遥香さん、遥香さん、遥香さん!
う、腕組んで歩くなんてまだ早いですうう!
そそそ、そんなラブラブごっごを急に始められたら、ぼ、ぼぼ、僕はあああ……
そりゃあ僕は貴女のこと大好きですが、人前でそんなにくっつかれると困るでしょうに! 絶対顔真っ赤だったよもう、恥ずかしい!
もう、僕の心臓が、もた、ない!
◇
遥香さんの自室に入ってすぐ、僕は遥香さんの腕を解いた。
「どうかした?」
「いや、その……仲良しアピールは室内なら必要ないかなと」
と言いつつ、これ以上イチャついてたら心臓破裂しそうなんだってば。
僕はヒロインか。まあ、そうかもしれないな。
遥香さんは僕よりずっと男前だもんな。
僕はマジで頼りない。
すぐ死ぬし。
胸のドキドキを隠しつつ、椅子で休んでいるとメイドさんがお茶をいれてくれた。
ウチのメイドさんのお茶とは違う、なんだかすごく香りのいいお茶だ。
やっぱ主人が女性だからなのかな……。
お茶を飲んで一服すると、とりあえず落ち着いてきた。
そんな僕の様子を見て、そろそろいいかとばかりに遥香さんが話し始めた。
「妹をいじめている、なんていうストーリー展開は聞いたことがないのよね。
一体、何が起こっているのかしら。
そもそもヴィクトリアは脇役だから、細かい描写などないから手がかりも少ないし、困ったわね」
「そうだね……」
「こんなこと吹聴してるのは、多分妹たちなんだろうけど」
「妹ちゃん、どういうつもりなのか、僕には全然わかんないですよ」
「レオン王子と私の婚約を解消するため、かもね」
あの小娘のイヤな声が脳内によみがえる。
ねっとりと気色の悪い声……。
「アホらしい……。でも、ゲームならあり得るのかな……」
「面倒なことになる前に、あの子を捕まえてシメた方がいいかしら」
「うーむ、悩ましいですねえ」
とはいえ、正直言ってシメてもらいたいのは僕も同じ。
あんな気持ち悪い子と結婚するなんて、絶対にイヤだ。
僕は、遥香さんじゃないとイヤなんだ。
他の人なんて考えられない。
第二の人生、添い遂げるのは、目の前の遥香さんだけ。
遥香さんの入ってる『ヴィクトリア』とだけ。
その為には、全ての敵をせん滅しなければ。
二人の未来のために。
もっと力が欲しい。
力、もらったはずなのに。
僕の力、いったいどこに行ってしまったのだろう。
遥香さんがいないと何もできない、
ポンコツな自分が本当にイヤだ。
UIが完成したら、その謎は解けるのだろうか。
「レオン君? どうかした? まだ疲れてる?」
「あ、ごめんなさい。ちょっとぼーっとしてた……」
「甘いものが足りないのかしら」
「いや、大丈夫だから。お菓子はいらないよ」
というか最近ちょっとお菓子が怖い。
自室でも間食は、メイドの持ってくるお茶菓子はほとんど口にしないで、神様からもらったチョコバーと水ばっかだ。
昔の人はいつもこんな心配してたんだろうか。イヤな話だな。
でも、遥香さんが食べてるのを見るのは好きだ。
なんかほっこりする。
お嬢様アバターでモリモリ食べるギャップがたまらない。
食堂でどんぶり飯を掻き込む様は、さながら昼食時のサラリーマンのようだ。
生前、どんな過酷な環境で生活していたのかと思うと、気の毒にならなくもないけど。
そういえば。
いろんな意味で胸が苦しくなるようなことを思い出した。
あの口で。
あの唇で、僕に、口移しで水を飲ませてくれた。
嬉しいけど、それ以前に危ないだろって本気で怒った。
毒が水溶性じゃなかったらどうする気だったのか。
すこしでも触れたら危ない毒だってあるんだ。
なのに、あんな無茶するなんて、どうかしてる。
リセットで死に戻りするのは、僕だけでいいんだ。
彼女に死ぬような苦しみを味合わせるなんて、冗談じゃない。
そんなの、僕だけでいいのに。
お願いだから、そんなことしないで。
貴女は強い人だけど、でも僕は護りたいんだ。
弱いくせに生意気だって貴女は言うんだろうけどね。
「おいで、れおきゅん」
遥香さんが、ソファの隣をぽんぽんして僕を呼ぶ。
実年齢、アラサーって言ってたから、僕のちょっと上だけど、やっぱ僕はずっと子どもに見えるんだろうな。それとも子犬かな。
ちぇっ。
「うん……」
「よーしよーし」
ぼすっとフカフカのソファに腰を下ろすと、遥香さんが僕の頭を胸に抱いてナデナデしてくれる。
「むふん~」
気持ちよくて、ついヘンな声が出ちゃう。
遥香さんはズルい。
僕だけこんな、弄ばれて、一人だけドキドキして、だけど遥香さんを独り占めしてて、なんというかもう、いろいろグチャグチャだ。
このまま何も考えられなくなって、何もしなくても、ナデナデしてもらえる生物になって、ずっと遥香さんを独り占めしたい。
「そういや、こないだの暗殺未遂解決のご褒美、ぼくまだ神様からもらってなかった。けっこう活躍したと思ったんだけど」
「ん? 私もまだよ?」
「遥香さんは、すぐ何か来るでしょ」
「だといいけどね」
「僕も活躍すれば何か神グッズがもらえて、遥香さんの役に立てると思ったのに」
「うふふ。今でも十分お役に立ってもらってるわよ」
「でも……」
だから何度も死んだり、知恵熱まで出して、あんなにがんばったのに。
僕には何もナシなのかなあ……。
◇
夕食後、遥香さんやアルト君、そしてユノス君と他愛のないおしゃべりをしたあと、僕は自室に向かった。
(ん? こんなところに人が……)
セレブ用の区画なせいか、通りかかる生徒はほとんどいない。
暗殺者かと思って、物陰に隠れると話し声が聞こえてきた。
「ワールド……消去の前に……」
(あれは……動画職人さん? しかし、ワールド消去って?)
「ユニット整理……消去作業を……はい、わかりました」
――ユニット整理……だと?
誰かとの会話が終了したのか、動画職人さんは、すっと姿を消した。
どういうこと?
まさか……自分が削除されてしまうのか?
そんな……いや、あり得る。
こんな出来損ないのユニット、消して新しく作り直した方がいいに決まってる。
そうか……。
だから報奨がないのか。
削除予定のキャラにアイテムを渡すバカはいない。
僕はそのうち、消されるんだ……。
そっか……。
間違って来たんだもんな。
普通は即消しするよな。
そっか……。そっか…………。
僕は【また】死んじゃうんだ――――。
僕は急いで自分の部屋に駆け込むと、ドアに寄りかかって泣いた。
泣き声が廊下に漏れないように、使用人室に漏れないように、両手のひらで口を押さえた。目から涙があふれて止まらない。止まらない。止まらない。
自分が消えるのがイヤなんじゃなくて、
遥香さんと一緒にいられなくなるのがつらいから。
初めて好きになった人なのに。
◇
そういえば、いつごろから貴女のことを好きになったんだっけ。
今までのことが走馬灯のように脳裏に浮かんできた。
僕がこの世界に初めてやって来て、ヴィクトリアの実家で貴女と初めて会ったとき、僕はこの人と結婚する役なんだと知った。
やっと自分の死を受け入れたばかりの僕には、実感も何もなく、ああそうなんだ。まあ死んでるからな。べつにいいですよ。くらいの感想しかなくて。
貴女が天下統一なんてブチ上げたとき、僕は本気で天下統一なんて考えてたわけじゃないけど、何でもいいから気力を出せればいいかなと、すこし無理してた。
空元気? とか。
だけど貴女は僕を元気付け、一緒に盛り上げてくれた。
この人は僕の味方なんだと思えた。
貴女も同じ気持ちだったのかな、と今ならそう思う。
学園に戻った後、ものすごいアウェイで怖かった。
でも貴女は少しも怯むことなく、周囲を蹴散らしていった。
そして僕を優しくフォローし、悪意から護ってくれた。
今にして思えば、あの頃から貴女に惹かれ始めていたんだと思う。
強く凛々しく逞しい貴女に。
まるでその名、ヴィクトリア=勝利の女神のように気高い貴女に。
悪役令嬢の名前だけど、貴女には似合いの名前だとは思ってるんだ。
だけど、やっぱり僕はガワの名で呼ぶことに抵抗があって。
だから、遥香さんと呼ぶことを、どうか許してほしい。
そうそう、遥香さん。
僕が「ちょっとはモテたかったのに」ってボヤいたことあったよね。あれ本気じゃなかったんだよ。ゲーム世界のヒーローだから、そういう体験も出来たのかなって思っただけ。別にハーレム作りたいとか、そういうのじゃなかったんだ。
でも、貴女がすぐに、
「じゃあ私にモテればいいんじゃない?」
って言ってくれたよね。
僕は正直驚いたんだ。
まあ、色々考えれば、婚約者なのだから当たり前の発想だったし、深く考えてたんじゃないのかもしれないけど。
でも、こんなにあからさまに、自分に恋をしてもよい、と許可を出されるなんて、僕にしてみれば一生有り得ない許可だったんだ。
多分これがスイッチになったんだと思う。
ふわふわ漂っていた貴女への気持ちが、明確に、真っ直ぐ、強い絆へと生まれ変わった瞬間なのだと。
これって、ずっと続く過酷な日々を乗り越えるために、必要な儀式だったのかな。
貴女のためなら、死ぬような苦しみにも耐えられる。
そう思えるように。
でも、それももう、終わりかな。
初めて動画職人さんと会った時、一瞬だけど不吉な雰囲気を感じたんだ。
ずっと忘れてたけど。
気のせいだと思っていたけど、そうじゃなかったんだな。
どうして不吉だと感じたのかは分からないけど、
こういうことだったんだな。
あの人は、僕ら転生者にとっての、死神、みたいなもの、だから。
◇
生き返らなければよかった。
そのまま死んでいれば。
正しい世界に送られてさえいれば。
こんなつらい気持ちにならずに済んだのに。
神様、もしも僕らを消すのなら、どうか遥香さんだけでも助けてください。
この世界ごと消すのなら、せめて遥香さんだけでも他の世界に移してください。
自分はこのまま消えてしまってもいいから。
冥府に送り付けられても構わないから。
お願いします。
愛しい彼女だけは。
どうか、助けて。