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沼地を進んでいくうちに、リラはエイダに向き直った。
「少し休憩しようか」
リラの提案にエイダは頷く。
沼地は体力を消耗する。
足元だけの話ではなく、沼牙の奇襲を警戒して気を張りつづけなければいけないため、精神的な疲労が大きいのだ。
二人は手頃な木に寄りかかった。
沼地階層は全面が沼地というわけではなく、こうして樹木が点在している。
樹木の周辺は足元も大分マシであるため、休憩をするなら木を探すといいというのは探索者ギルドの職員の言だ。
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「そういえばエイダ、どうして探索者になったの?」
リラの声はゆっくりとしていて、どこか静かな森を思わせるようだった。
探索中だというのに呑気なものだ、とはエイダは思わない。
こういう時でもリラが周囲を警戒している事はこれまでの付き合いで分かっている。
エイダは少し考えた後、師であるバエルのためだと答えた。
「私が師匠に拾われた身なのは話しましたっけ?恩があるんですよね。ほら、私半端ものだから小さい頃は色々ありまして…」
エイダは自分の耳をぴんと弾いた。
彼女は混血だ。
リベルタは混血だろうが純血だろうがそんなこと知った事ではないという姿勢だが、地域が変われば慣習も変わる。
異種族との混血を蛇蝎のごとく忌み嫌い迫害するという地域も珍しくはない。
エイダはさらに詳しく語り始めた。
「師匠は昔、とある組織に所属していて魔術の研究をしていたんです。しかし政争に敗れて追放されてしまって」
「その頃の師匠は…、うーん、とても気難しい性格で、新しい仕事も見つけることができなかったんです。結果、僅かな持ち物だけで彷徨うことになって…。結局リベルタにたどり着いたんですが、もうほとんど野垂れ死に寸前でして。そんな彼を見つけたのがサイラスさんでして…」
エイダは話を一旦止め、微笑んだ。
「サイラスさんは師匠に探索者としての基本的なことを教えてくれたんですよ。師匠はそれから探索者として新たな生活を築いていったみたいです。でもほら、師匠って見ればわかると思うんですけど怨みは忘れないっていうか、しつこい性格してるんです。だから遺物を…というか、古代王国の謎を解き明かして昔自分を追放した人たちの鼻を明かしたいんじゃないでしょうか?」
リラはエイダの話を黙って聞いていた。
それからも話は続く。
どうやらエイダはバエルがまだ表舞台に居た頃に拾われたらしい。
閉鎖的な耳長族の村で、母子もろとも酷い迫害を受けていた所、バエルが訪れて彼女を引き取ったとの事だった。
エイダの母親は残念ながら死んでしまったそうだが。
「子供の頃の事はよく覚えていないんです。師匠は知っているそうですけど…でも思い出す必要はないっていって教えてくれないんですよ」
リラは何かを言おうとし、すぐに表情を引き締めた。
微かな地面の振動に気がついたのだ。この微細な振動は沼牙奇襲の兆候だが、歩行中ではこれに気付く事は難しい。
エイダもそれに気づいたようで、すぐに短杖を手に取り、詠唱を始めた。
それから何が起こったか、まるで瞬きのような時間だった。
同時にリラとエイダは後ろへと跳び退き、その瞬間、凄まじい勢いで沼から何かが現れた。
沼牙だ。
巨大な口を開き、二人を食いちぎろうと襲い掛かる。
しかし、その時には既にリラとエイダは無事に回避していた。
沼牙の攻撃は空振りに終わり、食いつきの反動で沼牙は一瞬目を回す。
エイダはその隙を逃さず短杖から氷の魔術を放った。
沼牙の四肢が氷に覆われ、凍りつく。
沼牙はすぐに意識を取り戻し、四肢を動かして沼へと戻ろうとした。しかし四肢は凍り固まり、身動きが取れない。
怒りに燃える沼牙は再び大口を開け、眼前の獲物を捕らえようとする。
その瞬間、剣を抜いて宙に跳び上がっていたリラが沼牙の脳天に降り立った。
剣が落下の勢いを利用して脳天を貫き、沼牙の動きはそこで止まる。
数年前は緑小鬼相手にすら苦戦していたリラだが、サイラスの薫陶、そして彼女の努力により良い意味で見る影もない。
仮に今の彼女があの時サイラスが葬り去った暴漢達の前にたったなら、サイラスほど手際よくとはいかないだろうが、問題なく葬る事が出来るであろう。
リラは剣が好きだ。
というより、サイラスの剣が好きだ。
きらきらとして、流星の様で。
サイラスの閃く剣の軌跡は今でも脳裏に残っている。
サイラスの教えの通りに剣を振れば振る程、リラが描く軌跡はサイラスのそれに重なっていく。
でも、とリラが血振りをした。
──まだまだ、あの時のサイラスの剣みたいに綺麗に振れないな。……あれ?
頬についた沼牙の血をぬぐい取りながら、沼牙の大口にキラリと光る何かを拾い上げる。
「さあ、帰ろうエイダ。依頼の牙をコイツの口から切り取って。あとメダリオンも牙に引っかかっていたよ。今日は私、夕飯をサイラスと食べる約束してるんだからあまり長居したくないんだよね」
リラの剣の軌跡のその輝きが、サイラスのそれよりまばゆく光る日はそこまで遠くなさそうだった。
(了)