「レオン君、ちゃんと顔洗った? もうヨダレついてない?」
「洗ったってば。ったく、お母さんか」
「お姉さんよ。あんなにベタベタにしてくれたおかげで、私なんか着替えるハメになったのよ。少しは時と場合を考えてよ」
「じゃーリセットでもすればいいでしょ!」
とうとうレオン君がむくれてしまった。あらら……。
「いやよ。また着替えから始めなきゃいけないし、また襲われないって保証もないんだから」
レオン君、こんどはシュンとうなだれてしまったわ。
めんどくさい子ね。
でも、今までそんな感情おくびにも出さなかったんだから、距離が縮んだと喜ぶところかしら。お姉さん的には。
「襲われるの……そんなにイヤ?」
「ちがうわよ。朝の忙しい時にめんどくさいことになるのがイヤなの」
「僕のキス……めんどくさいんだ」
あーもーイライラする!! 童貞めんどくさい!
「ちげーっつってんだろ! 朝は頭いちばん冴えてっから貴重な時間を無駄にされたくねぇだけだ! イチャつくのは脳みそグダグダになってからでいーんだよ!」
「あ……」呆然とするレオン君。
「あ……」愕然とする私。
やっちまったなあ! 私!
やっべ~~~~~~~~~~~~~!
「やっぱ遥香さん、男前だ……かっこいい」
両手を胸のあたりで組んで、♥になった目で私を見る彼。
へ?
ええっと……。
これは、セーフだったのかな?
「えっと、その……前職は荒事の多い職場でして……おほほほほ」
「そうなんだあ。だからこのヤバい世界でも敵と渡り合えるんだね!」
どういう勘違いをしてるのか分からないけど、そういうことにしておきましょう。
結果オーライ! さすがは勝利の女神!
「とにかく、さっさと支度して出かけるわよダーリン!」
「ラジャー!」
やれやれ。
やっと朝ごはん食べられるわね。
それはそれとして、部屋を出る前に仕込みをしとかなくちゃ。
私は使用人室に入って、メイドたちにある用事を言いつけた。
大至急、と強く念を押して。
◇
私とレオン君は、まいにち寮の上流階級エリアから、最下層の食堂に降りて朝食をとっているのだけど、普通に学生寮だから階段や廊下で他の生徒とすれ違うわけ。
そういう時は、それらしい演技をして挨拶するのだけど、美形王族のレオン君を侍らせて歩くのは実に気分がいいのよね。
女子生徒がキラキラのレオン君にキュンとして、次の瞬間には羨望と嫉妬の混ざった目で私を見るわけ。
そういう設定なんだから、いくら羨んでもしょうがないわけで、私も好きでヴィクトリアになったんじゃないんだから諦めてよとしか。
どうせNPCの貴女たちに王族を落とすガッツなんてないのだから、大人しく諦めるか、さもなくばクラリッサでも見習えばいいのに――なーんて思うわけよ。
――そう。
私たち転生者の最大の武器は、神の道具でもなく、ゲームの知識でもない。
この揺るぎない【自我】であると。
昨日今日作られたようなキャラクターが持ち得ない自我、己で考え己で決める強い意志こそが、この忌まわしい運命を捻じ曲げる力だと、私は信じている。
だから神は、数々の修羅場をくぐったこの私を招いたのでは、と思ってる。
「考え事しながら歩いてると危ないよ、ヴィクトリア」
隣で声を掛けてくるレオン君は、いつもと違って私の肩をガッチリ掴んでる。
いや、そこは肩を抱く、だよね?
掴むって何? 私どこかに連行されてるの?
……まあ、恋愛初心者だから仕方ないんだけど。
というか普段の君は、私と手を繋ぎたくても繋げなくって、仕方なく腰の剣の柄をいじくり回してるヘタレだったはずでしょ?
「あら、ごめんなさい殿下。それと、もう少し優しく抱いて頂けないかしら」
「あ! ああっ、ご、ごめんなさい! ……痛かった?」
こっそり無線でフォローしときますか。
<早速キャラがブレてますわよ、殿下>
<だ、だって……ごめん。調子に乗り過ぎた>
<慣れないことは練習してから人前でやりましょうね>
<はーい>
というわけで、レオン君は慣れないことをやめて、普通に手を繋いできました。
うんうん。
初々しい恋人たちなら、おててつないで歩くのから始めるのがいいわよね。
「うふ……」
手を繋いだ嬉しさからか、凛々しい第三王子が、ふにゃふにゃになっています。
これはよろしくないわね。
<キメ顔を維持できないのなら手繋ぎ禁止にするわよ>
<や、やだあ! ……がんばります>
手は繋いでいたいらしい。
やだもう! レオン君かわいすぎ。
ああ、かわよ! かわよ!
なにこの可愛すぎる王子様!
もー! あとでいっぱい可愛がってあげるわ!
◇
なんだか不要な苦労をしつつ、ようやく食堂に到着した私たちを、いつものメンツが出迎えてくれる。
「おー、やっと来たなご両人! おはよう!」
先に食堂に来ていたアルト君が、体育会系らしく元気な挨拶をブン投げてきた。
そしてユノス君はぺこりと会釈のみ。
あんまり大声で挨拶するのは彼のキャラじゃあないわよね。
私も同じノリで返事をしそうになるんだけど、ぐっとこらえて――
「おはようございます、アルトさん。そしてユノスさん」
続いてレオン君も、
「おはよう、アルト君、ユノス君」
挨拶は済んだので、私たちは日替わり朝定食を取りに行った。
で、戻ってきたら、アルト君たちはほぼ食事を終えてて、プロテインとか飲んでるわ。やっぱ男子ってプロテイン好きよね。
「みなさん、ドリンク飲みながらちょっと聞いて欲しいの」
察しの良い二人は、黙って聞き耳を立ててくれた。
これからの予定とその目的について説明を終えたところで、アルト君が挙手したの。
「俺は同行しなくてもいいのかい?」
「レオン君の護衛騎士をつけるから大丈夫よ」
「了解っと。じゃあ、俺はこっちで何をすればいい?」
「そうね……。第二王子の動向を軽く探ってもらえれば。フローラやクラリッサとの繋がりの証拠でもあれば大金星ね」
「確約は出来んが、最善は尽くそう。問題があればいつでも呼び出してくれ」
「ありがとう。その時にはお願いするわね」
ホント、軍人さんは話が早くて助かるわ。
「ぼ、僕に出来ることない?」とユノス君。自分も活躍したいのね!
「ありがとう、ユノス君。貴方には、私たちが帰ってきた後で働いてもらうわ。それまで殺されないように、アルト君と行動を共にしていてね」
「わ、わかりました!」
「私たちはこれから準備があるから、今日から学校はしばらく欠席するわ。特に先生に何か言わなくてもいいわよ」
「おう。二人とも、十分気をつけろよ」
私とレオン君は、同時にうなづいた。
数合わせの攻略対象だったアルト君が、こんなに頼もしい味方になるなんて。
う~ん、やっぱりNPCとは思えないんだけど。
でもまあ、いっか。
多分彼は裏切らないから。
◇
実家行きを一日遅らせることが決まったタイミングで、私は執事のセバスチャンを実家から召喚しておいた。彼なら私たちの味方になってくれると思うからね。
朝食後、私とレオン君が私の部屋に戻ると、なんとセバスチャンはすでに到着していたの。
私からの知らせを受け取った彼は、お嬢の一大事に馳せ参じんと、寮まですっ飛んで来てくれたのよ。も~、かっこいわね!
というわけで、私たちは、実家から飛んできたセバスチャンとお話しを始めたわ。
「お嬢様、此度は如何されましたでしょうか」
「ありがとうセバスチャン。貴方を呼んだのは他でもないわ。
私たちに力を貸してほしいのよ」
「もちろんでございます、お嬢様。何なりとお申し付けくださいませ」
老執事は深々と礼をしたの。
渋さがたまらない、っていうセバスチャンファンの気持ちが分かる気がするわ。
出来ることなら、生セバスを見せてあげたいくらいね!
……と、そんなこと考えてる場合じゃなかったわ。
「あのね、私の落馬事故の頃のことを詳しく教えてほしいの」
続いてレオン君が口を開いたわ。
彼の演技力が火を噴くわよ!
「これは故意に起こされた事故……すなわち事件だと睨んでいる。僕たちは真相を確かめるため、これからヴィクトリア嬢の自宅に行く予定なんだが、その前に貴方から話を聞きたくて、朝早くにお呼び立てしてしまったという次第なんだ」
「やはり……」
セバスチャンは顎髭に手をやりながら、なーんか知ってそうな顔をした。
「何か知っているの?」
絶対知ってるわよね、これ。
「わたくしめからお話しをする前に、何故そう思われたのかお聞かせ願えませんか。確かお嬢様は、頭を強く打って事故前後の記憶を失っておられたはず。
――何か思い出されたのでしょうか?」
ほう……。
意味深な発言ね。
もうちょっとヌルい回答を予想していたのだけど。
セバス、貴方もNPCらしからぬキャラね。中の人が? いや、それとも隠し玉としてデザインされていたのかしら。あの開発陣ならやりそうな気もするけど。
「いえ、何も思い出せてないのよ。だからこうして貴方に尋ねているの。何故そう思ったのかは、殿下から説明していただくわね」
レオン君が、こほん、と咳払いをして、
「根拠は、ヴィクトリアの妹、ミーアだ」
そう言った途端、セバスチャンの表情が険しくなったの。
「むう……。学園で、何があったのですか?」
「お姉さんが事故で休んでいる間、学園で知人を介して悪評をバラ撒いていた」
「なんと! ああ……」
セバスチャンが額に手を当てて天を仰いだの。
老執事の失意の仰ぎポーズ、なんて絵になるのかしら……。
「僕が直接彼女の教室に出向いて聞いた話だ」
「他人を利用するとは……むうう」
今度は怒りに震えてるわ。卑怯なやり口が許せない、って顔ね。
「そして数日前、ヴィクトリアさんの殺人未遂事件があった。僕が現場で止めた」
「そ、そのようなことが……。お嬢様をお護り下さりありがとうございます、殿下」
セバスチャンはレオン君に深くお辞儀をしたの。
腰でパキっと折った、綺麗なお辞儀ね。
「僕の妃となる女性だ。護るのは当然だろう。それで――」
レオン君は、信じられないかもしれないけれど、と前置きをして、
「犯人は複数。実行犯は――ミーアだ」
セバスチャンは深くため息をついて、
「ああ……とうとうそんなことを。いたずら程度と思えば見過ごしもして参りましたが……。左様でございますか……」
「お姉さんから僕を奪いたかった、そういうことだろう。実際、僕は彼女から、僕と結婚したいという旨を、直接伝えられている。だが、実の姉を亡き者にしようとするなんて、義理の妹になる娘とはいえ許してはおけない」
「それが根拠、なのですな」
事実を認めたくないセバスチャンが、絞り出すように、そう言ったの。
「ああ。残念ながらね」
レオン君は肩をすくめた。
恐らくセバスチャンからすれば、私もミーアも孫のように思って世話をしてきたのでしょう。それだけに、彼女の悪行は彼にとって信じたくない事実ってことになるわね。
まあ、この世界が出来てからの時間はそこまで経過してないから、それはあくまで『お世話をした記憶』ということになるのだけど。
それでも、娯楽のために生み出された彼らに、偽の記憶を植え付けた挙句、ここまで苦悩させるなんて……、と思うと神って相当に罪深いことをしてる気がするわね。
セバスかわいそう。
「私たちは明日、自宅に戻って落馬事故の真相を探るつもりなの。
貴方も手伝って。セバスチャン」
「御意」
セバスチャンは胸に手を当てて礼をした。
心強い味方、ゲットよ!
◇
それから私は、明日必要な諸々の準備をセバスチャンに命じたあと、レオン君と一緒に、寮の離れに駐在している護衛騎士たちの所に向かったの。
明日、レオン君の護衛騎士を使用人に変装させて、私と一緒に屋敷に潜入してもらう算段をつけるためよ。
これで仕込みは大体OKかしら。
ちょっと大掛かりな作戦になってきたわね。
うふふふ……。楽しみだわ。