魚がピチピチと跳ねるたび、いくつもの水滴が飛んでくる。
池の水は見るからに濁っていて、緑がかった表面に油膜が浮かんでいる。
こんなところで釣れる魚なんて、食べられるわけがない。
そう何度主張しても、父は引き下がらなかった。
休みの日が来るたびに、父は僕を誘ってこの池に釣りに出かける。
「池のぬしを見つけた」とか、目をきらきらと輝かせていたっけ。
大人のくせに恥ずかしいと小学生ながらに思っていた。
それでも、僕がこの池を訪れるのには訳がある。
いつもは建設現場で働いて帰りも遅い父が、この日だけはまともに構ってくれるからだ。
でも父は、何度も訪れるうちにイライラしてきて。
「池のぬしなんていないと、疑っているんだろ」
なんて、勝手に不機嫌になる。
僕は、父と一緒にいられるだけで良いんだ。
むしろ、池のぬしなんていない方が良いと思っていた。
そんな、ある日のことだ。
あの池のことが気になって、学校の帰りに寄ってみることにした。
暗くなるから、夕方以後には池に近づかないように言われていたけど。
遠くから眺めるだけなら大丈夫だろうと思って、錆びついたフェンス越しに様子を見ていたんだ。
そしたら、ふいにつんと腐ったような臭いが漂ってくる。
何だろうと思って、じっと目を凝らしてみると池の中に黒い影が泳いでいた。
すぐに、池のぬしだと分かった。
父に急いで知らせに行こうかと思ったけど、何だか様子がおかしい。
ざぶん。と、勢いよく水が跳ねた。
それと同時に、僕は見てしまったんだ。
風船のように膨らんだ体を持つ、化け物の姿を。
それは人の形をしていたけど、明らかに人間じゃない。
目や口の周りは、梅干しのように皺が寄って潰れていた。
「あれは、池のぬしなんかじゃない」
帰宅すると同時に、そう叫んだ。
リビングでテレビを見ていた父は、少し困惑したような表情を浮かべた。
だけどすぐに眉間にしわが寄り、信じられないほど怒鳴ったんだ。
豹変した父の様子に戸惑ってしまって、何も言い返すことが出来ない。
母もただ事ではない雰囲気を感じ取ったらしく、料理の手を止めて固まっていた。
「今から、池のぬしを釣りに行ってくる」
そう言って、父は釣竿を持って一人で出かけて行ってしまう。
僕は怖くて、とてもついて行くことは出来なかった。
母は「お父さん!」と叫んだけど、父は振り返りもしなかった。
その夜、父は帰ってこなかった。
翌日、警察から電話がかかってきた。
池の底から、父の遺体が上がったらしい。
その顔はぶくぶくに膨れ上がり、あの時見た化け物そのものだった。