トントン、とドアをノックする音が。
「お嬢様、よろしいでしょうか」とメイドの声がする。
私にしがみついて泣いていたレオン君が、慌てて起き上がって、ぐしゃぐしゃになった顔をハンカチで拭きはじめた。
そういえば私の制服も彼の涙でびしょ濡れだわ。
「ええっと……ちょっと待って」
「かしこまりました」
彼もみっともない所を見られなくないのでしょう。
あんなに必死に顔ふいてるんだもん。
私は……まあ、ほっとけば乾くからこのままでいいか。
「すいません、入ってもらっていいですよ」とレオン君。
私はちいさく頷くと、
「お入りなさい」
とメイドを呼んだ。
「ご歓談中、失礼いたします。殿下、お嬢様」
「用は何かしら?」
「大食堂でお夕食の準備が出来ておりますが、よろしければこちらにお持ち致しましょうか?」
まあ、なんて気のきくメイドなんでしょう。ウチのメイドにしておくのがもったいないわ~。
「どうします? レオン殿下」
「えっと……、悪いから自分で食堂に行くよ」
「ではわたくしもご一緒に。というわけで、食事のデリバリーは不要よ。気を遣ってくれてありがとう」
「かしこまりました、お嬢様」
若干いぶかしげな顔をしながら、メイドが部屋を出ていった。
使用人に手間を掛けさせることを忌避して、自分から食堂に行こうと言い出す王族なんて、彼女の想像の範囲を超えてるでしょうね。
◇
「よう、こっちこっち」
大食堂に連れ立ってやってきた私たちに、アルト君が声をかけた。
私たちを待っていたのか、入口に近くて目立つ席に、ユノス君と一緒に座っていた。
普段は割と奥の席に座ってるから「待ってた」って思ったんだけどね。
なんか悪いことしちゃったわねえ。
レオン君はかるく手を挙げただけ。
元気にお友達と食事を取る気分じゃなさそうね。
「こんばんは、アルト君、ユノス君。私たちを待ってた?」
「ああ。場所、移すか?」
「あー……、殿下がちょっと気分が優れないから、今日は二人で食べるわ。ごめんなさいね」
「ごめん……」
ぺこりと頭を下げるレオン君。
王族なんだからそんなことしちゃダメでしょ、仕方ないわね。
「大丈夫? レオンく……殿下」ユノス君が心配してる。友情ね!
そんなユノス君を制して、
「ん、分かった。今日はゆっくり休め」
とアルト君。何かを察してくれたのかしら、相変わらずNPCらしからぬ対応力ね。ホントに中に人は入ってないのかしら? どーもあやしいんだけど。
NPCと便宜上言ってはいるけど、ちゃんと生きてる人間だということは理解してる。
えーとつまりなんというか、この世界はゲームの設定を元に、娯楽神の手によって作られている。
そして、この世界の住人は、そのキャストとして数十年分の人生と、数百年分の歴史を与えられている生命体であると。
そしてゲームの設定から外れる思考・行動をしないようプログラムされているはず。そうしないと再現度は下がるし、最悪のばあい世界観壊れちゃうからね。
ゆえに、ぶっちゃけアドリブには強くないはず。
んで、そのことを自覚している人物は、基本的には存在しないと私は認識している。
そのNPCの規範から見るに、やはりアルト君は結構アヤシイのよね……。
彼が転生者じゃなかったとしても、他の世界から来たとか、何かの理由があって、非NPCがこの世界の住人を演じているとか。
――つまり、中の人がいる。そう、私の勘がささやく。
ま、当人が語らない以上、知る由もないのだけど……。
というわけで、食堂のすみっこの席に陣取った私とレオン君。
「もう大丈夫よ、レオン君。さすがの超回復で、
泣きはらした瞼がすっかりスッキリ治ってるから」
「あ、はい。そっか、そういうのも治るんだね……」
自分の顔を撫で回すレオン君。
いつもの2・5次元イケメンが復活してるわよ。
食事を終えて、お茶で一服してる時、ふと昔のことが脳裏をよぎった。
彼には話しておいてもいいか。どうせいつかは話すんだし。
「あのさ……私の生前の話、してもいいかな」
「遥香さんの? ええ、もちろん」
レオン君が身を乗り出してきた。興味津々って顔ね。
「えっとね。私の勤め先って給料はそこそこ良かったけど、ブラック極まりなくってね。通勤時に携帯ゲーム機で遊ぶのが、数少ない楽しみだったわ」
「その時にプレイしてたのが、この乙女ゲーム……ということですか?」
「そうよ。特別好きというわけじゃなかったけど、難易度高いからついプレイ時間がかさんで……。それを娯楽神のヤツが、『私の好きなゲーム』だと勘違いして、こんな世界を作ったというね」
「ああ……迷惑な話ですね」
「ホントよ。とはいえ、プレイしたてで何も分からない状況よりはマシかもしれないわね。だって握ってる情報量は圧倒的に多いわけだし」
「確かに。さすがは遥香さん。じゃあ、次は僕が」
「ああ、別に無理に付き合わなくてもいいのよ。私が話したかっただけだから」
「いいんです。もう僕のこと知ってる人は遥香さんだけだし、この記憶だっていつまであるか分からない。だから、遥香さんに僕のこと覚えていて欲しいんです」
「そう……。わかったわ。ちゃんと覚えておいてあげる」
レオン君はすうっと息を吸い込むと、ぽつぽつと話し始めた。
「僕、大学通ってたけど、あまりやる気もなくて。
やりたかった声優にもなれなくて……」
「養成所とか行ったの?」
「見学に行ったら、顔も良くないし見込みないから帰れって」
「ひどい話ね」
「それですっかり自信なくして、せめてVtuberならなれるかなと思って、ガワとかデザインとかの費用を貯めるためにバイトを探していた矢先でした」
「どんなバイト探してたの?」
「えっと、体力ないから肉体労働系はパスで、ゲームショップかカードショップの店員にでもなれれば……と思ったんだけど、近所に求人がなくて……」
「そうだったのね……」
「結局、仕事始める前に死んじゃったから、迷惑かける先が減ってよかったかな」
無理して苦笑してるレオン君。痛々しい……。
「私は……、身内はいないから、特に迷惑かける相手なんかいないわね」
「そうなんですか……。勤め先は?」
「あんな会社どうでもいいわ。ここに来て清々してるもの」
「あはは、そっか。ブラック、でしたよね」
「ええ! 翔君!」
「は、はい!」
「一緒に生き残りましょうね! そして夢のスローライフよ!」
「天下統一じゃないんですか?」
「あ、そうだったそうだった。こほん。スローライフしてから天下統一するわよ! 多少は休みたいしね!」
「ですね! がんばりましょう!」
ホントは君を休ませたいんだけどね、レオン君。
だって君、さすがに死にすぎよ……。