「あ~あ……。遥香さん、行っちゃった……」
宿屋の窓から、ベルフォート家の馬車を見送った僕は、遥香さんから預かったペンダントを手のひらの上に乗せて、指先で撫でていた。
このペンダントはさっきまで彼女の肌に触れていた。そう思うと、愛しくて愛しくてたまらない……。
「そういえば、毎朝起きたらセーブのかけ直しをするって言ってたけど……、
そうそう、セーブしていいかどうか連絡が来てから、だったな。
忘れないようにメモしとかなくちゃ。
うっかりセーブしちゃいけなかったりしたら大変だもんな」
僕は荷物の中から筆記用具を取り出すと、大事な事とタイトルをつけて、セーブボタンの使用に関する注意を書いた。
ホントなら、蛍光ペンでアンダーラインでも引いておきたいところだけど、この世界の筆記具はインクを用いるつけペンか筆、そして鉛筆しかない。
まあ、鉛筆があるだけマシなのだけど。だって、液体インクを使うものは乾かさないといけないでしょ。
そう思うと、現代の筆記具はなんて便利なんだろうなって思う。そんなものが百均でたくさん売られているんだから、ぜいたくな話だよね。
「あ~あ、待ってるだけなんて退屈だな~」
そういえば、ここは一応街だからお店とかあるんだろうな。学園と王宮しか行ったことないから見物でもしようかな。でも勝手に行ったら怒られそうだし……。
僕は、遥香さんちの執事さんからもらった平民の服に着替え、隣に泊まっているウチの護衛騎士たちのところに行った。
「ちょっといいかな」
「殿下、なにか御用でしょうか」
「街を散策したいのだが」
隊長さんが、どうしよっかなって顔して少し考えたあと、
「かしこまりました。我らも支度を致しますので、のちほどお迎えにあがります」
「ごめんね、面倒をかけて」
なんて僕が言ったせいか、みんな『えっ?』って顔して僕を見るんだ。
まずかったかな。
「殿下、変わられましたな」と隊長さん。
「あ……どう変わったんだい?」
本来の第三王子はどんな人物だったのか、少しは分かるかな。
「常に暗殺の危険の中に御身を置かれていたせいか、ご心労で暗いお顔をなさっておいででした。そして臣下を労うどころかお声をかけられることも少なく」
隊長さんの言葉に協調するように、ほかの護衛騎士たちも、うなづいている。
「皆には気苦労をかけて済まない……」
「いいえ。勿体なきお言葉。殿下をお支えするのが我らの使命にございます」
「うん。ではまたあとで」
僕は彼らの部屋を出て自分の部屋に戻り、小腹が空いたので神からもらったシリアルバーを食べることにした。
思えば、昔の世界では携行食というのも作るのが大変だったんだろうな。こんな保存性の高い丈夫な袋に入っていて、栄養価も高くて美味しいものなんて、ずっと未来の存在なんだな。
そうか。そういう不便があって、昔の人々の願いが積み重なって出来たのが、現代の技術で作られた食品なんだな。過去があって今がある。
つまり、今というのは、過去と切り離されたものではなく、ずっと繋がっているんだな。だから、昔のことも学ばないといけないんだな。
学ばなければいけなかったんだな……僕は。
もっとちゃんと大学に通っておけばよかったな。
◇
チョコバーを食べ終わって5分ほどしてから、ドアがノックされた。騎士かな?
「はーい、今開けます」
すると外から、
「殿下、いきなり扉を開けてはなりませぬ。不用心ですぞ。まず相手が名乗ってから注意して開けるようになさいませ」
怒られちゃった。
ついつい、こういう所に素が出ちゃうな。
気をつけないと。
「あ、そうだな。うっかりしていた。そなたの名を名乗れ」
「第三王子レオン殿下直属親衛隊が隊長、アインハード・ベルガーが、レオン殿下のお迎えに参りました。お目通り願います」
もう、開けてもいいかな……
『ガチャ』
「ご苦労。では参るぞ」
「御意」
◇
というわけで、宿を出たのは僕と隊長のベルガーさん。
彼も僕とおなじく平民の服に着替えていた。
人数が多いとかえって目立つから、他の二人は留守番だそうな。
「それでお前はどこに行きたい?」
うお、いきなりタメ口だ。
これは事前に申し合わせたことだから無礼でもないんだ。一応僕らは親子って設定らしい。もうちょっと若かったら兄弟にしたって言ってた。
「初めて来た街だから、お店のあるあたりを一通り見てみたいな」
「分かった。欲しいものがあれば何でも買ってやるぞ」
「わ~い、ありがとうお父さん」
「お、おう。お前にはいつも世話をかけてるからな。気にするな」
「うん!」
あまりにナチュラルな僕の演技に、ベルガー隊長が動揺してる。
相手が王子様だと思えば多少は驚くかな。
だけど彼のアドリブもなかなか。
普段から潜入調査とか危ないことしてるのかな。
急な話だけど、優しいお父さんが出来て、ちょっと嬉しいな。
僕の実の父は、ちっとも優しくなかった。僕だけじゃなく、家族全員に。
あの男は家族を愛せないのに、なんで結婚したんだろう。
遥香さんとの間に子供が出来たら、あんな父親にはなりたくないな……。
「そういえば、こないだ一緒に買いに行った指輪、彼女にはもう渡したのか?」
「え? ……あ、ああ、うん。昨日、やっと渡せた」
あの指輪は、第三王子と隊長さんがお忍びで買って来たものなんだな。
ちゃんと渡せたか心配してくれてたんだね。
でも……。貴方と一緒に買いに行った彼は、もういないんだ。ごめんね。
「よろこんで、くれたかい?」
「うん。とても」
「そうか……」
本当のお父さんみたいに、優しい目で僕を見てくれる。
そんな風に第三王子を見守ってきたんだね。貴方たちは……。
いつ消されるかも分からない第三王子の親衛隊なんて、貧乏くじもいいところじゃないか。なのにこの人たちは、志願して護ってくれている。
親衛隊とはそういうものなんだと王城で聞いた。
遥香さんは、僕たち転生者以外は全てNPC、それに近い生物だって言う。けれども、僕にはやっぱり彼らもちゃんと生きている人たちだって思うんだ。どうしても、彼女みたいには割り切れない。人生経験の差、なのかな……。
◇
しばらく歩いているうちに、僕はあることを思いついた。
「ねえ父さん、この街には宝飾店ってあるかなあ」
「あるぞ。また新しいプレゼントでも彼女に贈るのかい?」
「うん! 今度は指輪じゃないのをね」
「そうか。いい品物が置いてあるといいんだけどな」
「置いてないかもしれないの?」
「一番良い品物は首都の店に置かれるものだからな。ここは近隣の中では比較的大きい街ではあるが、首都に比べると見劣りはしてしまうだろう」
「そっか……。でもいいんだ。自分で選んだものを贈りたいから」
「前もそうだっただろう?」
「次はいつ買い物が出来るか分からないから……」
そう言うと、隊長さんの顔が一瞬ゆがんだ。
きっと、いつ『殺される』かもしれない、って意味だと思われちゃったんだな。
なんかつらい思いさせちゃって、悪かったな。
でも、安心して。
僕はあの第三王子なんかより、ずっと丈夫で、絶対に死なない。死んでも生き返る。だから安心して。……って本当のこと言えたらいいのにね。