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第3話【ケチな依頼】

 ■


 以来、サイラスは無気力かつ怠惰に酒を飲んで暮らしていた。


 探索者業は続けている。


 彼は家族の後を追って死のうかとも考えたが、仮に死後の世界があるとして、それはただの一つだけなのか? という疑問があったからだ。


 自殺者は地獄へ堕ちるという話もあり、念には念をという事で仕方なく生きているのが今の彼である。


 だがただ生きるというのは苦痛だ。


 寝ても覚めても、想うのは今は亡き妻と娘であった。


 だから彼には酒が必要だった。


 酒を浴びるほど呑むには金が必要で、金を稼ぐなら探索が一番だった。


 無気力に堕し業前もさび付いたとはいえ、迷宮浅層を探索する分には何の問題もない。


 その日もサイラスはふらりと酒場に入っていった。


 ぐるりと見渡す。


「いねえか」


 ボヤくサイラスに、顔なじみの迷宮探索者が近寄ってきた。


 バエルという男で、如何にも悪い顔をしているし、実際悪い男なのだが業前は確かだ。


 サイラスより幾つか年下だが、傲岸不遜な男であり、年上を敬うという事を知らない。


 強力な遺物を探し求めてこの迷宮都市へやってきた野心的な魔術師である。


 サイラスはここ数日、先日知り合った若者一党と良く酒を飲んでいた。酒は確かに過去を一時忘れさせてくれるが、一人きりで飲む酒というのは精神が陰に傾きすぎる。


 しかし、誰かとどうしようもないくだらない話をしながら飲めばそこまで気鬱にはならない。


 若者たちにとってもサイラスは出会い方こそは最悪だったが、以降は会えば酒を奢ってくれるし、ちょっとした探索の助言もくれるというのでここ最近は嫌々ではなく進んでサイラスと酒の席を共にしていた。


 バエルは人を不快にさせる厭な笑みを浮かべ、どうにも陰気な事を告げる。


「奴等なら死んだぞ……多分な。新米で未帰還3日目だ。まず死んだと思っていいだろう」


 サイラスはチッと舌打ちしてカウンターへと向かった。


 隣にはバエルが座る。


「君は面倒見が良いからな。あの若者達を見て自分の子供でも思い出したか? 生きていれば彼らくらいの……っと、すまないな、失言だった」


 サイラスの硝子玉の様な眼がじっとバエルを見つめていた。


 バエルは悪びれもせずにニヤリと笑い、それでも表面的にせよ詫びを入れる。


 サイラスは暫くバエルを見つめると、やがて興味を失ったかのように視線を逸らし、琥珀色の液体をぐいと飲み乾した。


 二杯、三杯と空けていくと、サイラスの視界はどろりと歪む。


 そんな風にして彼の精神に僅かにこびりついていたやるせなさを、酒精が洗い流していった。


 ■


 サイラスはこの日、新米探索者の遺品の回収という依頼を受けていた。


 長剣を片手に迷宮第一層を彷徨い歩き、遺品を求めてあちらこちらの玄室を調べていた。


 遺品回収という依頼は頻繁に出されるが、しかし受ける者はそこまでいない。


 費やす労力に比して旨味がなさすぎるのだ。


 探索者ギルドに依頼を出す場合、依頼主はその内容に応じて報酬を定めなければならないが、これは無軌道にいくらでも値をつけていいわけではない。


 依頼の内容に応じて下限と上限が決まっており、この規則は厳守されねばならない。


 そして遺品回収というのは戦闘行為を求められるわけでもなく、採取困難な希少素材を求められるわけでもないため上限が非常に低い。


 当然階層次第で上限は上がるのだが、それを加味してもやはり旨味がある依頼とは言えない。


 だがサイラスはこの遺品回収というのを好んで受けていた。


 それは、死者を生者が悼むという事に対してサイラスに何か思う所があるからだろう、とサイラスの陰気な顔見知りなどは言う。


 ・

 ・

 ・


 第一層は主に通路と玄室で構成されている。


 左右には石壁、そして石畳の通路が階層全体に張り巡らされているが、迷路というわけではない。


 どちらかといえば規則正しく区画整理されている路地……といった方が正しいだろう。


 玄室とはいわゆる小部屋の事だ。


 中には何もないか、もしくは魔物がいる。


 魔物はお宝を隠し持っており、斃せばなにがしかを得られるだろう。


 といっても第一層の魔物がもっている宝などは小さい屑宝石がせいぜいだろうが。


 たまには当たりもあるが、その当たりを引く確率と、むこう一週間で自身が魔物に殺される確率とならば後者のほうが高いだろう。


 サイラスは曲がり角の手前で立ち止まり、剣を握る手の力を緩めた。


 そして何気ない様子で歩を進め、数瞬分の一程の迅さで宙空に銀閃を描く。


 サイラスの足元に醜く歪んだ人に似た何かの頭が転がる。


 緑小鬼が曲がり角に潜んでいたのだ。そして飛び出した瞬間に首と胴が離れ離れとなった。


 緑小鬼は、迷宮の第一階層に出現する小さな魔物だ。


 身長は約100cm、体格は小柄だが筋肉質で、緑色のデコボコした皮膚で覆われている。


 獰猛さをうかがわせる赤い目と小さな鋭い牙からは、新米探索者のような危機感に乏しいものであっても確かな悪意と害意を感じるだろう。


 彼らは迷宮の魔物のヒエラルキーは最下位に位置するほど下等な魔物であるが、それでも準備のない冒険者や不注意な冒険者にとっては大きな脅威となることがある。


 小柄で機敏なため、迷宮内を素早く忍び足で移動し、その存在に気づかない冒険者を待ち伏せることもしばしばある。


 “緑小鬼”の主な攻撃手段は、鋭い歯と鉤爪で相手に噛みつき、引っ掻くことである。


 これらの攻撃は単独では致命傷にはならないが、緑小鬼は傷口を執拗に狙うため、小さい傷が思わぬ重傷へと変わってしまい、死に至ることもある。


 ただし、脅威の程度は狂暴な犬程度だ。


 それなりに場数を踏んだ者からすれば彼らの稚拙な突撃などは威勢の良い自殺志願でしかない。


 不意打ちをする程度の知能があるとはいえ、相手の立場になって策をめぐらせる程の知能はない。


 例えば不意打ちを相手が既に想定しているかも、とは夢にも思わないのだ。


 サイラスは腰を屈めて緑小鬼の頭を拾い上げる。


 獰猛な敵意に歪んだままのそれには、瞳の輝きさえ度外視すればまだまだ生の活力が残っているかのようだった。


「おいおい、死んだ後も表情が変わらねえのな。そんなに俺を食い殺したいのかい? 死ぬ時も前のめりか……良いねえ。俺よりよっぽど上等に見えるぜ」


 サイラスはゲラゲラと笑いながら、緑小鬼の首を迷宮の暗がりへと蹴り飛ばす。

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