「失礼しますわ~」
ノックの後、部屋に入ってきたのは中学生くらいの少女だった。
お茶やお菓子の載ったワゴンを、にこやかに押している。
えーっと……誰だっけ。
「セバスチャンはどうしたの」
「ドアの前におりますけれど、お姉さま」
あ、妹なのね。はいはい。なるほどなるほど。
「お兄さま、今日もお姉さまのお見舞にいらして下さってありがとうございます」
「ん、僕? ああ、ヴィクトリアも具合が良くなったみたいで嬉しいよ」
「殿下はまだお兄様ではなくてよ。えーっと……」
あー、名前わかんない、妹よ、自分を名前呼びしておくれ。
「いいじゃないですか、お姉さま。
レオン様はもうじきミーアのお兄さまになるのですから」
ミーアっていうのね。
ミーアはティーカップやお菓子を応接セットのテーブルに並べると、王子のお茶を注ぎはじめた。
それにしても、この妹。レオン王子を見る目がいやらしい。
どこがお兄さまなんだ。
その物欲しそうな目をやめろ。
気色悪い。
「どうぞ召し上がれ、お兄さま~♡」
「あ、ありがとう」
レオン王子がカップを手に取ると、すかさずミーアはレオン王子の背後に回り込んで、彼に耳打ちした。
「は!?」
何を言われたのか、ひどく驚くレオン王子を無視して、ミーアは彼の首に抱き着いた。
展開が急すぎて私も追いつけないんだけど。
とにかく、ちょっとこれはストップかけないとマズいのではないかしら???
「ミーア、殿下に失礼でしょう。おやめなさい!」
「あ、いらっしゃったんですね、お姉さま」
「早く私のお茶も注いでもらえないかしら、ミーア」
「はーい」
ミーアは、嫌々ポットを持って私の前にやってきた。
高級そうなポットね、とまじまじと眺めていたら、
「きゃあ!」
ミーアがポットのお茶を私に向かってブチ撒けた。
でも大事には至らなかったわ。
少しお茶が冷めていたのと、分厚いパニエやスカートのおかげで、肌まで貫通することがなかったから。
「あらあら、ごめんなさい、お姉さま。
早く着替えられた方がよろしくてよ」
「わざとやったでしょ! どういうつもり!」
(ずっと眠っていればよかったものを)
そう、私の耳元で囁いてミーアは部屋を出て行った。
「イヤな予感、なんだか当たったね」とレオン王子。
「そもそもヴィクトリアに妹なんていたっけ?
サブキャラの家族構成なんて覚えてないし……。
あ、そういえば、さっき何て囁いてたの?」
レオン王子は心底嫌そうな顔をして、
「彼女は僕に、
『ねえ、あんなドジ女やめて私と結婚しましょうよ』
って言ったんだ。背筋が寒くなったよ」
「うわあ……そんな設定あったんだー」
制作者はいったい何をしたかったんだ?
サブシナリオでも作る気だったのだろうか。
で発売日に間に合わず、仕込みだけして放置してたのか……。
「君の妹さんだけど、僕はあんな子ぜったいに御免だね」
「妹って、今日初めて会ったんだけど」
「そういえばそうだった」
「とにかく、一日も早く学園に戻らないと、
おちおち寝てもいられないわね」
「自宅が安心できない場所だなんてイヤですねえ」
「なに言ってるのよ。キミの方が危ないのよ?」
「あ、そうでした。まだ実感ないけど……」
「とりあえず着替えてくるわ。
そうしたら、お菓子食べながら作業の続きをしましょうか」
「そうですね」
私は別室へ、濡れたドレスを着替えに行った。
◇
セバスチャンに衣装部屋へと案内された私は、なんとも言えない気分になっていた。
なんというか……。
ゲーム制作者の、乙女ゲームへの解像度が低いと言いますか。
固定観念が強かったのか。
「黒い、わね」
衣装部屋に掛けられていたのは、大量の黒系ドレスだった。
私、魔女か何かですか。
ちょっとこれは……ないわね。
とはいえ、どのみち学園に戻れば、
ほとんどの時間を制服で過ごすのだから、
このドレスたちはタンスの肥やし。
後で気に入ったのに買い替えればいいだけのこと。
ちょっと引いたけど、問題はないわ。
だって我々の生命に関わるものじゃないから。
というわけで、またたく間にメイドに着替えさせられた私は、レオン王子の待つ自室に戻った。
「ただいま~」
「おかえり。時間かかったね」
「お嬢様、お茶を淹れなおして参ります」
「お茶が冷めるほど時間かかると思わなかったわ……。
たのむわね、セバスチャン」
トレーにティーカップとポットを乗せて、セバスチャンが部屋を出て行った。
冷めてても飲めるからちょっともったいないと思ったけど、せっかくのお菓子もあるし、と思って淹れなおしてもらうことにした。
貴族のご令嬢が、そんなセコいこと言ってたらいけないもんね。
「それにしても、自室に戻るまでけっこう歩いたわ。
衣装部屋、遠すぎ」
「そんなに遠かったんだ……」
「制作者、何も考えずに屋敷の設計したわね」
ぷんすこ。
神、見てるなら後で衣装部屋をどうにかして。
使うかどうかわかんないけど。
着替えも終わり、お茶も新しいのが届いたので、ひと息つくことに。
「さて、おやつにしましょ」
「はーい」
「レオンくん、あーん」
私は小さなタルトを彼の口元に近づけた。
「うはw ん? ……それって毒見?」
「うふふ。毒見の練習。
さすがに自宅で毒入ってるなんてことないと思うけど」
「ったく……しょうがないなあ……ん。
う、んぐぐぐ、うげええ!」バタリ。
なんとレオン王子が倒れてしまった。
「きゃああ、レオンくーん!」
◇
「ふう、初めてリセットしたわね」
「苦しかった……まあ、死ぬには至らなかったけど。
ただの腹痛だったんで」
「なんだ、死んでなかったのね。慌ててリセットしちゃったわ」
「死んでませんよ。さすがは死にづらい体ですね」
「というか、誰が毒を入れたのかしら……まさか妹?」
「でしょうけど、ただの下剤かなんかだろうから、
毒殺には至らなかったでしょう」
「いたずら、にしては悪質ね」
「僕の前で恥をかかせようとしたのかな」
はあ、と二人でため息をついた。
とりあえずセバスチャンに注意しとかなくちゃ。
執事さん、どんな顔するかな……。
「セバスチャン、ちょっと」
廊下の執事に声を掛けると、即座に部屋に入ってきた。
「御用でしょうか、お嬢様」
「このお菓子、味見してもらえるかしら」
「? かしこまりました」
私は小皿に乗せたタルトをセバスチャンに差し出した。
彼は一礼して小皿を私から受け取ると、タルトを一口かじった。
私とレオン王子は固唾をのんで見守った。
しばらくすると、セバスチャンが脂汗を垂らして悶絶しはじめた。
「お、おおおおおおお、お嬢様!?
こここここここここれは一体!!」
「ああ……やっぱり。ごめんなさいね、
どうやらミーアのいたずらなの。
すぐにお薬を飲んで休んでちょうだい……」
私はメイドを呼ぶと、セバスチャンの介抱と、新しいおやつの用意を命じた。
「ねえ、なんで執事さんに食べさせたの?
毒入りだって分かってたのに」
「かわいそうだけど、妹の悪意の証人になってもらうため」
「?」
「まあ、保険よ」
「保険、ですか……」
微妙に腑に落ちない顔のレオン王子だった。
その後、セバスチャンのリアクションが大ウケしたので、娯楽神から差し入れがあった。
「どうもー。差し入れでーす」
「あ、動画職人さん、お疲れ様です」
ドアから入るのが面倒なのか、唐突にワープアウトしてきた動画職人。
まあ神のすることなので、自由自在なのでしょう。
彼女は大きな紙袋を二つテーブルの上にどかっと置いた。
「なんですかコレ」
「
今後、食べるものにも困るだろうからと」
私はさっそく紙袋の中身をごそごそと漁った。
「ああ、助かります。
シリアルバーとかチョコとか日持ちしそうなものばかり」
「プロテインやマルチビタミンのタブレットもあるわよ。
大事な演者様だから健康でいてくれないと、ですって」
「シェイカーまでついてますね、ヴィクトリアさん」
「ご丁寧なことで。まあ、お礼言っておいてください」
「じゃ、私はこれで。ってパシリじゃないんだけどなあ……」
と、ボヤきながら、動画職人の神様はすっと消えていった。