:[ご主人様のせいじゃありません!ご主人様は悪くないのです!謝らないでください!]
メイブは慌てて翼をバタつかせた。
(ご主人様には、わたくしめの気持ちがちゃんと通じてる!お見通しなのです!)
ロッティの優しい心が光となって、悲しみでいっぱいになっていたメイブの心に射しこんでいく。メイブは雨雲が晴れていくような、爽やかな気持ちに安らいでいった。
「でもね、いつかはメイブとたくさんお喋りできるようになる。私はそう信じてるの。メイブはどう?」
「ぴよぴよぴよ!」
訳:[わたくしめも信じているのです!]
気持ちを伝えたくて、首がもげそうなほど勢いよくブンブン縦に振る。そして軽く眩暈を起こした。
(ぐほっ…)
涙も吹き飛んだ様子のメイブを見て、ロッティは安心したように「くすっ」と笑った。
「起きたらブルーリーフ島へ出発よ。メイブにはいっぱい手伝ってもわらなきゃだから、もう寝なさい」
「ぴよ!」
「おやすみ、メイブ」
「ぴよぴよ!」
訳:[おやすみなさい!]
ロッティは身体を起こし、静かに部屋を出て行った。
(ありがとうございます、ご主人様。ありがとうございます)
扉の方を見つめ、メイブは心の中で何度も何度もお礼を言った。
(大好きなご主人様のためにも、くよくよなんてしてられないのです!明日に備えてしっかり寝ます!)
メイブは気合を入れて目を閉じた。