私は、レオン君に大きく頷くと、イヤリング型通信機のスイッチを入れてね、とジェスチャーして、教師とレオン君の二人を見送った。
教室の隅で私たちの様子を伺っていたユノス君が心配そうに、
「殿下は……大丈夫でしょうか」
「多分ね。貴方は先に寮に戻っていて」
「わかりました……」
しょんぼりしながら教室を後にしたユノス君を見送ると、私は通信機の音声に聞き耳を立てながら、こっそり二人を追いかけた。
◇
私が温室に到着すると、レオン君と教師がお茶を飲んで談笑している。
といっても、レオン君が話を合わせているだけなんだけど。
校舎裏の温室はひと気もなく、何か起こっても夕方ちかくで目撃者はまずいなさそう。暗殺者が犯行場所に選ぶのも理解できる。
それにしても、暗殺の危険があるのに、出されたものに口をつけるなんて、不注意もいいところ。
だけど、これは確実に犯人を捕まえるため。
超回復のギフトを持っているレオン君なら、そうそう死ぬことはないはず。
数分後――。
『パリン!』
陶器が割れる音とともに、レオン君の激しいうめき声が。
椅子から床に倒れ落ちて、苦しそうに転げ回っている。
私は叫び出しそうになるけど、必死に口を押さえた。
大丈夫、レオン君は死んだりしない、そう自分に言い聞かせた。
「殿下に恨みはありませんが、金には代えられません」
「ぐ……ッそおおお!」
腹から声を絞り出すレオン君。
いくら大丈夫だと思っていても、あんなに苦しそうにしている彼を見ていたら、涙があふれてしまう……。
「では、また深夜にお迎えに上がりますよ、殿下。
その頃にはもう、亡くなっているでしょうがね」
捨て台詞を吐いて、教師は温室を出ていった。
私は教師の姿が見えなくなったのを確かめると、急いで温室に入った。
「レオン君! しっかり!」
「うう……遥香さん……ぐるじい……」
彼が泣きながら私を呼ぶ。
少しでも早く回復させてあげなければ。
私は温室の水道から水を汲んできた。
「お水よ、これ飲んで毒を吐いて!」
レオン君にコップを渡したけど、苦しすぎて、まだ自力で飲めないようだ。
私はレオン君の口元に少し水を垂らして毒をすすぐと、次に自分の口に水を含んで、彼に口移しで水を飲ませた。
コップ2杯も飲ませると、彼はようやく体を起こして、毒入りのお茶を吐き出した。
毒を吐いたことと、超回復のおかげで、少し調子を取り戻したレオン君が、いきなり私を怒鳴った。
「何してるんだ、遥香さん!
君まで毒にやられるところだったんだぞ!」
「ちゃんと水で流したし、あとで自分の口もゆすいだわよ」
「まったくもう! 君に何かあったら僕は」
「リセットすればいいじゃない。そんなに怒らないでよ」
「そういう問題じゃないよ!
それこそ僕はほっといて、
回復出来ずに死んだらリセットすればいいだろ!」
マジギレしているレオン君を始めて見たわ。
ちょっと驚いた。
「いやよ! 目の前で相棒がのたうち回ってるのを、
黙って見てられないわよ!」
そこまで言うと、レオン君が急におとなしくなった。
「……ごめん。言い過ぎた。
助けてくれてありがとう、遥香さん……」
「いいのよ。それより、治ったのなら、犯人を追いかけましょう」
「うん、行こう」
私は、座り込んでいるレオン君に手を差し伸べると、彼をぐいっと引っ張り上げた。
レオン君は立ち上がりざまに私に抱き着いて、
「怖かった……」
と私の耳元で呟いた。
「がんばったね、よしよし」
私はレオン君の背中をナデナデしてあげた。だって頭に手が届かないから。
「がんばったよ、俺」
レオン君は、私を抱いた腕にぎゅっと力を入れた。
レオン君の仇、きっと私が討ってあげるから。
◇◇◇
死ぬほどの苦しみでメンタルにダメージを負った彼を慰める間もなく、私たちは殺人犯を追いかけた。
後で死体を片付けるつもりのようだから、きっと寮で夕食を取ってから戻る予定なのだろう。人を殺しておいて、よく食事が……いや、それはあくまで私の想像だけど。
でも、昨夜、寮の大食堂には若干数の職員や、その家族が散見されたので、犯人はあの中にいて、私たちを監視していたのかもしれない。
――まだまだ、私たちは油断が過ぎる!
◇
「いたわ」
例の教師が職員室から出てきた。
私たちは見つからないよう、急いで物陰に隠れた。
今ここで犯人に騒がれたくはない。
「捕まえる?」
「いえ、もうちょっと、ひと気のない場所でやりましょう」
「了解」
職員室に別の教師や職員がいたら、うまく誤魔化されてしまうかもしれないし、敵が増えたらもっと酷いことになるだろうから。
リセットボタンが脳裏をよぎるけど、レオン君にあんなつらい思いを何度もさせたくはないから、ここで奴を仕留める。
教師を追っていくと、誰もいない、一階の廊下を進んでいった。
このままエントランスに向かい、校舎を出るつもりだろう。
夕刻のため、ほとんどの生徒は下校しており、私とヤツの二人だけが、長い影を石床に落としていた。
私は、このタイミングを待っていた。
ヤツを挟み撃ちにするために、レオン君には、廊下の反対側で待機してもらっている。場合によっては、二人でフルボッコにする覚悟だ。
私は一人で背後から教師に呼びかけた。
重厚な石造りの校舎が、凛とした私の声を響かせる。
「ごきげんよう、先生」
教師は私の声にぎょっとすると、
「ご、ごきげんよう。何か私にご用かな?」
と、平静を装って作り笑いをした。
「お伺いしたいことがるのですが。
わたくしの婚約者、レオン殿下について」
「殿下が、どうかなされたのかな?」
「わたくし、殿下と放課後にお茶の約束をしていましたの。
ですが、どこにも見当たらないのです。
先生なら、殿下がどちらにいらっしゃるか、
ご存じかと思いまして」
「さあ、私は知らないが……」
涼しい顔でしらばっくれる犯人。
「先生が、放課後に殿下を温室に連れていかれたのを、
複数の生徒が目撃しています。
その後、殿下はどうされましたか」
「知らないものは知らない。さあ、帰りたまえ」
「殿下は温室の床の上で、
喉を掻きむしりながら、もだえ苦しんでいました。
近くには二つのカップと、王家の花の鉢が。
状況から見て、殿下は何者かに温室に誘い込まれ、
飲料物に毒を盛られたと推測されます。
――つまり、レオン殿下は毒殺された」
「そこをどきたまえ。私は忙しいんだ」
彼が一歩、後ずさろうとしたとき、私は彼の顔を指差しながら叫んだ。
「犯人は貴方よ!」
「何の話だ、気分が悪い。失礼させてもらう」
教師は、やや緊張した面持ちながら、臆せずに答えた。
(いい度胸してるわね! クソッタレ!)
「逃がさないで!」
ローブを翻して立ち去ろうとする教師の腕を、柱の影から現れたレオン君が掴んだ。
その拍子に、小さな薬瓶が、教師のローブのポケットから転げ落ちた。
しまった、と慌てる教師の腕をひねり上げ、拘束するレオン君。
「な! お、王子……どうして生きてるんだ!」
真っ青になる教師。
「まあ、普通なら死んじゃってますよね。
この瓶の中身、猛毒なんでしょう?」
金髪碧眼の美男子は、いたずらっぽく教師に尋ねた。
「この王国の第三王子である僕、レオンは、
令嬢ヴィクトリアの婚約者であり、
王位継承に関わるお家騒動の真っただ中にいて、
常日頃から暗殺の危機に見舞われていた。
……なんてひどい話ですよね。
こんな日常で、よく正気を保っていられたものだ」
と、設定の説明をするレオン君。
視聴者に優しいわね。
「レオン王子暗殺未遂の犯人は貴方でしょ」
私は再度、教師に問う。
「いや、ち、違う!」
教師はレオン君の手を振り払おうとするけど、ビクともしない。彼の腕は大人の男でも解けないほどの強さで掴まれている。
華奢な見た目とは裏腹に、レオン君の力は驚くほど強かった。こう見えて、彼は戦士系キャラだからね。
「そろそろ悪あがきはやめにしない?」
「ぐぅ……」
抵抗は無意味だと悟ったのか、教師はおとなしくなった。
レオン王子はニヤリと笑う。
「結構苦しみましたよ。死なない程度には」
「何故――あ、」
「何故でしょう。ふふふ」
なぞなぞを話す子どものように、レオン君が暗殺の実行犯に問いかける。
確かにあり得ない。
致死量の毒を飲ませた。ちゃんと飲み干すまで見届けた。
それなのに。
きっとそんなことを考えながら、教師は目の前の事象が理解できずに、混乱していた。
「これ、中身は毒よね?」
「ち、ちがう! ただのポーションだ!」
「そう……。
毒じゃないなら飲んでみて。
毒じゃないんでしょう?」
私は教師のローブから転げ落ちた小瓶を拾い上げ、彼の顔に近づけた。
二三度、中身の液体を振ってみせると、彼は短く悲鳴を上げて身をよじった。
「や、やめてくれ! 猛毒なんだぞ!」
「フン、やっぱり毒じゃないか」とレオン君。
「誰の命令なの?」
「それは……」
「黒幕を教えてくれないなら、貴方も飲んでみる?」
私は小瓶の蓋を取った。
「や、やめろ!」首を左右に振って抵抗する教師。
「本気で嫌がってるわね。ということは……すごい毒なのね」
私が小瓶に鼻を近づけて匂いを嗅ぐと、
「やめなよ、危ないだろ」とレオン君が止める。
「あんがい匂いしないのね」
「だから食品に混ぜやすいんだろうさ」
レオン君は、さっきまで猛烈な腹痛に襲われ、床を転げまわっていたことを思い出したのか、ひどく渋い顔になった。
神からのギフトがなければ、レオン君は回復出来ず、あのまま死んでいた。
――これは私だけが知るコトだけど。
「ちょっとだけ舐めてみませんか?
そうすれば僕の気持ちも少しは理解できると思うんだけど……」
「死ぬ! ちょっとでも死ぬ!
死ぬから無理! 無理無理無理!」
首を全力でブンブン振って抵抗する教師。
恐ろしさのあまり、半ベソをかいて鼻水をたらしている。
「先生、そろそろ白状してくれない? 私達忙しいんだけど」
「そうですよ。まだまだ僕らの敵はたくさんいるんだから……ね?」
とうとう観念したのか、教師は依頼者の名前を白状した。
◇
「なるほど……それは仲介者ですね。黒幕じゃあない」
落胆するレオン君。
「序盤の雑魚キャラが、そうそう大物と繋がってるなんてないわよ」
「それもそうだね、ヴィクトリア」
「あの……雇い主を教えたんだから、逃がしてくれないか?」
「「は?」」
ありえない!
私とレオン君は、思いっきり教師の足を踏んづけた。
静まり返った校内に、教師の絶叫が響く。
叫び声を聞きつけてやってきた警備兵に、レオン君が事情を説明して教師を引き渡した。王族の暗殺未遂など、ただで済むとは思えないが。
「まずは一人……」
「そう、だね」
黒幕からはほど遠いものの、最初の敵を葬ることに成功した私たち。
だけど、 自分たちの敵の多さと、勝利への道のりに気が遠くなったのは、レオン君もきっと同じだろう。
◇
「はあ~~~~~~~っ」
警備兵たちを見送ると、レオン君が床にどっとへたりこんだ。
犯人を引き渡して、疲れがいっぺんに出てきてしまったのだろう。
「おつかれさま、レオン君」
私も床に座り込み、彼に膝枕をして休ませた。
超回復の能力がどの程度のものなのか分からないけど、死ぬような苦しみを味わったのだから、きっとどこかにダメージが、そう精神とかに残ってるんじゃないかと。
「むふん~。遥香さんの膝枕……うれしい~」
「それは光栄です、レオン殿下」
見下ろすと、蒼い瞳が私を見つめる。
心なしか頬を染めているような?
ちょっと恥ずかしいのかしらね。
「ねえ遥香さん、二人の時は元の名前で呼んじゃだめなの?」
「ここ外でしょ」
「だってえ……なんか、ヤなんだ。ガワで呼び合うのって」
「ガワ、ねえ」
「ガワの名前で呼ばれても、自分のことじゃないって気がして」
「中と外の区別に、こだわりがあるのね、翔君」
「まあ、ね……」
あまり触れられたくない話題だったのか、レオン君はごろりと横向きになってしまった。ちょっとスネてるレオン君もかわいい。
夕方の少し赤い日差しの中、亜麻色の髪が白い頬にかかって、ああやっぱレオン君は美しいなあ、と見とれてしまった。スマホがあったら絶対写してるのに。
「それにしても……」
レオン君がボソリとつぶやく。
「ん?」
「敵の排除のためとはいえ、ホイホイついていくのもキツイものがあるな」
「ほんとにおつかれさま。いっぱい労ってあげるわね」
私はレオン君をいっぱいなでなでしてあげた。
「むふん~」
すっかりご機嫌が治ったレオン君だった。チョロいな。