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それから数日後。
迷宮探索者サイラスはいつもの様に探索を終え、報酬を受け取り、酒場へとくり出した。
探索の後は酒場、これがサイラスのルーチンである。
自身の身体をいたわるような真似はしない。
浴びるように酒を呑み、翌日は迷宮に向かい酒代を稼ぐ。
もっと自分を大切にしろ、と彼に忠告する者もいたが、サイラスはへらへらと薄笑いを浮かべてその忠告を聞き流していた。
なぜなら、サイラスが本当に大切にしたかったものはこの世のどこにもないからである。
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レイランド王国。
それがサイラスの生まれた国の名前だ。
青々とした丘に囲まれた緑豊かな谷間に位置し、肥沃な大地と豊かな資源に恵まれた国であった。
豊かな農地が広がり、黄金色の小麦畑や鮮やかな果樹園が住民の糧となっていた。
また、大きな川が流れているため、近隣の国との交易も盛んであった。
しかし、レイランドの平和はいつまでも続くものではなかった。
レイランドの富と資源を妬んだ隣国が侵略を開始したのだ。
資源という意味では十分なレイランド王国も、軍事的な意味では小国の域をでない。
王国側も無防備であったわけではなく、周辺諸国と同盟を結ぶなど外からの侵略に備えてはいた。
しかし隣国はレイランドという一大資源を周辺諸国で分け合おうと諸国へ持ちかけ、周辺諸国もまたレイランドの切り取りに賛成したのだ。
容赦ない猛攻にさらされ、防御は崩れ、都市は破壊され尽くした。
王国を護る騎士団も奮戦したが、衆寡敵せず……ついに王都は陥落し、レイランド王国は歴史から姿を消した。
レイランドで生まれ、育ち、運命の相手と出会い、子を成し、自身も自慢の剣腕で順調に出世を重ねてついには騎士団長にまで昇りつめたサイラスはしかし、王国防衛の戦には参加しなかった。
逃げたのだ。
隣国から侵略が開始される2年前、サイラスの妻が死んだ。
流行り病だった。
しかし彼にはまだ幼い娘がいる。
愛している妻の病死に意気消沈したサイラスは、それでも幼い娘を育て上げようと決意した。
そこへきての戦争である。
サイラスは剣の腕も立つが、頭も回る。
周辺諸国からの救援の手が来ない理由にもいち早く勘づいた。
レイランドはどうあがいても滅びる……サイラスはそう判断し、それからの行動は早かった。
逃亡の決断
逃亡先の選定
逃亡に際しての所持品の選別
そして、決行日。
サイラスは幼い娘を抱きかかえ、夜闇に紛れて王都から姿を消した。
§
サイラスと娘は各地の都市を点々としながらとある場所を目指していた。
迷宮都市である。
自由都市リベルタと言うのが元の名称であったが、この都市の抱える特別な事情により"迷宮都市"と呼ばれるに至っている。
というのも、この都市は大胆にも迷宮の真上に作られ、街はずれには迷宮の入口が存在する。
そして街には探索者と呼ばれる迷宮探索者が数多く滞在しており、地底に繋がる暗渠へとまだ見ぬ財宝を求めて足を踏み入れていくのだ。
迷宮の財というのはすなわち古代王国の遺産だ。
遺物は現在の技術では再現できない物が多い。
例えば"修復のアミュレット"。
これは小さな宝石で飾られた複雑なデザインのアミュレットで、身につけると、壊れた陶器や破れた布を直すなど、物体の小さな損傷を修復する能力が付与される。
その力は限られているが、日常生活において非常に有用であることが証明されており、持ち主は小さな修理にかかる時間と労力を節約することができる。
例えば"囁くコンパス"。
謎の金属で作られた古代の豪華なコンパスで、美しい彫刻が施され、金色の針が付いている。ただしこれは方角を指し示すものではなく、持ち主に差し迫る危険の方角を指し示す。
例えば"無限水差し"。
この水差しには常に澄んだ水が湛えられており、料理に使おうと飲用に使おうと、使った次の瞬間には水の嵩が元に戻っている。
こういった便利な品物もあれば、もっと不穏で物騒な事に使えるようなものもあり、戦争に使えるようなものが発掘されたこともある。
ゆえに各国は、過去に何度もこの都市を所有しようとしてきたが、そのいずれも上手くはいかなかった。
なぜなら一国がこの都市を占有するなど、他のすべての国が許さないからだ。
何度かの戦争、おびただしく流れる血。
そういった経験を経て、結局迷宮都市は周辺諸国の共同管理と言う事になったのだ。
これは他の迷宮にも同じ事がいえる。
では発掘された財宝はどうなるのか?
それは手に入れた者に所有権がある。
だから各国は自国の者達を盛んに迷宮へ送り込んでいる。
サイラスはいくつかの理由で逃亡先に迷宮都市リベルタを選んだ。
一つ、そういう都市であるなら仕事に困る事はないという事
二つ、各国共同管理の迷宮都市ならば軍を派遣される事もないという事
三つ、レイランド王国からの距離
レイランド王国を直接侵略した隣国はすぐに騎士団長の不在に気づくだろう。隣国も追手を出すかもしれない。
しかし、逃亡先が迷宮都市であった場合、早々に手を出す事は憚られる筈だ。
そうサイラスは考えた。
結果として彼の判断は功を奏する事になる。
サイラスと彼の娘はリベルタへ居を移し、彼は騎士から探索者へ転身をした。追手が来る気配もない。
危険はおかさず、安全に探索を続け、細かく稼ぐ。
自分と子供一人程度なら食べていく事に何も問題はなかった。
§
──そう思っていたンだけどなァ
ある日の夕暮れ、サイラスは共同墓地に居た。
この日は娘の月命日だったからだ。
娘が好きだった花を墓前に供え、サイラスはぼんやりと墓の前で佇んでいた。
何の事はない。
とある寒い日、風邪をこじらせてあれよあれよという間に死んでしまったのだ。
怪我を癒す魔術というものは存在する。
例え四肢の欠損であっても、迷宮都市なら金を積めば治るだろう。
しかし病気の治癒というのは魔術では出来ない。
なぜならば原因が多すぎて絞り切れないからだ。
結局病気の類は昔ながらの療法に頼るしかないというのが現状だった。
サイラスは娘の事を考えていた。
妻譲りの銀髪を伸ばしたがり、髪の毛を先を小さい両の手で握りしめ。
しきりに自分へ見せて自慢しようとしてくる娘の笑顔。
目を瞑ればそこには彼の妻が笑顔を浮かべ、娘が妻の腕にしがみついている光景が浮かぶ。
サイラスは思わず手を伸ばし……指先に冷たいものが触れた。
目を開ける。
指が墓石に触れている。
その冷たさは、彼の娘の遺体のそれによく似ていた。