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第6話【 "見えず" のサイラス 】

 ■


 なるほど、とサイラスは思う。


 玄室の扉を開ける前感じた厭な予感はこのことだったのか、と。


 それは命の危険ではなく、厄介事を知らせる虫の囁きだったのだ、と。


 最初の見立て通り、男たちは初心者狩りで間違いないだろう。


 だがリラと名乗る少女もそうなのか? 


 サイラスの見立てでは、リラは狩るというよりも狩られる側である。


 サイラスが事情をきくと、リラは落ち着き払った様子で口を開いた。


「私は……」


 ・

 ・

 ・


 リラは迷宮都市リベルタから馬車で4、5日の場所にある農村の生まれである。


 村は貧しく、村人は常に飢えている。


 ある年、冬を間近に控えたとある月、リラの家はついに冬の備蓄分にまで手を付けるほどに追い詰められてしまった。


 他の家に恵んでもらうわけにもいかない。


 なぜなら他の家とて同じ様に飢えているのだから。


 狩猟もこの季節では獲物がろくにみつからないだろう。


 なぜこれほどまでに貧しいのかと言えば、それはここ数年続いている飢饉のせいである。


 つまり貧しいのはリラの村だけではなく、周辺地域の農村のほとんどが貧しいのだ。


 こういう事態に陥った時、取れる手段は限られている。


 だがそれはどれもが痛みを伴う手段であった。


 しかし背に腹は代えられない。


 リラの両親はとある決断をしなければいけなかったが、それは彼らにとって苦痛そのものでしかなかった。


 だがその苦痛も長くは続かない。


 リラが自分から言い出したからだ。


「お父さん、お母さん、私ゴンズさんの所へ行くよ」


 ゴンズとは人買いの商人である。


 定期的にこの村へ来てはそれなりの額の金で子供を引き取る。


 子供というのは様々な需要があり、ゴンズはその需要に応じて高値で子供を売り捌いていた。


 そう聞くとゴンズという男は如何にも悪党に聞こえるが、ゴンズはまごう事無き悪党であることには間違いない。


 ただし、彼は大分マシな部類の悪党だ。


 例えば子供を生きたまま調理して、嬲り陵虐しつつ人肉食を愉しむ貴族というのもおり、そういった貴族は子供を非常な高額で買い取るが、ゴンズはそういった者とは取引をしない。


 例えば人手が足りない商家の丁稚や、子供が出来なかった夫婦の養子といった者達と好んで取引をする。


 それは彼の内なる良心がどうこうという話ではなく、一言でいえば保身のためである。


 人買いは金をもっている、そして鬼畜に子供を売り捌いて利益を出している悪党ならば殺しても調査の手は手ぬるいだろう、いっそぶち殺して金を奪ってしまえ……そういう事を考える者がどれほどいるのか、という話だ。


 そんな風に賞金首扱いされやすい立場に身を置くのは好ましくないとゴンズは考えた。


 だから現在のスタイルをとり、それは好評を博し、ゴンズは何とも奇妙な話だが、“良い人買い商人”というような評価まで得ている。


 その辺りの事情はリラの家も知っているのだが、それでも人買いに買われた子供の不幸な末路などは探せば山ほどあるため、恐ろしい事には変わりない。


 リラの両親も本心では人買いなどに娘を売りたくはないが、そうでもしないと自分達はおろか、リラの幼い弟と妹までもが飢えで死ぬ。


 そういう判断もあいまっての事であった。


 §


 で、とサイラスはうんざりした様子でリラに言った。


「お嬢ちゃん……リラはそのゴンズって人買いに買われて馬車で運ばれている最中、野盗……つまりこいつらに襲われておっさんは殺され、お嬢ちゃんはさらわれたって所かい?」


 リラが驚いた様子でサイラスを見る。


 話してもいない事をなぜ知っているのかと。


「あいつらが人買いからモノを買えるほど金に余裕あるならこんなことはしてないし、お嬢ちゃんがちゃんとした奴に買われたっていうならこんな所にいるのはおかしい。だがあいつらとお嬢ちゃんがグルだっていうなら色々と説明はつかぁな」


「……はい。それで、暫くは……色々させられて、それで、この辺では稼げなくなったから迷宮都市に行く、と。迷宮都市には何も知らない探索者が沢山いるからって……死体もすぐに迷宮に呑まれて殺しがバレる事もないって……」


 なるほど、元野盗かとサイラスは改めて得心する。


 五人の暴漢は、すくなくとも新米探索者では到底太刀打ちできない程度の業をもっていたからだ。


 野盗というと雑魚の代名詞に思えるが、これは認識が誤っている。


 商隊やら行商人やら、時には貴族の馬車でさえ襲う彼らは、相応の戦闘能力と連携能力を持っており、少なくとも街のチンピラとは比較にもならないからだ。


 新人は大して金を持ってはいないだろうが、数がいれば話は別だろう。


 それにこの都市では新人が迷宮に呑まれる事なんて日常茶飯事だった。


 新人は無知で未熟だ。


 ギルドでいくら警告を受けようと、その身に危機が差し迫らない限りは本当の意味で警告の意味を理解できない。


 喰い詰めた野盗が迷宮都市で新人を狩るというのは、一定の理があった。


 だが、とサイラスはいぶかし気にリラを見る。


 その視線には警戒が色濃く含まれていた。


 サイラスは、リラが少女であることは警戒を解く理由にはならないと考えているのだ。


「なぜ俺を見て笑ってたんだい? 俺はお嬢ちゃんの仲間を殺したんだぜ……ってああ……そうか……」


 そこまで言ってサイラスは気まずそうに頭を掻いた。


 少女にとって暴漢達は味方でもなんでもない事に今更ながら気付いたからだ。


「はい。あの人たち……あいつらは色々な事を私にしました。男性がしたがるような色々な事を。それだけじゃありません。私は人を殺しました。何人も、何人も殺しました。若い人たちを罠に嵌めました。命令されたからとか、脅されていたからとかは関係ありません。私とあいつらは何も変わらないんです」


 リラと名乗った少女は涙をぽろぽろと流しながら、それでも笑みを崩さなかった。


 男を誘う様な笑みは暴漢達から仕込まれたものだ。


 彼女の若い肉体は暴漢を、色々な客を大いに愉しませた。


 端的にいって、彼女は壊れかけていた。


 そうかい、とサイラスは気だるそうに返事をしてリラに背を向けて玄室を出ていこうとした。


 その背にリラの声が掛けられる。


「私も連れていって貰えませんか?」


「嫌だね。俺は仕事があるんだ」


「私に一人で生きていく術を教えてほしいんです。もう村には帰れません。……いいえ、帰りたくないんです。私は以前の私とは違う私になってしまったので」


 サイラスの返事を聞きもせず、リラは淡々と続けた。


 マイペースなガキだなと思いつつ、サイラスは相手にせずに玄室を出ていった。


 ■


 背後から足音。


 しかしサイラスは警戒しようとはしなかった。


 足跡の主が誰だか分っていたからだ。


 前方からは何かが羽ばたく音。


 蝙蝠だ。


 迷宮に巣食う蝙蝠は野生の蝙蝠よりも二回り大きく、体長は約60センチメートルに達する。


 その翼は広げると約1.5メートルにもなり、暗闇の中で優雅に舞いながら獲物を狩る。


 大きな耳と鋭敏な聴覚を持っていて、微かな音にもすぐに反応する。


 普段は天井の隙間や壁の陰に隠れて休んでいることが多いが、探索者の気配を感じるとたちまち獰猛な狩人へと変貌し、襲い掛かってくる。


 ただ、所詮は蝙蝠であって、こんなものはサイラスの敵ではない。


 野生のそれより遥かに強い凶暴性を見せる蝙蝠が数匹、サイラスに襲い掛かるも瞬間で骸となる。


 背後でそれを見ていたリラは瞠目した。


 サイラスが剣の柄に手をかけたと思えば、次の瞬間に蝙蝠は真っ二つにされ、剣を見ればそれは納められている。


 "酔いどれ騎士"サイラスはかつて騎士団長であった時、"見えず"のサイラスとして畏れられていた。


 目にもとまらぬ抜剣ではなく、目にも映らぬ抜剣が彼の持ち味だった。


 今となってはその業もすっかり錆びついてしまったが、宙空を自在に飛翔する蝙蝠を数匹、一瞬で真っ二つにするくらいなら容易い事だった。


 §


 ──凄い


 サイラスの業を見た感想だった。


 銀色の流星がいくつも流れたかとおもうと、大きくて不気味な蝙蝠達があっというまに地面に落ちたのだ。


 自身の語彙力の少なさに呆れるが、とにかくそれは凄かった。


 以前満天の空に流れ星がいくつも流れた夜があり、幼いリラはその様子をはしゃいで見ていたが、その時の気持ちが思い出されるかのようだった。


 これだけ凄い事ができるなら、きっと人生なんて思いのままだろう……そんな憧憬にも似た思いが胸からこみあげてくる。


 同時に憎しみも。


 理不尽なことだとは自分でも分かっている。


 だが、なぜもっと早く私の前に現れてくれなかったのだと心の奥底のドス黒い自分がけたたましく吠えていた。


「そうさ、俺は凄い」


 背を向けたままのサイラスが言。


「こんな雑魚じゃなく、もっとでかい魔物だって俺の敵じゃない。竜でも首を叩ッきってやらァな」


 でもよ、とサイラスは続けた。


「妻と娘がいた。今はもういない。何処にもいないんだ。凄い俺だってこんなザマさ。人生ってのはそんなモンなのさ。だからお嬢ちゃん、お前も割り切って生きろや」


 リラはその声から僅かな水分もない乾いた荒れ地を想像した。


 その声は疲れた男の声だった。


 人生に、生きる事に疲れた男の声であった。

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