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「何度か来た事はあるけどよ、この湿度がどうにもなぁ」
「暑いって?良かったじゃないか。まだ若い証拠だ。年を取ると暑さ寒さに鈍感になるらしいぞ」
サイラスがボヤくと、前を歩いているバエルが皮肉っぽく言った。
「そ、そうかな。ぼ、ぼくはこのなかでいちばん、とししただけど、さむいのは、やだし、あついのも、やだけど、ね」
吃音気味に言ったのはマロだ。
小柄な癒術師の少年である。
どう見ても未成年だが、探索者に年齢制限などというものは存在しない。実力があるなら何歳だって構わないのだ。
彼は何の変哲もない農家の子供だったが、ある日突然"地の底に眠る悪の目覚めに備え、叶うならばそれを防げ"と神託を受けたらしい。
真かどうか定かではないが、彼はその日以来癒しの力を扱えるようになり、更に危機に直面しそうになると、神託がおりて危機が迫っている事を教えてくれるらしい。
「あのさぁー。一々年齢の話するのやめてくれない?私が傷つくじゃん」
冗談めかしてはいるが、声色には仄かな怒気が籠っている。
パーティの紅一点、斥候のビエッタだ。
彼女も十分若いのだが年々年を取っていくという事が苦痛らしく、年齢の話になると不機嫌になる。
しかし年齢の事さえ言わなければ程ほどに緩く、付き合いやすい女性だった。
ゴロリは無言で周囲を警戒している。
大柄禿頭の中年男性で、厳めしい風貌をしているものの、その性格は温厚といっていい。
刹那的な生き方をしている探索者には珍しく持ち家があり、犬を一匹飼っている。
サイラスは酒が好きな中年で剣を佳く振るう。
バエルは顔が怖い。
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第六層は密林そのものだ。
猛獣のような魔物たちが闊歩する深緑の迷宮。
サイラスたち五人のパーティはそこを進んでいた。
迷宮にはこのように、外界の自然を模したような環境の階層が存在する。
斥候のビエッタ
重剣士のゴロリ
癒術師のマロ
魔術師のバエル
剣士のサイラス
ビエッタが先頭で、足音一つ鳴らさずに道を切り開く。
ゴロリ、マロ、バエルがその後ろを続き、サイラスが最後尾を守る。
ビエッタ、マロ、ゴロリの三人は元々同じパーティだが、そこにサイラスとバエルが加わった形だ。
探索者の間ではこういった臨時のパーティが組まれるという事は珍しくない。
ビエッタ達三人は危なげなく中層を探索できる程度には優れた探索者ではあるが、それでも不測の事態に備えて他の探索者を加える事もある。
勿論だれかれ構わず加えるわけではない。
万が一の事もあるからだ。
しかしサイラスとバエルはリベルタではそれなりに知られた探索者だし、面識もある。
人格面でも問題はない。
切っ掛けも些細な事だった。
サイラスとバエルが酒場で呑んでいて、たまには一緒に探索でもしてみるかという話になり、その会話がたまたま耳に入ったビエッタ達が"良ければどう?"と誘っただけである。
サイラス達の方でもビエッタ等と共に探索をする事に異論はなかった。
なにせ両パーティは、役割分担という意味で歯車がかみ合うように相性が良い。
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森の中から獣の鳴き声。
瞬間、側壁代わりの木立を突き破って黒い流星の様に一行の前に立ちふさがった。
獰猛という言葉を擬獣化すればこのような生物が生まれるだろう。獣の瞳に殺意が煙る。
この魔獣は"揺れ影" と呼ばれる大型の肉食魔獣で、素早くタフ、そして強い。
南方に生息する黄色と黒の縞模様が特徴的な肉食獣に似ているが、危険性において大きな差がある。
揺れ影がビエッタに向かって飛び掛かった。
「左だ!」
サイラスの声が響く。
ビエッタは即座に左に跳ね退いた。
後背から紅い光が揺れ影に向かって放たれる。
バエルの魔術だ。
方向性と収束性を伴った灼熱の閃光はしかし、揺れ影が僅かに頭部を傾げるとその顔の横を素通りしていった。
この魔獣は賢い。
ビエッタの回避動作から何か飛び道具が来る事を読んでいた。
しかしそこまでだった。
ゴロリの手斧が揺れ影の頭をかち割り、魔獣は一瞬全身の力が抜け、その瞬間にサイラスの斬撃が閃き…首が落ちた。
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「やるねぇ」
ビエッタが機嫌良さそうに言うと、手際よく揺れ影を解体していく。
この魔獣の牙と肝は良い金になるのだ。
彼女は元がつくが殺しを専門にしていたという過去があり、しかしある時、殺す人生の末路は殺される事だと気付き、リベルタへと逃げ込んできた。
前職の経験もあり、生物の解体はお手の物だ。
「もう2、3匹狩ったら帰還かな」
ビエッタの言葉に皆が頷く。
揺れ影との交戦の前に、既に何体か魔物を狩っている。各人の余力はまだまだあるが、荷物が嵩んで移動速度が落ちてきていた。
サイラスはこの階層を嫌がっていたが、それは環境的に肌に合わないというだけで、効率的な意味では忌避する理由はなかった。
勿論この先の階層ではより希少な素材が手に入る可能性があるが、第七層以降は深層と呼ばれ、その危険度は中層の比ではない。
荷物の多さも考えると、ここで引き返すというのは理に叶ってる。
「…ん?待って。こいつが飛び出してきた場所…何だか奥に道が続いてるような気がするんだけれど」
先程揺れ影が飛び出してきた木立を覗き込んで、ビエッタが呟いた。
この側壁代わりの木立は、分け入ろうとすれば出来なくはないが、それでも木々の密度が一般的なそれとは大きく異なる。
さらには毒虫、毒蛇の類が多く巣食っている為、むやみに分け入ろうとすれば場合によっては命を落とす危険もある。
だが。
「…そうだな、これは…」
サイラスは思案するが、答えは既に出ていた。
「か、かくし、つうろってことかな。もう、ぜんぶたんさくされつくした、ばしょだとおもってたけれど」
マロがサイラスの思案を言語化し、一同は顔を見合わせる。
「様子だけ。どうかな?危ないと思えばすぐに退く。少なくとも私の勘はこの先に何かあるって言ってるよ。マロ、どう?アンタの神様は何か言っている?」
ビエッタの問いにマロは首を横に振る。
マロに命の危機が迫る時、彼には神託が下りる。
この反則ともいえる危機感知能力が彼を中層探索者に成り上がらせたといっても過言ではなかった。
「なら、決まりだね」
ビエッタが言い、それが最終決定となった。