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サイラスはとある玄室の入口の前に立っていた。
その表情は無機質で、感情らしきものが浮かんでいる様子はない。
だが彼は一向に玄室の扉を開けようとはしない。
身もふたもない言い方をしてしまえば、勘が玄室を開く事を拒んでいたのだ。
それはいい、とサイラスは思う。
だが、第一層で"それ"が働くというのが問題なのだ。
サイラスは本来、第一層にいるべき探索者ではない。
第一層というのは言ってしまえば新米の訓練場のようなものだ。
それなのに危機感がこれほどまでに警鐘を鳴らすというのは異常な事態であった。
そもそもこの玄室には危険はないはずである。
魔物が入れない安全地帯なのだから。
安全地帯とは名前の通りだ。
各階層に存在する魔物を拒絶する空間である。
それは広間の一角であったり、一層のように玄室であったり、その辺りは階層ごとに異なっているが、いずれも共通するのはその空間には魔物が入ってこれない上に、罠なども存在しないという事である。
「さて、何が待っているのやら」
サイラスは薄ら笑いを浮かべながら玄室の扉を押した。
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果たして玄室には何が待っていたのか。
何がしかの影響で突然変異した悍ましい魔物か
邪神を崇め奉る邪神教徒が悍ましい儀式でもやっていたのか
迷宮の機嫌が斜めなのか、もしくは他の理由かで玄室に致死の罠が設置されてしまったのか
そのいずれでもなかった。
玄室にいたのは、いや、正確に言えば玄室で倒れていたのは一人の傷だらけの少女である。
サイラスは素早く少女の肢体に視線を走らせ、その肉体に刻まれた傷が本物であることを見てとった。
しかしなぜ一人きりで放置されているのだろうか?
ここに怪我人がいるというのは分かる。
魔物が入り込めない空間に怪我人を安置するというのは理が適っている。
だが、少女の筋肉の付き方や衣服などを見るに、新米冒険者程度の業前であることが見て取れた。
──第一層を怪我を負いながらも探索するほどの未熟者が、果たして足手まといを見捨てるだけの非情さを持つ事が出来るだろうか?
サイラスは疑念の目で少女を見つめていた。
衣服は探索者向けの頑丈だが安物の服であり、新米の斥候がよく身に着けているものだった。
少女は意識がないようだ。頬に青い痣がついている。
酷く殴られたようだった。
年の頃は15、6といった所だろうか。
素朴な顔立ち、貧相な体つきだ。
(貧農の出か、孤児か。探索者に憧れて迷宮都市に来たクチかもな)
だが、とサイラスは目を細める。
──殴られた?
──迷宮で?
ふん、とサイラスは鼻で笑った。
迷宮という場所では殴られる事は余りない。
鋭い牙で嚙み千切られたり、鋭い爪で引っ掻かれたり、頭を叩き潰される事はよくある。
しかし、未熟な小娘が殴られてそれでも生きているという例は余りない。
サイラスは少女の方へ歩みより、そして暫く少女を見下ろした後、ゆっくり後ろを振り返った。
そこには嫌な笑いを浮かべた体格の良い数人の薄汚い男たちが立っていた。
既に武器を構えてこちらへ突っ込もうとしている所を見ると、サイラスが少女に気を取られている間に背後から襲い掛かろうとしているらしい。