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“迷宮”という場所がある。
致命の罠、獰猛な魔物、空気は湿っていて重苦しく、苦悩する魂の叫びが闇に木霊する不吉な場所だ。
これは簡単に言えば“墓”である。
遥か昔、広大な版図を誇っていた古代王国が存在し、王国の権力者たちは死後の眠りの後に復活があると信じ、自身の肉体を保存しようとした。
だが力のある者の肉体というのは様々な用途で利用できてしまう。
例えば魔術の触媒に、例えば霊薬の材料に。
だから権力者たちは自身の肉体を護る為に迷宮をつくりあげた。
そして侵入者を防ぐ為の罠を設置し、罠を抜けてくるような小賢しい者達に備えて魔物を放し、遥か先のまだ見ぬ未来に蘇る自身の魂の器を護ろうと苦心した。
──そして時は流れ…
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斥候の少女リラの眼前で、壮年の男と赤い肌の悪魔が床から突き出した何十何百もの太い針に貫かれている。
ただの針ではない、石化の呪いがかけられた凶悪な針だ。
男は悪魔の腰に組み付くような態勢で微動だにしない。
「サ、サイラス…」
リラが掠れたような声で問うが答えはない。
男も悪魔も既に物言わぬ石像と化していた。
ばきり、と石像に罅が入る。
リラがびくりと肩を揺らすと、石像は見る間に砕けていき、破片が迷宮の床に散らばった。
その破片も粉と砕け、砂となり。
リラは絶望に瞳を曇らせて、ただただその様子を眺めていた。
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時は少し遡る。
迷宮都市リベルタには "酔いどれ騎士" などという不名誉な異名を持つ元騎士がいる。
名前はサイラス。
彼は日がな酒浸りで暮らしており、陰口をいくら受けても平然としていた。
亡国の騎士と言えば聞こえはいいが、祖国の危機を前に命を惜しんで逃げ出したというような中傷を受けているが、それに対して弁明を述べる様子も見られない。
だから周囲はカサに掛かって更に彼を小馬鹿にするのだ。
ただし、だからと言って彼を軽んじて金銭をせびったり、気に食わないからといって暴力を振るおうとする者はこの都市には居ない。
あくまで陰から中傷するだけだ。
なぜならば極々単純な理由だが、その元騎士が強かったからである。
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酒場。
「おいおっさん!今日の稼ぎはどうだった?十分稼げたのかよ!」
柄の悪い若者が揶揄う口調で壮年の男に問いかける。
周囲の者達も粘着質な、嫌な笑みを浮かべていた。
だが壮年の男の様子は澄ました様子で答えた。
態度の悪い若者に腹を立てている感じはない。
「まあな、半金貨と言った所だ坊主。俺は腕がいい。ココもな。坊主は両方悪そうだ、次の探索には注意しろよ。俺の経験上、腕もオツムも悪い奴は大抵早死にする」
壮年の男は若者以上に粘着質な笑みを浮かべ、人差し指で自身のこめかみをコツコツと叩いた。
酒場の空気に若者とその仲間の怒気が混じる。
熱く、しかし青臭い未熟な怒気だ。
激昂した若者が無意識的に腰の得物に手をやろうとする。
「てめぇ!……うッ」
だが威勢の良い声は尻つぼみとなる。
若者が腰に手をやった時には、抜き放たれた長剣の切っ先が若者の喉元に突きつけられていたからだ。
電光石火の抜剣技に酒場の空気が湧く。
逆に若者たちの一党には重苦しい空気が沈殿していた。
仲間達と田舎から出てきて、最初の探索で成功して。
気分が良くなっていたところで萎れたおっさんを揶揄したらこのザマだ。
黙りこくってしまった若者たち。
だがそこへややとぼけたような明るい声が掛けられる。
「冗談だよ坊主。そうビビるな。酒場で殺しなんてやるはずないだろう。殺すならひっそりと、誰にも見られないような場所でやるさ。なあ坊主もそうだろ?ここは脅しておいて、後で俺を殺ろうとしてるんだろ?」
壮年の男がニタニタと笑いながら、剣の切っ先を若者の頬にピタピタと当てて問いかけた。
「い、いや、そんなことは…ない…」
若者の顔色は蒼白だ。
壮年の男の口調は揶揄うようなものだが、剣からは確かな殺気が放射され、若者もそれを感得していた。
壮年の男は未熟な若者にも理解できるように殺気を飛ばしているのだ。若者の心臓が早鐘を打つ。
そうかい?と壮年の男は剣を収めた。
「まあ坊主も少し酔っぱらっちまったんだろ?探索者の先輩として、一つ助言をくれてやるよ。酔っぱらった時は更に酒をぶちこんで古い酔いを新しい酔いで上書きしてやるんだ!さぁ呑め呑め!景気が悪い奴はすぐに死ぬからな、ビビらせちまった詫びだ、俺の奢りだ」
若者たちの表情に、初め浮かべていた嘲弄の色はない。
吠えていた若者もまるで借りてきた猫のように壮年の男…サイラスの酌を受ける。
その日の酒宴も夜遅くまで続いた。