正斗は息を深く吸った。酸素を取り込むためではない。肺を煙で満たすためだ。一度息を止め、満たした煙を細く長く吐き出すと、頭がすっきりとした。
ここは駅のホームの端に設けられた小さな喫煙所だ。喫煙者に厳しくなった街の、最後の喫煙所が駅の中にあるため、乗りもしないのに切符を毎度購入している。
金と手間、どちらを考えても煙草は無駄の多い嗜好品だが、やめることは出来ない。
そんな人種が正斗のほかにも存在する。
そろそろ来る頃だろうと、小窓から昼間の静かなホームを覗くと、ちょうどその人が中央階段を上がってくるところだった。
丸いサングラスとオールバックの黒髪、胸板が見え隠れする派手な柄シャツに黒のジャケットとパンツ。見た目はいかにもその道の人だが、定められた喫煙スペースで煙草を吸うあたり、そこまで悪い人でもないのだろう。
ほかの喫煙者から“木島”と呼ばれているその男は、
「おう、マサ」
と、喫煙所に入るなり、正斗に笑いかけた。
「木島さん、お疲れっす」
煙草に火を点けた木島は、さっき正斗がそうしたように、煙を肺で味わった。口と鼻、両方から煙を吐き出すその姿は、少し間抜けな気もするが、喫煙歴が長いとそうなってしまうと聞いたことがある。
軽く挨拶はするが、木島とはそれ以上の関係はない。本名も職業も知らないし、知ろうとも思わない。
駅のアナウンスを遠くに聞きながら、各々が煙を味わうこの空間が、正斗は好きだった。
正斗は二本目の煙草に火を点けた。
「いつものじゃねぇのな」
木島が珍しく声を掛けてきた。いや、初めてかもしれない。
サングラス越しの視線は正斗の握った百円ライターに注がれているようだった。
「あー、あのライター失くしちゃって」
「失くしたのってコレか?」
誤魔化そうとしたがそれを遮るように木島が重ねた。木島の手には愛用していたジッポがあった。
薔薇の繊細な刻印入りのジッポだ。もとはばあちゃんのものだが、借りたまま正斗がずっと使っていた。
「それどこで?」
咄嗟にとぼけたが、すぐに後悔した。
どこにあったかなんて正斗が一番知っている。
ばあちゃんの稼業を継いだ正斗が仕事中に初めて残してしまった痕跡だ。だから今日は気を落ち着かせるためにここに来た。ここに来れば仲間がいる。たとえその場限りの煙のような繋がりだとしても、孤独を生きる正斗には楽園に思えた。
なぜそのジッポを木島が持っているのか?
これが意味することとは、つまり。
「昨日ウチに空き巣被害の届があってな」
木島は手遊びにジッポを開け閉めした。金属同士が叩き合う澄んだ音が喫煙所内に響く。それが鳴っている間は猶予が与えられているような気がした。
正斗は一口も吸っていなかった二本目の煙草に口を付けた。煙を吐く前に、まだ長さのある煙草を灰皿に落とす。
正斗がため息をとともに煙を吐き切った。
通過電車が駅を駆け抜ける。警察手帳を取り出した木島の咥え煙草から灰が落ちた。