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二年が経過した。
リラはこの二年間で大きく成長していた。
彼女の肉体は訓練と実践により引き締まり、肉体的な能力は飛躍的に向上していた。
それは探索者というよりは戦う者としての成長だ。
勿論探索者としても成長は著しいが、リラとしては戦う方が性に合っていた。
「リラ!ごめんなさい、待たせちゃいました?」
エイダがやや息を荒げて探索者ギルドへ駆け込んでくる。
リラとエイダはコンビとして組んでいる。
そして、彼女達は探索者仲間であると同時にプライベートでも深い関係にある。
「凄く待ったよ」
リラがすげなくいうが、これは事実だ。
彼女は物凄く待っている。
これは一時間や二時間という話ではない。
物凄く待っているのだ。
今日は二人で朝から探索に行く約束をしていたのに、もう昼過ぎである。
とはいえ、リラも本気になって怒る事はしない。
エイダが異常なまでに朝に弱い事は既に知っていたからだ。
「いや、聞いてください。今回は違うんですよ」
慌てた様子でエイダが言う。
リラは無言で先を促した。
リラが知る限り、エイダは言い訳というものを余りしない。
悪い時はすぱっと謝罪するタイプだ。
その彼女が今回は違う、などというのなら、それなりの事情があるのだろうとリラは考えた。
「師匠がそろそろ使い魔を持てって言って、だから私昨日はずーっと夜遅くまで動物図鑑を見てたんです。だから寝坊しちゃって……」
「バエルさんのせいってこと?じゃあバエルさんに文句言っておくね」
リラがぽつりというと、エイダは慌てて「やめてください」とリラの肩を掴んだ。
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昼過ぎの探索者ギルドは静かだ。
探索者の多くは朝一番で迷宮に向かう為である。
また、夜に探索に向かう者達もいる。
これは夜間にしか出現しない魔物や、"発生" しない素材もある為だ。
大きな木製のテーブルと長椅子が並ぶ広々とした空間。
通常は賑やかなこの場所も、今はぽつりぽつりとそこかしこに散らばった探索者たちが暇そうな表情で一息ついているだけだ。
彼らは今日の冒険を早々に終えてきたばかりか、あるいはこれから始める準備をしているのかもしれない。
壁沿いには掲示板があり、通常そこには数多くのクエストがぎっしりと掲示されているが、昼過ぎともなると流石に隙間が目立った。
「今日は沼地に行くんだったよね」
リラが傍らに立つエイダに尋ねると、エイダはうんうんと頷いた。
「ええ、"沼牙" の牙が何本か欲しいんです」
§
沼牙は沼地階層に生息する凶悪な魔物だ。
巨大な体を持ち、生半可な刃物などは通さない程に分厚い皮膚を持つ。
目は四つあり、反射神経も非常に良い。
沼牙の最も特徴的な部分は、その名前が示すようにその口に生え揃った鋭い牙だ。口全体が長く前方に突き出しており、口内には鋭い牙が立ち並ぶ。
しかし実際にその牙を凶悪な武器となさしめているのは、強力な咬合力である。一度噛みつくと獲物をバラバラにしてしまうまで決して離さず、噛みついたまま…恐ろしい事に回転をする。
無数の鋭利な牙で貫かれた獲物は獲物は噛みつきを外す事ができずに、そのまま沼牙に"捻り咬み殺される"のだ。
また、沼牙は常に泥の中に身を隠し、獲物が近づくのを待ち構えているため探索者にとっては常に危険な存在である。
ただ、この魔物には明確な弱点がある。
最初の食いつきさえ躱してしまえば、強力な咬合力でかみ合わされた反動で暫く動けなくなるという明確にして致命的な弱点が。
要するに咬み合わせた際の反動で脳を揺らされるのである。
この頭の悪さは格別で、激しくかみ合わされた反動で脳を損傷し、そのまま死んでしまう個体もいる程だった。
§
沼牙かぁ、とリラは考えこむ様に俯いた。
探索への厭気ではなく、手筈…段取りを考えているのだ。
沼牙を狩るにあたって問題となるのは、沼牙との交戦ではなく発見である。
かの魔物は常に沼地に潜伏している為、その捜索がやや面倒なのだ。
「すぐ見つかるといいんですけどねぇ」
エイダが掲示板を見上げながら呟く。
「そうだ、どうせなら沼地の依頼も受けていく?ほら、あそこ…」
エイダはリラが指さす方を目で追うと、一つ二つと頷いた。
「良さそうですね。見つからなくても特に罰則はないみたいですし。依頼主もダメ元という感じなんでしょうね」
そんなことを言いながらエイダは掲示板から依頼票を剥がし、受付に持っていく。
迷宮探索者ギルドが提供する依頼内容は多岐にわたり、魔物の討伐、迷宮の新たな階層の探索、特定の素材の収集など、一般的なものから特殊なものまで様々である。
リラとエイダが引き受けた依頼は、簡単に言えば忘れ物を見つけてくるというものだ。
とある探索者パーティが沼地を探索していた際、一人のメンバーが大切なメダリオンを落としてしまったらしい。
そしてそのメダリオンはその者の親の形見だという。
探索者パーティも勿論探したが見つからず…しかし依頼主にとってはかけがえのない思い出の品であるため、駄目で元々という感じで探索者ギルドに依頼が出されたのだ。
形見は大事だよね、とリラは腰に佩いた長剣を見ながら思う。
この剣はかつてサイラスの腰にあったが、今はリラの腰にある。
エイダはそんなリラの様子に気付いて、呆れた様子で「それは形見じゃなくてお古っていうんです。今、その剣をサイラスさんの形見扱いしたでしょう?顔を見ればわかりますよ」などと言った。
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沼地と名付けられたこの迷宮の地下四階層。
リラとエイダの眼前には名前の通り湿地帯を模したかのような景色が広がっていた。
足元は柔らかい泥地で、一歩踏み出すたびに泥が足元からはじけ飛び、不快な湿気と匂いが立ち込めている。
視界を遮るほどの高さに生い茂る藪、太く湾曲した樹の根、そして視線の先には、静かに揺らぐ池が続いている。
壁や天井といったものは存在せず、視界は開けているが、それゆえに視界を遮る物もなく、進むべき方向が一見すると分からない。
蒼く発光するキノコが点々と散在しているため、これを目印にして迷宮探索を進める探索者も多い。
なお、このキノコは食べる事もできる。
ただし、目と舌が真っ青に染まってしまうという弊害はあるが。
味は泥水のような味だという。
リラは注意深く周囲を観察した。
沼牙が潜んでいないかを警戒したのだ。
運が悪い探索者などは、この階層に足を踏み入れて5秒で足を食いちぎられたものなどもいる。
沼牙の鋭い牙からすれば、人間の足などは小枝も同然だ。
「…近くには、いないみたい」
ふんふんとエイダは頷き、先行するリラから目を離さないようにしていた。リラが安全だと判断した道を自分も歩く、そういう事だ。
探索者としてはエイダはリラより先輩だが、既に索敵などといった分野ではリラは遥か先を行っているとエイダは考えている。