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26《最期の選択》

法廷に入ると傍聴席にいる両親と俊、そして裕介の姿が目に入った。




ハンカチで目を覆う母、そして寄り添う父も目を真っ赤にしている。


俊も袖で涙を拭いながら、不安そうな表情で望の姿を目で追っていた。




望は2ヶ月間眠っていたため感覚が麻痺していたが

家族をはじめとする、残された者たちは今日までの間、不安で押し潰されそうになりながら過ごしていた。





そして今日、遂に審判の日を迎えた。



望の無罪を信じる4人にとって永遠にも感じたこの2ヶ月間。


それも今日で終わりを告げる。

望の無罪が証明されると信じていた。





ただ一人、裕介を除いて。



望が残した暗号。

あの存在のことは俊や望の両親には伝えていない。


あの暗号が何を示しているのかはまだわからないが、この2ヶ月間ずっと嫌な胸騒ぎがしていた。


それは日を追うごとに大きく膨らみんでいき

今日、今この瞬間にそれはピークへと達していた。





裁判では、裕介の不安通り望に不利な証拠が多数挙げられる。



それらは、望が国家転覆を企むテロリストだと示すには十分すぎるものだった。




普段ともに生活をしている裕介にとって、この量の確たる証拠は不自然さを感じざるを得ない。


不用心にもこんなにわかりやすい証拠が、あのマンションに転がっていたのなら一つぐらい気付いていてもおかしくない。


ますます自分に取調べが一切行われなかったことが納得いかなかった。





次々と証拠が提示されていくと同時に、望の未来を奪うカウントダウンが進んでいく。



まさか望に限ってそんなことをするはずがない。


そう信じている家族ですらも、証拠が出される度に「そんな、まさか...」と揺らいで行く。






望は家族のすすり泣く声を背中で受け止め、静かに立つ。

こうなることは覚悟していたが、さすがに胸が苦しい。



どうやら涙腺はナノマシンの管轄外らしい、油断すると涙が溢れ出てしまいそうになる。






——— 裁判は恐ろしい程淡々と進んだ。

裁判長から告げられる言葉の数々、何を言っているのか、正直耳に入ってこなかった。



しかし、最後に告げられた「死刑」という一言だけははっきりと聞こえた。





判決が下されると同時に、これまで抑えていたものがせきを切ったように溢れ出る。

法廷に母親の悲鳴ともとれる泣き声が響き、望も涙を堪えることはできなかった。



こんなことなら、さっさと洗脳してくれた方が良かったとさえ思えた。


"まだ中山望でいられる"それは喜ぶべきことではなかったとその時に気付く。





その後、望は制服姿の男に連れられ退廷する。

涙で溺れそうになる家族の姿を直視することはできなかった。




そんな中、まるで吸い寄せられるかのように裕介と視線が交差する。




覚悟を決めたあの夜から、望には一つだけ気がかりなことがあった。

それは、手帳に残したメッセージに裕介が気付いてくれるかどうかというものだった。




普段の自分を知っている裕介だからこそ感じる"違和感"を散りばめた。

あとは裕介がそれらに気付いて、手帳を開いてくれることを祈るだけだった。




しかし、裕介の目を見てその不安も消え去った。

確証こそないが、裕介のあの目はきっとメモに気付いている。



あれは裕介が時折見せる集中力が高まった時の目だ。


スイッチが入ったときの裕介の観察力には、望も目を見張るものを感じていた。




恐らく今日が、裕介にとって俺と会う最後のチャンスだろう。

俺から何かサインがあるなら今日しかない。



それを一滴たりとも見落とさないという強い意思が伝わってきた。




言葉を封じられている上に、家族を人質に取られている望は、

大きな想いを込めて小さく頷くことしかできなかった。





その小さなサインをしっかりと受け止めるように、裕介も小さく頷きかえす。




それ以降、望は振り返ることはなかった。


望の姿がドアの向こうへと消えていくのを裕介は最後まで見つめていた。






——— その後、望は最初とは別の部屋へと連れて行かれた。


そこで白衣を着た女に注射を打たれる。


その女が言うには、声帯と身体の動きを

制御しているのは別のナノマシンだという。



今打ったのは、声帯を制御しているナノマシンだけを破壊する一種のウィルスだという。


そのウィルスは人体には無害のため、ナノマシンを処理したあとは、自然と排出される。




しかし、今更声が戻っても、本当に話したい人とはもう二度と会えない。



声が戻ろうが戻るまいが関係ない。

望は無言のままだった。





その後、部屋の奥にある狭いエレベーターに乗せられた。




どう見ても普通ではない、恐らくこれが松本の言っていた例の地下室行きのエレベーターだろう。



エレベーターにボタンは二つしかなく、さっきまでとは別の制服を着た男が無言のままそれを操作する。




動き始めてから30〜40秒ほど経ってドアが開いた。


目の前には真っ暗で細い不気味な通路。


制服の男に促されエレベーターを降りた。




望が降りたのを見計って、ドアが閉まりエレベーターは去って行った。


エレベーターのドアが閉まると同時に廊下には足元をかろうじて照らす程度の青白い電気がついた。




通路の奥にぼんやりと鉄製の扉があることに気付く。


松本からは聞いていたが、ここまで不気味だと、前もって知っていても恐怖が込み上げてくる。




扉の前に着くと、まるで望を歓迎するかのようにドアが開いた。



恐る恐る中へ入ると、そこには部屋ポツンと椅子が一つあるだけだった。


恐る恐る歩を進める望は、その椅子へゆっくりと腰掛ける。



すると、目の前の壁だと思っていたものが突然クリアになり、その奥にあるドアが開いた。




目の前に別の部屋が現れたが、ここまで多くのSFチックな出来事を経験してきた。



今更マジックミラーの様な現代的なトリックでは最早動じることはなかった。




平常運転の心拍数。


ただ、ドアの向こうから、くたびれたスーツに身を包んだ、6〜70代の不気味な男を見ると僅かに心拍数が上がるのを感じた。




その男はこの暗闇の中にも関わらず、真っ黒なサングラスをかけていた。


そして咳払いをすると、しゃがれ声で静かに話し始める。




「君に罪がないのはわかっている、こちらの事情に巻き込んでしまい申し訳ないが、わかってくれ」




男が醸し出す空気感、そこに独特な声質も相まって、不気味さが増していった。



ツゥーっと背中に冷たい汗が一筋流れるのを感じたが、望はそれを悟られない様に冷静さを装い答える。



「M適性ってやつか。まったく迷惑な話だよ」





サングラスの男はため息をついたあと、ニヤリと笑いながら続けた。



「松本周平。彼は予想以上に、予想通りの動きをしてくれた。実に優秀なエージェントだよ。さて、これ以上話していても仕方がない。表向きには君は死刑囚だが、残念ながら選択肢はない」




望は無表情のまま、ガイドの真っ黒なサングラスの奥にある瞳を睨み続けている。




望の視線に居心地の悪さを覚えた男は、もう一度咳払いをすると再度口を開いた。



「…まぁ、こちらの事情に巻き込んでしまったんだ。聞くだけ聞いておこうか。選びたまえ Dead or Dream?」




その直後、ガスが部屋の四隅から噴出する。

朦朧とする意識の中で望は



「Dead...」



一言呟き、ガスの中に包まれていく。


ガスで姿が見えなくなったあと、ドサッという音だけが、望が椅子から崩れ落ちたことを伝えていた。







——— あの夜、周平が望に死刑囚のその後について伝えた。



「詳しいことは僕もわからないんですが、死刑囚は薄暗い地下室に連れて行かれると、そこで選択肢を与えられます。求刑通り"この場"で死刑になるか、それとも夢の国で第二の人生を歩むか」



望は少し考えた後尋ねる。


「俺の場合、そのM適性?ってやつがどうとかで捕まるんですよね、それでも選択肢はあるんですか?」



「すいません、その地下室のことは本当によく知らなくて...」


申し訳なさそうに周平が答えた。



「そうなんですね、まあ秘密結社だし秘密が多いのがウリですからね」


相変わらず望は呑気にこたえる。





——— 自ら『死』を選ぶ。

この話を聞いた時点で決めていた。



自分の結末は自分で決める。

例えそれがバッドエンドだとしても、それが小説家である望の美学であり、プライドだった。




自分の意思で『死』を選んだその瞬間、中山望という物語は終わる。



その後、空っぽになった器をどう使おうが、知ったこっちゃない。


続編は勝手に書けばいい、そんな駄作を俺は決して認めない。






望は最後まで巨大な組織に屈することはなかった。


自身の尊厳を護りぬいた末に、中山望という人格はこの世を旅立った。



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