DPAには職員を監視する『 off 』と呼ばれる機関がある。
オペレーターやアナリスト、エージェントなど全てが監視対象だ。
衛星や超小型のドローン、時には自身の足を使って監視を行う。
トップエージェントたちも監視対象となるため、斎藤や周平たちよりも更に優れた能力を持つ精鋭たちだ。
主に軍や警察組織の特殊部隊にいた者などが『off』としてスカウトされる。
彼らは本国のカリフォルニア総本部にいる創設者の4人直属の機関で、DPAでありDPAでないという特殊な立場として存在する。
——— 誰でも大きな力を得ると魔が刺すことがある。
しかし、秘密結社においてそういった小さな綻びが組織存続を揺るがす大きな事件に発展しかねない。
そのため組織内に不穏な動きをする者がいないかを常に監視している。
その存在を知っている者は日本のDPAの中では本部長の秋山と副本部長の榊、統括部長の皇、そしてガイドを含む4人のみ。
権限は本部長よりも上となるため、各国のDPAは『off』に従わなければならない。
ちなみに先の任務で周平が望に接触した件は『off』ではなく、公安に所属するDPA職員の監視によるものだ。
本来周平の見せた動きは『off』の監視対象となるレベルのものだが、あの任務は周平が【S】に接触するという不祥事を起こすことも計画のうちだった。
つまり“不穏な動き”ではなく、“シナリオ通り”のことだったため、『off』が動く必要はない。
逆に言えば不祥事を起こしそうな要員として選ばれたのが周平だったといえる。
実際には、周平のアナ室での評価は可もなく不可もなく。
しかし、周平の持つ正義感と、小説好きというこの2点。
これが今回の計画において、まんまと執行部に利用されていた。
彼らは【S】確保作戦の計画段階で、周平の性格を科学的、そして心理学的に徹底分析を行い、何度もシミュレーションを繰り返し
周平ならこのシナリオ通りに動くという状況を作り出していた。
周平の担当オペレーターである三井も執行部のメンバー。
彼もまた、周平を操るためにあえて組織に不信感を抱かせる言葉選びをおこなっていた。
余談だが、三井はこのときひとつだけミスを犯していた。
周平は気付いていなかったが、任務の目的を説明する際に『罪状は"こちら"で決めている』という言い回しをしてしまった。
本来オペレーターにそういった権限はない。
『こちら』という表現からは、三井もそれを決定する立場にあると気付かれる可能性をはらんでいた。
万が一そのことに周平が気付き、本来抱かせるべき不信感とは別の不信感を抱いた場合、シナリオにない行動をとる可能性がある。
ひとつのミスから、この3年越しの計画がすべて水泡に帰す恐れがあった。
このたった3文字の言い回しのミスにより、三井は執行部のメンバーを外された。
執行部のメンバーは一切のミスを許されず、今回のような言い回しひとつでも降格の対象となる。
それだけ秘密結社における執行部のポストは重要という事になる。
——— 3年前、周平に告げられた突然の異動。
エースである斎藤のバディに抜擢
荒井端望の新作発売日に合わせた休暇
斎藤不在の状況下での特殊任務
五十嵐の不在による精神的孤立
周平をシナリオ通り動かすためにこれら全てが計算されたものだった。
そうして下地を作ったところに、周平の持つ組織には無用な正義感を揺さぶる任務内容。
更にターゲットは以前から好きな作家である荒井端望本人ということ。
これら全て、執行部が作りあげたシナリオだった。
結果として周平は、事前のシミュレーション通りの行動をとっていた。
周平が望に対し全てを打ち明けることも、望が内容を信じた上で抵抗しないということも計算されていた。
しかし、唯一の想定外だったことは、望が自身の確保日を密会の2日後に設定したという事。
想定では1週間とみていたが、想定以上に中山望という男は肝が据わっていた。
この望の決断を聞いた執行部の宇賀地は、今回のことさえなければDPAにスカウトしたいほどの人材だと評価していた。
宇賀地はDPAの職員をスカウトする人事部の部長で、人材発掘を一任されているほどの慧眼の持ち主だ。
その男をここまで唸らせた人材は斉藤宗明以来だった。
——— 今回の【S】確保作戦。
中山望の確保はこの作戦の一部でしかなかった。
今回の任務には、周平が不祥事を起こすこともシナリオに含まれていた。
その答えは、斎藤宗明もまた、M適性を持つ人材だということ。
このことは執行部のメンバーしか知らない機密情報だ。
つまり、今回ターゲットとなった【S】は中山望と斎藤宗明の2人。
M適性を持つということ以前に、身内である斎藤を確保する事は、DPA内部の反感を買う恐れが大いにあった。
彼にはそれだけの信頼と人望、そして実績がある。
彼ほどの優秀な人材を失うこと、それこそがこの作戦におけるDPAにとって最大のリスクだった。
しかし、それを天秤にかけたとしてもM適性という限られた才能には変えられなかった。
また、【S】の確保という前例が殆どないことも、今回の計画を進める上でとても有利に働いていた。
更に本国と直接関わりを持てる者は執行部の中でもひと握り。
そのため一般職員には斎藤が本国へスカウトされたという事実を確かめる術はない。
そして周平はというと、今回のことで自身の正義感に鍵をかけ、人が変わったように情けの一切ない厳格なエージェントとして活躍した。
この変貌ぶりは執行部の予想を遥かに超えていた。
まさかここまで優秀なエージェントへと変貌するなんてことは想定していなかった。
周平はその後、37歳で現場から退き、若手育成のための教官として組織に貢献していた。
そして、その年の10月にドリームランドの地下房へと視察に行くことになる。
この日はあいにくの台風で来園客も通常の半分以下だった。
更に大型の台風直撃となり、15時には閉園のアナウンスが園内に流れた。
周平は施設長の案内の元、マインドコントロールと催眠の精度確認の実験場やそのデータ解析室、客前に出る囚人の整形手術の症例、衛生管理システムなど様々な部署をまわった後、最後に地下房へとやって来た。
そこは4つの区画に分けられており、
雑務を担当する
そしてキャラクターを担当するものたちの房、その奥にM適性を持つもの専用の房がある。
キャラクターたちの房はそれぞれのキャラクターごとに部屋がわけられている。
その一番奥にM適正を持つ者たち専用の個室が用意されていた。
個室は全部で10部屋用意されているが、現在埋まっているのは3室のみとのことだった。
使われていない部屋はシャッターが下ろされている。
シャッターの空いている3部屋を順番に覗いていく。
一番手前の部屋には40代半ばの女性、真ん中の部屋の住人は、今まさにマイキーとして活動しているため不在。
そして一番奥の部屋には陰謀の被害者である中山望がいた。
既に手術で感情は取り除かれ、洗脳もされているため、かつての人を惹きつける魅力はどこにもなかった。
望の現在の姿を見て胸が苦しくなったが、深く呼吸をし、すぐに冷静さを取り戻す。
あの一件以来情けを捨てた周平は、変わり果てた望の姿を見てもポーカーフェイスだけは崩すことはなかった。
そして施設長に促されるように地上へともどる通路を進んで行く。
その際に台風のため閉演になり、いつもよりも早く業務を終え戻ってきた囚人たちとすれ違う。
皆一様に猫背で俯き、生気の感じられない様子で列をなしていた。
それが逆に不気味に感じた。
太っている者もいれば痩せている者、高身長の者や年老いた者など様々だった。
彼らはこの後着ていたツナギを洗濯場まで持って行き、消毒液混じりのシャワーの中を歩き、着替えてから各々の房に戻るそうだ。
歩いていると徐々に外へと近づいて行くのがわかる。
さっきまでの空調がきいて快適だった空間から、蒸し暑さを感じる台風特有のモワッとした空気が通路の先から流れ込んできていた。
そのとき、松本の脳裏に突然昔の記憶が蘇ってきた。
——— 「斎藤さんのトレードマークのオールバック、それいつからやってるんですか?」
「ん?トレードマークっていうか、酷い癖っ毛でこうでもしないと大変なんだよ。
だから仕方なく押さえつけてんの。特に梅雨なんて毎朝最悪だよ」
泊まり込みでの任務のとき、風呂上がりの斎藤の頭を見て大笑いした記憶がフラッシュバックしてきた。
——— —— —
周平は足を止める。
「すいません、忘れ物をしてしまったようなんで、先に行っていてください、急いで戻ります」
そう言って今来た道を走って引き返していく。
先程の列を作っていた囚人たちは既に房に戻っているようだった。
そのときM適性の房が一つ空いていたのを思い出し、個室へと走った。
先ほどまで不在だった真ん中の部屋を覗くと、予想通りそこにはボサボサ頭の長身の男が猫背気味に椅子に座っていた。
既視感のあるそのシルエット。
壁をじっと見続けて座るその男に周平は声をかける。
「おい!お前、こっち向け!おい!」
何度も声をかけるが囚人は無反応。
周平はドアをたたきながら絞り出すように
「斎藤さん…」
小さく呟いた。
その瞬間囚人はハッと顔をあげ、ドアの外にいる周平のことを見た。
痩せており、覇気のない目だったが、確かにそれは斎藤だった。
変わり果てた斎藤の姿を見てどうしたらいいかわからない。
情を捨てた周平は、望の姿を見ても平静を保っていたが、
自分のせいで責任を取り僻地へと飛ばされたはずの恩師が何故こんな姿でここにいるのか。
榊のオフィスを出た後、次に斎藤に会った時エージェントとしてどんな姿を見せるか、それだけを考えここまで来た。
斎藤も別の場所で活躍しているに違いないと、そう信じていたにもかかわらず何故こんなことに...
そのとき一瞬、斎藤の目に光が戻りニコっと微笑みながら口を動かしポツリと一言呟いた。
その後スイッチが切れた様に無機質かつ無反応な状態に戻り、また壁を向いてしまった。
声は聞こえなかったが唇の動きから「おたる」と読み解けた。
しかし、周平は理解していた。
呟いた言葉には何の意味もなく、本当のメッセージは斎藤が独自に編み出した、視線と瞬きを利用した暗号にて伝えられているということを。
個室の中にも監視カメラはある。
恐らくカメラに口元は映っているが、俯く姿勢では斎藤のボサボサ頭が死角になり、目元は映ることはなかった。
かつてバディを組んでいた相手が自身を見つけた。
関係性を知る者がこの映像を見れば何かを伝えたと気付かれるのは時間の問題だ。
そのためのミスリードとして無関係の単語を口にしたのだ。
そんな斎藤から伝えられた真のメッセージは
「 罠 」
たったのそれだけ。
だが、それで十分だった。
あの作戦は荒井端望の確保だけではなく、周平自身の不祥事を見越して、
その先にいるもう一人のM適性保持者である
斎藤宗明を確保することまでがひとつの作戦だったということを理解した。
そう考えるとタイミングが良すぎるほどの休暇の日程、そして休暇中に読んでいた小説の作者がターゲットという偶然にしては出来すぎているシチュエーション。
その他にも不審に感じていた全ての点が繋がった。
だが、全ては甘い考えだった自分が招いたこと。
利用された自分に原因があることは十分理解していた。
斎藤に謝ったところで許されることではない。
マインドコントロールの精度は先程データを見てしっかりと理解していた。
そんな強力なマインドコントロールを施されている中、一瞬とはいえ自我を取り戻しただけでも奇跡といえる。
更にその状態において、瞬時に現状把握を行い、何を伝えるべきかを判断し行動にうつした斎藤の頭の回転の速さは天才の一言では片付けられないものだった。
——— ここで今、抗議をしたところで何も変わらない。
むしろ只々立場が悪くなるだけだ。
それこそ、この一瞬の奇跡を無駄にすることになる。
悔しさと無念で胸が張り裂けそうになるが、なんとか呼吸を整え、何事もなかったように施設長たちの元へと合流した。
「忘れ物は見つかりましたか?」
「ええ、おかげで見つかりました」
そういってポケットからペンを取り出し笑顔で答える。
周平は施設長に礼を告げ、強風の中ドリームランドを後にした。