マリーゴールドが部屋を出て行った後、アニーはまた俯いてダンマリになってしまった。
壁にかけられた大きな時計が秒を刻む音だけが響いている。
ミチルはアニーにどう声をかけたらいいものか、わからなくなっていた。
ボスという人のアニーへの行動には、もう、これ以上ないくらいキュンキュンした。
ミチルからしてみれば、ボスの計らいは最高のものなんじゃないかと思う。
けれど、アニーにしてみれば親のように思っていた人から急に「卒業!」って言い渡されたようなものだ。
ミチルは高校を卒業した時ものすごくスッキリしたけど、そういうのとは種類が違うだろう。
親から離れて一人暮らしして、大学も働きながら行け、と言われたら。はっきり言って半日ももたない。
そういうのとも何か違う気がする。ミチルのはただの甘ったれだから。
結局、アニーの状況を自分に置き換えて理解しようとしても無駄だ。本当の意味でアニーを理解することなんてできない。
アニーのことはアニーにしかわからない。
そんな事をグルグルとミチルが考えていると、急に時計が大きく鳴った。
「──時間だ」
反射的にアニーは立ち上がった。けれどその表情にはまだ迷いがあった。
「オレも行く!」
そんなアニーの顔を見てしまったら居ても立っても居られない。ミチルも弾かれたように立ち上がった。
「ミチルはダメ」
「なんで!」
「ええ?なんでって危険だからに決まってるでしょ?」
アニーは当然のように言う。ミチルは足りない頭で一生懸命考えた。
「アニーって、マフィアでどれくらい強いの?」
「何それ。何でそんなこと聞くの?」
「いいから答えろ!」
ミチルは強気でずいと一歩距離をつめた。その剣幕にアニーは少し考えた後、観念したように答える。
「……自慢じゃないけど、ボスの部下と──それこそマリーのアニキと比べても充分渡り合えると思うね」
「つまり、ヒグマおじさんが1番で、アニーが2番ってこと!?」
「まあ、そう言っても差し支えない」
「じゃあ、オレがついて行っても大丈夫でしょ!」
「ええ?」
ミチルはアニーに考える隙を与えずに一気にまくしたてた。
「そもそも今日の取引は物品の受け渡しだよね?そんでボスには1番強いヒグマおじさんがついてる。2番目に強いアニーは来なくても事足りるってことでしょ?2番目に強いアニーに周辺警備なんてケチなことさせるって言うのがもう余裕の証なんじゃないの!?」
「いや、だから、それは相手がテン・イーだから……」
「じゃあ、ヒグマおじさんの他にボスにつく人は?3番目に強い人とかは?」
「いや、まあ、今日はいないけど……」
「ほらあ!やっぱり今日は危険なことなんてないんだよ!」
「うーん……?」
アニーはすっかり調子を崩して考え込んでしまった。ただでさえ自分のことで頭が一杯なのに、ミチルに早口で喋られて混乱している。
よーし、もうちょっと。あと一押し!
今ならはったりをかましても言い負かせそうな気がした。
「ていうか、ここってボスの別荘だよね?てことはあんまり人手もないんじゃない?オレを置いてって、監視させる人員ているの?いないよね!?いなければオレは勝手に屋敷を抜け出すけど!?」
「え、あ……う……」
「いたとしてもさ、アニーってマフィアじゃないんでしょ?フリーランスの身分でここの正規のマフィアにこんな子どもの監視なんて指図できるの?出来ないんじゃない?」
「ぬ……確かに……」
アイ、ウィン!
口から出まかせだったが、概ね当たっていたようだ。今日のオレは冴えてる!
「じゃあ、もう、オレがついて行くのを邪魔できる要因がないよねえ!?はい、論破!」
「ぐ……わかった」
アニーはがっくりと膝を折った。
ウソみたい!大人を言い負かした!
ディベートの授業でボコボコにされて泣かされてたこのオレが!
ミチルは歓喜をこめて小さくガッツポーズをした。ああ、なんていい気分。弱ってるのにごめんね、アニー!
「さあ、行こう!早く行こう、時間になるよ!」
ミチルが足踏みしながら促すと、アニーもまた立ち上がってミチルを見据えて言った。
「ミチル、俺から離れるな」
決意を込めたアニーの顔はイケてるどころの騒ぎではない。
カッコ良くて、頼もしい。
「──もちろん」
ミチルはスパイ大作戦に高揚しているのでアニーのとびきりイケてる表情にも動じず、むしろつられてイイ笑顔で微笑んだ。
「そのために、オレはここまで来たんだ」