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【第2話】謝罪

「すみませんでした」


 深々と頭を下げて、謝罪の意思を示す。

謝るのも、仕事の内だから仕方ない。

これまで何度も繰り返してきた、形式的な動作。

その意味を考えることすら、いつの間にか無くなっていた。

謝罪したという事実が、重要なのだ。

こちらにとっても相手にとっても、気持ちが込もっているかどうかなんて関係ない。


(思えば、何で謝っているんだっけ)


 床に敷き詰められたタイルの模様を見ていると、段々と目が回ってくる。

どれだけ考えても、思考がまとまらなかった。

頭に血が上ってきて、もう耐えられそうにない。

込み上げる嘔吐感に耐えながら、私はひたすらに頭を下げ続けた。


 「顔を上げてください」の一言さえあれば、すぐにこの苦痛から解放されるのに。

そう思うと、怒りが込み上げてきた。

誰に謝っていたのか思い出せないが、きっととんでもなく性格の悪いやつだろう。

今頃、惨めな私の姿を見て嘲笑っているのだ。


「本当に、申し訳ありませんでした」


 気持ちとは裏腹に、口からこぼれ出たのは謝罪の言葉だった。

もちろん、本心からではない。

早く、顔を上げることを許して欲しいのだ。

そのためには、何度も何度も謝り続けるしかない。


 ……チクタク……チクタク

時計の秒針の音が、異様に大きく鳴り響く。


 よくよく考えてみれば、相手は怒っているのだ。

当然のように私は、許してもらえると信じ込んでいた。

でももしかしたら、このまま永遠に頭を下げ続けることになるのかもしれない。


 そう考えると、頃合いでこちらからこの茶番を切り上げなければならない訳だ。

むしろ、早くそうするべきだった。

だけど顔を上げようとした瞬間、ぴたりと動きが止まる。


 身体の震えが、止まらない。

脳がどれだけ命令を発しても、顔を上げることが出来ないどころか指先すら動くことはなかった。


 これほどの、静寂なのだ。

相手は、ものすごく怒っているに違いない。

私は半分泣きそうになりながらも、声を無理やり絞り出す。


「どうか、お許しください」


 謝罪の言葉は、次第に懇願へと変わっていた。

頭の中に浮かんでくるのは、鬼。

どれもが引き攣った形相で、こちらを睨め付けている。

ざわざわと、胸の内の棘が成長していくような感覚。

ちくりと痛むたびに、耐えがたく悲鳴を上げてしまいそうになる。


 同時に、頭の中に浮かび上がる人物がいた。

過去の経験を辿るうちに、その像は次第に鮮明になっていく。


「お母さん……?」


 しばらくして脳裏に浮かび上がってきた人物は、私のお母さんだった。


 いつも、怒ってばかりいたお母さん。

父と離婚したことをきっかけに、ストレスが溜まっていたのだと思う。

私もそんなお母さんに気を遣って、なるべく刺激しないように心がけていた。

それでも子供にとって、親の愛情を受けることは何よりも大切で。

様々な手段を用いて、気に入られるようにアピールしたのだ。


 私は、クラスの誰よりも良い子だった。

成績も優秀で、人望もある。

周囲からは、何一つ不自由のない人間に見えたことだろう。

嫌味や嫌がらせを受けても、満面の笑みを崩さなかった。

何か問題を起こしたら、お母さんに迷惑をかけてしまうから。


 それでも、本当に欲しかったものは結局手に入らなかったのだ。

お母さんは、一度も私を褒めることはなかった。

私の努力も虚しく、無情に年月だけが流れ去ってしまったのだ。


 そして高校を卒業する頃、私はとうとう諦めた。

お母さんから受け取るはずだった、愛情を。


 線香の臭いが、鼻をかすめた。

煙が目に入り、じんわりと涙が溢れ出してくる。

ゆっくりと顔を上げると、そこには誰もいなかった。

あるのは、仏壇とそこに飾られたお母さんの遺影だけ。


 私は、ずっと許しを求め続けていた。

そして今も、この仏壇の前で謝罪を続けている。 

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