「それじゃあ、部屋に戻るね。また後で迎えに来るから」
「ええ。待ってるわ」
私はレオン君を見送ったあと、朝の支度を終えて(とはいってもメイドさんたちによるオート着替えなのだけど)、出入り口近くに置いてあるスツールに腰かけた。
このスツールは、ピアノの椅子みたいに横長で、紅色のビロードで覆われている。私はいつもこのスツールに腰かけて、毎朝レオン君が迎えに来るのを待っていた。
いつのまにかそれが毎日のルーティーンになっていて、意識しなくてもこのスツールに腰かけて彼を待っていたわ。
でもそれはただの待ち合わせのようなもので、私の頭の中はいつだって、クラリッサ打倒しかなかった。
もちろんそれが悪いわけではないし、考えるのは私の役目だと理解している。
特に朝一番のこの静寂の中で、私の頭脳は最も研ぎ澄まされる。
この座り心地のいいスツールに腰かけ、見え隠れする運命の糸を手繰り寄せたりまとめてみたり。
だって二人分の命が掛かってるのだから当然よね。
今日だって本当なら、どうやってミーアたちの悪事を暴いてやろうか、勝手が全くわからない実家で、どう立ち回ろうか等々、考えなければならないことは山のようにある。
だけど。
今朝だけは。
今朝の私は、恋人のことを想って、このスツールに腰かけている。
恋人が迎えに来るのを待ち焦がれている。
前世の私に恋人がいたのは、遠い昔の話。
死んだ時点だって、好きな男性なんかいなかった。
リアルの男なんてどうでもいいや、そう思っていたのに。
でも死んだら。
告白されちゃった。
婚約指輪までもらっちゃって。
もう、ビックリよ。
人生なんて何が起こるかわからないものね。
私を愛し、私のために命を掛けてくれる男性が現れるなんて。
あの神、手違いで彼を寄越したなんて、ウソだわ。
バディ物が見たかったのよ。絶対。
後は……。
この幸せを確実に己のものにするために。
幸せなトゥルーエンドを迎えるために。
私たちは命を掛ける。
◇
「ヴィクトリア、僕だ。レオンだよ♪」
あ、レオン君が来たわ。
なんだかウキウキしてるわね。
って、人のこと言えなかったわ。
早速ドアを開けた私は、
「おはようございます、殿下。いま支度いたしますわ」
「あ、入ってもいいかな」
「どうぞこちらへ」
レオン君は部屋に入るなり、ドアの鍵を閉めた。
いきなりイチャつくのかと思ったら、
「遥香さんの実家に行くの、明日にしてもらえないかな」
「どうして?」
理由を尋ねると、レオン君は少しモジモジして、
「……せめてもう一日、貴女とゆっくり過ごしたいから。
学校もサボろう。ね、いいでしょ?」
と、あざと可愛い顔でおねだりされてしまった。
あのレオン君にしては随分と積極的になったわね、と彼の成長を喜ぶ私。
お母さんじゃないわよ? せめてお姉さんよね。
「悪い王子様ね」
「君だって」
君だって、だーって。
長らく私を見上げていた彼が、少しづつ対等の目線になろうとしてる。
あ~、若人の成長ってすばらしい。
だからコンテンツになるのね!
そして、これは私にとっても喜ぶべきことよね。
どんどん成長して、立派な伴侶になってもらわないと。
天下統一は成し遂げられないわよ!
「たしかに、私自分が悪役令嬢だったの忘れてたわ。
ま、一日休んで段取りに余裕を持たせるのは悪くない話ね」
「段取りか。そちらは君に任せるよ」
「OK! じゃあ、朝ごはんを食べに行きましょ。
アルト君たちにも事情を説明しないといけないし」
「その前に」
「あ……」
急に彼が私を強く抱きしめたの。
やっぱりそれが、私が目的だったのね。
「はる、かさ……」
かすれた声で私を呼び、そして貪るように口づけをする彼。
覚えたばかりの不器用なディープキスで、私を激しく求めるの。
でも、悪い気はしない。
むしろ……嬉しい。
制服のシャツ越しに、彼の激しい鼓動が伝わってくる。
多分それは、私も同じなのでしょうけれど。
ああ、余裕ないのが彼にバレてしまうわ。
いつも澄ましてるくせにって、思われるのが恥ずかしい……。
ふいに彼が、すっと唇を離した。
二人の唾液がつぅっと細く糸を引いて、ぷつりと切れた。
彼の濡れた赤い唇が、さくらんぼのように光っている。
やっぱりそれは、私も同じ、なのでしょうね。
彼は息苦しそうに短く呼吸を繰り返し、欲情しきった顔で私を見つめる。
切なさでどうにかなりそうなのを、救ってほしいといわんがばかりに。
「こんなんじゃ、足りない……もっと、遥香さんが、欲しい」
あのレオン君が、こんなに蕩けてしまってるなんて……。
「もちろんよ。私でよければ、いくらでもあげるわ」
――こんなものでは贖えないほど、貴方は血を流してきたのだから――
「ありがとう遥香さん……好きです……」
「私もよ」
「好きです! 好き……好きぃ……あ……は、遥香さん……好きなんです……うぅ……あぁ、ごめんなさい、好きでごめん……遥香、さん」
感極まったレオン君が、私を掻き抱き、背中をまさぐったり、頬ずりをしている。
そして、半ば押し潰されるように、私はスツールの上に座り込んだ。
覆いかぶさった彼に、閉じ込められた格好の私。
彼は私の制服の上から、ぎこちなく愛撫しながら、私の口を荒々しく貪る。
そして、猛る彼の熱がスカート越しに伝わる。
仕方ないわよね、タガが外れちゃったんだもの。
でも今は、そんなことしてる場合じゃないの……。
彼が唇を離したとき、
「レオン君。そろそろ行かなくちゃ……」
彼はものすごく辛そうな顔で、私の上から離れると、
「ごめんなさい……好きって気持ち……止められなくて……」
「ううん、いいのよ」
私は思わず彼の頬を撫でたの。
こんなにも私を愛したいっていう、貴方の強い想いを引き剥がしたんだもの。
むしろ私の方こそ、ごめんなさい、だわ。
「遥香さん……ごめんなさい……」
う~ん、そんなにしょんぼりされると、困っちゃうな……。
「じゃあ、あと5分だけね」
「ありがと遥香さん……大好き!」
再び押し倒された私は、もうなされるがままね。
少しでも時間が惜しいのか、彼は私の口の中を夢中で犯してる。
――そろそろ5分かしら。
私はレオン君の背中をぽんぽん、と叩いた。
彼はのそりと身を起こした。
まだ全然おなかいっぱいになってないよ、って顔してる。
「ん……もう時間?」
「そろそろ……ね?」
「ううう……」
「用事が終わったら、ちゃんとご馳走してあげるのに……。
そのために今日はお休みにしたんじゃなかったの?」
「そうだけど。我慢できなかった」
「いい子だから我慢して」
「うん……」
こんなに私のこと求めてくれるなんて、やっぱりうれしい。
熱烈すぎて、受け止めるの大変だけど。
でも彼は私のために命を掛けてるんだもの。
絶対、受け止めてあげる。
そして、クラリッサや第二王子に勝利して、貴方との未来を手に入れてみせる。
だから今は、これから何度も残酷な仕打ちをする私を、どうか許して……翔くん。