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第10話【リラの成長】

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 迷宮都市リベルタの都市設計の根幹には、迷宮探索者たちの利便性と慰安が強く反映されており、彼等の存在を中心に都市が形成されている。


 探索者たちの営みが都市の息吹であり、その存在がリベルタの血流とも言えるのだ。


 武器や防具を提供する鍛冶屋、糧食や水を準備する食料品店、探索には必需品の各種探索用具を販売する雑貨屋などが主要な道路沿いに並んでいる。


 特に豊富なのは宿屋と酒場で、探索者達は宿屋で疲弊した精神を休め、また、酒場で情報を交換し、或いは仲間を集めたりする。


 多くの探索者達は宿屋にせよ酒場にせよ行きつけの店というものがあり、それはサイラスとて例外ではなかった。


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 そこには様々な服装の人々が雑然と集まっていた。


 ある者は全身鎧、ある者は半裸、ある者は黒一色の陰気なローブ姿……沈痛な表情で独り酒を呑む者もいれば、仲間達を猥談に耽りながら情報交換をする者達もいる。


 生まれも育ちも思想も服装も雑然とした彼等だが、共通点が一つあった。


 それはここにいる者達全員が探索者だという事だ。


 突如、酒場の一角で怒声が響く。


 言うまでもない。


 喧嘩だ。


 探索者同士が酔った勢いで酒場で喧嘩というのは珍しい事ではないが、この夜は少しだけ違った。


 周囲の探索者達は皆一様に向かい合う二人の探索者に好奇の視線を向けている。


 机が退けられ、店の中心で向かい合う探索者二人。


 一方はロドと言う斧使いだ。


 迷宮探索者ロドは如何にも力自慢といった出で立ちだ。


 上背は平均的だが、手足は太く、胸板は厚い。


 顔立ちは粗野で、探索者というよりは蛮族と言った風情だ。


 大雑把な性格の持ち主で何事にも力で解決しようとする彼は、平時はそこまででもないのだが、酒が入ると喧嘩っ早くなる。


 本質的には悪人ではないものの、彼の酒癖の悪さは彼に多くの不利益を齎してきた。


 しかしロドは酒をやめようとはしない……というよりも、酒をやめる気がなかった。周囲の者達もロドに酒を断つように忠告したりはしない。


 それは彼もまた失ってはならない者を失ってしまった経験のある喪失者であるという事を、皆が知っていたからである。


 ロドはしたたかに酔い、酒気をまき散らしながら目の前に立つ小柄な探索者を睨みつけた。


「おい、糞アマ。お前今何て言った?」


 その威圧は自身の命を掛け金としている職業探索者として見ればお粗末に過ぎるが、素行の悪い一般人としてみるならば過剰なものだった。


 しかしロドの眼前に立つ探索者……リラは些かも動じる事なく言い返す。


「顔だけじゃなくて耳も悪いのかな。もう一度言ってあげる。私はサイラスの弟子。そして、弟子の役目は師匠を侮辱する間抜けを痛めつける事。あなたは間抜け。だから痛めつけてあげる。そう言ったの」


 人差し指を軽く曲げて"かかってこい"と挑発するリラの姿からは、一種の貫禄のようなものが漂っている。


 サイラスがリラを拾ってから2年が経っていた。


 年の頃は17。


 いまだ少女である彼女だが、サイラスの薫陶著しく、いまでは彼女を子供だと見下す者は余り居ない。


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「おいおい、サイラス……。君の教育方針にケチをつけるわけじゃあないが、もう少し何とかならなかったのかね? あれじゃあチンピラじゃないか……」


 サイラスの知人であるバエルがカウンターに寄りかかりながら呆れたように言う。


 彼はグラスになみなみと注がれている琥珀色の液体を呑み下し、店員を呼ぶともう一杯注がせた。


 バエルはサイラスと同年代の男性であり、野心的な魔術師として知られている。


 魔術の知識と才能に恵まれているが、どこか危険な雰囲気を漂わせた怪人である。


 彼についてはこんな噂がある。


 過去にはある国の宮廷魔術師として活躍していたが、禁じられた魔術の研究に没頭し、国によって追放されたというもの。


 その禁じられた魔術が何であったかは明確にはわかっていないが、その過去の経緯から彼は多くの秘密を抱えていることがうかがえる。


 バエルが迷宮を探索する理由は、とある秘宝を求めていると言われているが真実は定かではない。


 顔立ちからは獰猛さや悪意を含んでいるかの様な印象を与え、一言で言えば悪人面であったが、彼と交流がある者はバエルが決して悪の人ではない事を知っている。


 勿論、善とも言えない事も同時に、だが。


「ケチつけてるだろ。まあ少し口が悪いのは認めるけどよ……」


 苦笑しながら言うサイラスの表情には、かつて存在していた空虚さは存在しない……とまでは言わないが、その濃度は明らかに薄まっている。


「聞こえていますよ、バエルおじさん!!」


 リラの鋭い声にバエルは肩を竦めた。


 迷宮には魔術を行使する魔物も現れるし、罠にも魔術の知識がなければ突破が難しいものもある。


 サイラスは魔術については門外漢であるため、腐れ縁の知人、バエルに魔術についての基礎的な知識の講義を頼み込んだのだ。


 当初、リラはサイラス以外の者から何かを教わるという事に抵抗を感じていたが、サイラスにも出来ない事があるという事実は、彼女の自立心にある種の刺激を与えた。


 リラはサイラスから与えられるだけではなく、サイラスに何かを与える事ができればと奮い立ち、バエルにも師事をすることに決めたのだ。


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 リラの挑発に激昂したロドは歯を剥き出しにし、言語未満の雄たけびのようなものをあげてリラに殴りかかった。


 ロドの拳がリラの頬を捉えようかという瞬間、彼女の左踵が強く床を打ちつける。


 その反動はリラを後方へ短く移動させ、そうして稼いだ距離がただでさえ隙だらけのロドの一撃の品質を更に低下させる。


 リラは伸びきったロドの手首をつかみ、逆に捻る。


 それはまるで蛇が獲物を絞めつけるような、滑らかで有機的な動きだった。


 手首の関節が極まり、ロドの痛みに満ちた声が酒場に響く。


 リラはそのままスルスルとロドの懐へもぐりこみ、襟首を掴むと床から引っこ抜くように彼を背負い、投げ飛ばした。


 ロドの重たい身体が酒場の床に打ちつけられ、その衝撃が周囲に広がる。


「うわ。リラの奴、極めたまま投げやがった。折れてないだろうな」


「いいじゃないか。折れた方が。治った時に骨が更に強くなる。あの男のオツムはもう鍛えようがないのだから、せめて骨だけでも鍛えないとな」


 バエルは悪人面だが、口も悪い。


 ■


 ロドは完全に失神していた。


 幸いにも手首の骨折は免れたようだ。


 頭から落とさなかったのは彼女なりの情けだったのだろうが、それでも一撃で失神させる程度の力が込められているあたり、リラもそれなりに怒っていたらしい。


 そもそもなぜこんな事になったのかといえば、ロドが酔った勢いでサイラスに絡んだからだ。


 ──酒に狂うだけならまだしも、女にも狂ったかおっさん


 ──まだ餓鬼だろうに、毎晩ナニをさせているんだ? 


 ロドの酒癖の悪さを知るサイラスは、あんまり悪乗りするようなら一発引っぱたいて目を醒まさせてやろう程度に考えていたが、リラはそうはいかなかった。


 平時は静かで、サイラスの後ろをついて歩く大人しい少女が瞬時に烈しい気性の女探索者へと変貌し、チンピラ顔負けの口の悪さでロドに喧嘩を吹っ掛けたのだ。


「サイラス、どうだった?」


「まあ……頭から落とさなかった事は褒めてやる」


 サイラスはそういうと、リラの頭をくしゃくしゃと撫でまわした。


 しっかりとぶちのめせて偉いぞ、と褒めるのは何か違う気がする。

 かといって、俺の為に怒ってくれてありがとう、というのも照れくさい。


 それに探索者たるもの、舐められたら拳で返答するというのは別に間違ってはいないのだ。


 リラは猫のように目を細め、黙ってサイラスの掌を受け止めていた。


 サイラスの発言の外にある感情を察し得ぬほどリラの感性は鈍くはない。


 だがそこで横やりが入った。


 バエルだ。


「若者の成長は著しいものだな、ところで若者と言えば一つ思い出した事がある」


 思い出した事? とサイラスが先を促すと、バエルは少しかしこまった様子で続けた。


「まあ……そうだな、サイラスの弟子がリラである様に、私にも弟子がいるんだ。エイダというのだがね。彼女には一つ、ちょっとした事を頼んでいたんだが、先日手紙が届いてね。用事が済んだからこちらへ戻ってくるらしい。帰ってきたら君たちに紹介したいと思うんだが、その時はよろしく頼むよ。業は鋭いが、まだまだ甘い所もある。私も常に彼女を見ていられるわけではないからな。年は確か18だったかな。リラとも近いし、仲良くしてやってくれたまえ」


 ああなるほど、とサイラスは思った。


 バエルがリラに魔術の基本的な知識を授ける事に同意をしたのは、これもあっての事かと納得がいったからだ。


「構わんよ」


「分かりました」


 サイラスもリラも異論はない。


「所でバエル、弟子なんてのが居たんだなぁ。お前のおっかないツラを見て逃げ出さないとは肝の据わった弟子じゃないか」


 サイラスが揶揄すると、バエルは鼻で笑う。


 そこには僅かな自嘲の気配があった。


「肝が据わっている? それどころではない。私などは二回りも三回りも年少の小娘の才を恐れる日々だよ。私が彼女を弟子としたのは、その才を伸ばしてやるためではない。その才を抑えつけてやるためなのさ」


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